貴子の体が大きく後ろに傾いた。フェンスがはずれ、貴子も落ちていった。
「……っ!」
だが、ただ落ちていくフェンスと違って貴子は屋上の端にしがみ付いていた。
もっとも学校の女生徒の中で№1の身体能力を誇る貴子だからこそ落ちずに済んだのだろうが。
「あーら、しぶといわね。貴子」
「和恵っ!!……あんたって女は!!!!!」
「でも、最後のあがきもそれまでよ……ふふ」
和恵は必死にしがみ付いている貴子の手を踏みつけた。
「さあ落ちなさいよ!!あんたさえ死ねば全部丸く収まるのよ!!」
「だ、誰があんたの思い通りなんかになるものですか!!」
「あんたさえ死ねば、もうあたしの邪魔をする人間はいなくなる……。
あんたさえいなくなれば、学校一の美人の肩書きもあたしのものね。
安心しなさいよ。杉村くんも今頃くたばっているはずよ。
あたし、優しいからぁー。貴子を一人で死なせるのは可哀相でね♪
二人一緒なら寂しくないでしょ?だから……とっとと死になさいよっっ!!!」
ガチャ……その時、屋上の扉が開いた――。
新井田恐るべし!ー杉村の帰還ー
(貴子……貴子、無事でいてくれ……)
杉村は祈った。
「すみません。もっとスピード出してください!」
「お客さーん。これが限界ですよ。私もスピード違反で捕まりたくないものでねぇ」
タクシーの運転手はぶっきらぼうに答えた。
おまけに、あと数分で学校に到着というところで渋滞だ。
「……くそ、後少しなのに」
嫌な予感がする。限界だ。
「ここで降ろしてください!」
杉村は「お客さん、お釣りですよ」と叫ぶ運転手を無視して走り出していた。
「……新井田、おまえは一体何をしているのかな?」
和恵は見る見るうちに表情が引き攣るのを感じた。
見られた!よりにもよって殺人現場を!!
「き、桐山くん……これはその……」
落ち着け、落ち着くのよ和恵!そうよ、まだ決定的場面を見られたわけじゃないわ!!
「桐山くん、どうしたの?」
「ボス、どうしたんですか?」
桐山の背後にいたファミリーの面々からは、桐山が目にしているシーンは見えないらしく不思議がっている。
桐山がスタスタと歩いてきた。
「千草が落ちかけているじゃないか」
「……えーと、貴子はその……ロッククライミングの練習しているのよ」
そんな言い訳が通用するほど世の中甘くない。
「きゃぁぁーー!!!!!貴子ちゃんが落ちちゃうぅぅーー!!!!!」
貴子の姿を見た途端、月岡は絹を引き裂きまくるような声を上げた。
「新井田!おまえ、何やっているんだよ!!?」
いくら何でも和恵は見かけはか弱い女の子。
こんなこと絶対にしないと思っていた沼井たちもびびっている。
平然としているのは桐山くらいだ。
桐山は貴子の近くに来るとスッと屈み、「落ちるぞ」と言った。
「あ、あのねえ……あたしは、その女に落とされかけてるのよ!!」
「そうか、わかった。だったら、おまえ自身は落ちる意思はないのだな?」
「当然でしょ!!」
「だったら、上がって来い」
桐山はスッと手を伸ばした。そして貴子を引き上げてやる。
和恵は思わず「ち!」と舌打ちした。
この状況ヤバイ……かなりヤバイ。
「和恵ちゃん!あなた、何考えてるのよ、いくらなんでもやりすぎよ!!
これはイジメなんて範囲じゃないわ。犯罪よ、殺人未遂よ!!」
月岡の責めに和恵は絶体絶命的な絶望を感じた。
が、和恵は思った。
(……ここが正念場よ。乗り越えればあたしの勝ち)
和恵は突然両手で顔を覆うと、その場に座り込んでわっと泣き出した。
「ち、違う……違うの桐山くん!!……あ、あたし……あたしじゃないの……!!
あたし、貴子と話し合おうとして……でも……でも貴子があたしを突き落とそうとして……。
あ、あたし……あたし夢中で抵抗して押し返したら貴子が落ちそうになって……。
あたし助けようとしてただけなの!!お願い信じて桐山くん!!」
和恵はここぞとばかりに光子顔負けの演技力を発動させた。
その瞳を涙でウルウルさせて桐山に縋ってきたのだ。
「あ、あんた……この後に及んで、まだそんな嘘つこうっていうの!!?」
和恵の嘘八百に当然貴子は激怒した。だが貴子の怒りなど和恵にはどうでもいい。
今は桐山を騙す事が全てだ。桐山さえ丸め込めば自分の勝ち。
「本当よ桐山くん、お願い信じて桐山くん!!桐山くんに疑われたら……和恵、生きていけない!!」
和恵の演技に女に甘い沼井たちは「お、おい……新井田がここまで言うんなら事実じゃないのか?」と言いだした。
和恵は心の中でニヤっと笑った。でも、もちろん、それを表情に出したりしない。
沼井たちをいくら騙せても桐山を騙せなかったら全てが水の泡。
和恵は今この場の支配者が誰かということをちゃんと理解していたのだ。
「新井田」
桐山は静かな声で静かに言った。
「その手を離してくれないか?オレはおまえの言葉は信用しない、そう決めたと言った筈だ」
「……な!」
な、なんですって!!?あたしがここまでしおらしい演技してるのにぃぃーー!!
いえ……桐山くんだって所詮男よ。まだ、あたしが負けたわけじゃいわ。
「ひ……酷い桐山くん……どうして和恵を信じてくれないの?
和恵……和恵……何もしてないのにっっ!!!!!」
その場に泣き崩れてやった。沼井たちは「ボ、ボス……話くらい聞いてやったら?」といいだしている。
それを聞いた和恵は心の中で「……後一押しね」と呟いた。
「いい加減に茶番はそれくらいにしたらどうだ新井田?」
給水塔の上から声がした。
全員の視線がいっせいに集まる。和恵も顔を上げた。
「おまえさんもよくやるな。悪いが一部始終オレが見させていただいた」
和恵は顔が完全に引き攣っていた。
現れた人物は川田だった。
見ていたというのだ。一部始終を。
「……まったく、ここまでやるとは。おまえさんはオレが思った以上に恐ろしい女だよ新井田。
だが、おまえの悪事もここまでだ。証拠もある」
川田は携帯を取り出した。
「おまえと千草の会話を全部録音させてもらった」
(桐山以外の)全員、呆気に取られていた。
「……う、嘘だろ川田?」
最初に沼井が口を開いた。
「嘘じゃない沼井。女に甘いおまえには信じられないだろうが、その女は千草を突き落とそうとした。
それは紛れもない事実なんだ」
「嘘だろ!!お、おまえが……おまえがショッピングピンクの携帯持ってたなんて!!!」
「そんなことはどうでもいいだろうが!!!!!」
「ともかく、これで終わりだ新井田。これを聞けばいくら三村や七原も、もうおまえの味方はしなくなる」
「…………」
「くだらない三文劇場は幕を閉じろ。そして幕がおりれば主演女優は退場する。
それが人生ってもんだ新井田。最後くらい潔くしたらどうだ?」
「……ふふふ、ばれちゃあしょうがないわね」
和恵の口調が変わった。
「そうよ!全部、あたしが仕組んだことだったのよ!!
でも、それが何?そんなことくらいであたしが負けたと思ってるの?!
本気で皆が、そんなものを信じると思う?
クラスのアイドルのあたしの言う事より、不良の川田くんを信じると?!」
「……そこまで腐ったか新井田」
「あたしにはね。クラスのアイドルっていう絶対の肩書きがあるのよ。
そんな録音された会話なんて、きっと皆は仕組まれたものだって思うわ。
あたしの涙は全てを超越するのよ。だって和恵はアイドルだもん」
「……全部、聞かせてもらったぞ新井田」
全員の視線が川田から屋上の昇降口のドアに集中した。
「……す」
思っても見ない人物が立っていた。
表情が硬直する和恵とは裏腹に、貴子は笑みを浮かべていた。
「弘樹!!!!!」
「貴子、無事だったんだな!!……良かった」
杉村は貴子に駆け寄り、その無事な姿を確認してホッとした。
ホッとした途端、怒りがこみ上げてきた。
和恵に対する怒りが。
「新井田……長谷川を使ってオレを性犯罪者に仕立て上げたり、毒を飲ませたり。
挙句に殺そうとしたことなんてどうでもいい……。
だがな……貴子にしたことだけは絶対に許せない!!!
しっかり償いは受けてもらうからなっっ!!!!!」
杉村は拳を握り締めると高く上げた。
「女の子を殴ろうっていうの杉村くん!!!!!?」
杉村はハッとして手を止めた。
「できないわよねえ、優しい優しい杉村くんにそんなこと」
「…………」
「おーほほほほっっ!!!!!」
杉村はガクッとその場にうなだれた。
「……オ、オレは……オレは……」
なんて情け無い男なんだ!!
貴子が、貴子が、散々酷い目に合わされたっていうのに!!
それなのに、相手が女というだけで、その無念すらはらしてやれない!!
「オレは何てダメな男なんだ……叱ってくれ貴子っ!!!!!」
うなだれる杉村と、高笑いする和恵。
その様子を見ていた月岡はチラッと時計を見た。
(そういえば……そろそろ和恵ちゃんが例の薬のんでちょうど一ヶ月よね)
「おーほほほほっっ!!!!!」
相変わらず笑い続ける和恵。
その和恵を見ていた全員の表情が変わっていった。
桐山だけは無表情だったが。
なぜなら……和恵の声色がどんどん野太くなっていったから。
いや……声色だけじゃない。肌も体も、そして顔も……。
和恵は……戻っていたのだ、男に!!!
「おーほほほほ……あれ?」
自らの体の変化に和恵も気づいた。そして胸元を覗き込んだ。
膨らんでいたバストが……無くなっている。
「…………」
つまり……。
「……あたし……い、いや……オレは……」
和恵……いや、もうすでに和恵ではない。
「オレは男だったのかっっ!!!!!?」
新井田和志に戻っていたのだ!!
(あーあ、やっぱり失敗作は長持ちしなかったわね)
溜息をつく月岡を余所に、まだ全員(桐山は例外)固まっていた。
「…………」
新井田が男に戻った……。
オレは新井田が女だから手を出せなかった。
その新井田が男に戻った。
と、いうことは――。
「新井田ぁぁぁ!!!!!!!!!!
今の貴様なら殴れるっっ!!!!!!!!!!」
「ちょ……ちょっと待て!!」
「問答無用だ!!!タンホイザーパンチっっ!!!!!」
ドォォォーーーンッ!!!!!
新井田は屋上からふっ飛んでいた――。
「あーあ、桐山のおかげでとんでもないことになったな」
「ああ、オレたちだけは桐山の圧力に屈することなく和恵さんを守ってやろうな三村」
「当然だろ……ん?あ、あれはっ!!!?」
二人の目の前にはるか上空から未確認物体が飛んできた。
そして花壇の中に落下。
「な、なんだ?」
「……た、助けて……助けてくれぇ……み、三村、七原……」
「に、新井田!!?」
二人は目を丸くした。そうだろう?女だったはずの和恵が男に戻っているのだから。
「手を……手をかしてくれ三村……いつもみたいに」
手を出し述べて救いを求める新井田。
が、三村はその手を拒絶した。
「……何、ふざけたこと言ってるんだ?おまえ、オレたちを騙してたのか?
オレたちはな、おまえが女だと思えばこそ守ってきたんだぞ!
だが、今のおまえは女じゃない。それどころか、男のくせにセーラー服着てるただの変態だ!
男なんか守ってやれるか。まして変態助けてやる義理なんかないな」
「な、なんだって!!?女の時は、あんなに優しかったのにっ!!!」
新井田は逆ギレした。
「ひ、酷い!!酷すぎる、差別だっっ!!!男なら守ってやらないなんて!!!
身体は男でも、中身は一緒じゃないかっっ!!!!!」
「なんだと?中身は一緒だから男でも守ってやれっていうのか?
ふざけるなっっ!!!おまえも、今男だったらハンパなマネするなっ!!!
オレに守って欲しかったら、性転換手術してきっちり女になってから出直して来い!!」
「!!!!!」
「まったく……行こうぜ、七原」
だが気持ちの切り替えの早い三村と違って純情な七原は衝撃のあまり崩れ落ちた。
「……そ、そんな……和恵さんが男だったなんて……」
七原は地面に拳をたたきつけた。
「あんまりだぁぁーー!!!!!オレ、今まで何してたんだよっっ!!!!!
ずっと悪い夢見てたとしか思えないっっ、ちくしょぉぉーー!!!!!」
「……泣くな七原」
「み、三村……」
「おまえは女に免疫ないからショックだったんだな。
長い人生、こういうことは度々あるんだぜ」
「……そ、そうなのか?」
「ああ、だから元気出せよ。おごってやるからさ」
「……うぅ……三村、おまえって凄くいい奴だよな……」
ズタボロで倒れている新井田を無視して二人は立ち去ってしまった。
「ま、待ってくれ……二人とも待ってくれぇぇーー……」
「そこにいたのか新井田ぁぁ!!!!!」
「げ!」
新井田は真っ青になって振り向いた。
そこには怒り狂う杉村の姿が!!
もう誰にも彼を止められない。
「おまえがしたことは、おまえの体で償ってもらうぞっっ!!!!!」
「ま、まて杉村!!話せばわかる、話せば…………!!」
「ぎゃぁぁぁーー!!!!!!!!!!」
その後、恐ろしい悲鳴と擬音が数時間にわたり校内に響き渡った。
――と、後世の歴史家は伝えている。
こうして、新井田は退場した。
新井田が男に戻った途端、全てがまるで無かったことのように元に戻ったのだ。
ただ一つ。
新井田が半年もの間、入院生活を余儀なくされたことを除けば。
こうして学校に再び平和が訪れた。
――それから、しばらく後。
「あー、疲れた。オレ、もう喉からからだよ」
七原は体育の授業を終え、一番乗りで教室に戻ってきた。
そして机の上にあったジュースを反射的に手に取り呑んでしまった。
「美味い……って、しまった。思わず呑んじゃった。
しかも、これ……月岡のジュースじゃないか。
まいったな。いくら疲れていたとはいえ……。
しょうがない。ちゃんと謝って代金払っておこう」
その様子を廊下から、クスッと見ている人物がいた。
(うふふ、呑んじゃったのね七原くん。こうなったら仕方ないわ。
あなたのこと、これからしばらく観察して、あ・げ・る)
――悲劇は繰り返される。
~完~
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