「……豊」
「大丈夫だ三村。豊は死んだりしないさ……」
手術中の赤ランプがパッと消え、ドアが開いた。
「先生!豊は……豊は大丈夫なのかよ!!?」
「最善は尽くしました。後は本人次第です」
「……まさか、最悪の場合は死ぬなんてことも?」
「あるでしょう。しかし、一体なぜこんなことになったんでしょうね。
出血多量なのに不思議な事に豊くんには殴られた跡も、刃物で切られた跡もない……。
全く外傷がないのです。どうやって出血させたのかは不明ですが、絶対安静にしてもらいますよ」
豊がベッドごと運ばれていくのを見て三村はメラメラと怒りの炎で燃えた。
「……豊までこんな目に合わせやがって。豊……仇はとってやるからな」


新井田恐るべし!ー新たなる希望ー


「……全く、あんな女のどこがいいのかしら」
貴子は裏庭で1人お弁当を食べていた。
「あら貴子ちゃーん」
そこに内股の小走り走法で月岡が駆け寄ってきた。
「どうしたの?こんな所でお食事なんて」
「教室は敵だらけだもの」
「まあ」
月岡は思わず口に手を当てた。
「あんなところで食事してたら何されるかわからないわ」
「そう、じゃあ、アタシと一緒に食べない?」
「いいの?あたしなんかとつるんだら、あんたまで苛められるわよ」
「あーら、アタシは平気よ。和恵ちゃんごときにたぶらかされているオバカさんたちなんて目じゃないわ」
「あんた、あいつの本性に気づいてたの?」
「見ればわかるわよ。だって和恵ちゃん、目が笑ってたもの」
「ふーん、あのクラスの人間全員が騙されてたわけじゃなかったんだ」
「そういうこと。アタシは貴子ちゃんの味方だから安心して♪」


「……く、くそ……月岡が一緒なんて計算外だ」
「しかも、あいつ千草についたみたいだぞ。どうする三村?」
早速、豊の復讐とばかりに、貴子が1人のときを狙ってきた三村と七原だったが、とんだ伏兵に手出しできないでいた。
「……せっかく女の子が嫌いな蛙とゴキブリ用意したのに」
七原にとっては、それが最高のイジメの方法だったようだ。
「それにしても何で月岡が千草の味方なんかに……。
まさか、傍観者の桐山ファミリーが千草につくなんてことはないよな?」
そんなことになったら、和恵の味方している男子生徒の大半は桐山にびびって手を引いてしまう。
「……こうなったら、早々に決着つけてやるぜ。
和恵と豊が安心して学校生活送るためには千草には自主退学してもらうしかない。
話し合いで、うん、と言わなければ……実力行使だ」
「そうだな。頑張ろうぜ三村」









「……いいか、バケツの位置、水量、全部計算してある。
後は千草が扉を開けば完璧だ」
桐山ファミリー、川田、元渕、織田を除くB組男子同盟の嫌がらせはついに小学生レベルにまで来ていた。
「……ね、ねえ」
滝口が手を挙げた。
「もう、こんな事止めようよ……ちょっと酷すぎるよ」
「なんだと?」
全員がいっせいに滝口を睨んだ。
「だ、だって……確かに新井田さんも可哀相だけど、だけど皆がやってることもただのイジメだろ?
オレ、こういうのよくないと思うんだ。話し合おうよ」
「その話し合いで、あいつはオレたちに逆らったんだぞ!」
貴子は自主退学しろとの忠告をあっさり拒否したのだ。
「そうだ、そうだ!第一、これはイジメじゃない、聖戦だ!!」
「……み、みんなおかしいよ……オ、オレもうついていけないよ!!」
滝口は逃げるように去っていった。


「……まずいな。脱落者が出た。このままじゃあ全員の士気にかかわる」
「どうする三村?」
「今だに同盟に参加してない他の男子生徒を入れるんだよ」
「なるほど」
七原は感心した。
「でも元渕は学級委員長だろ?あいつは入れるべきじゃないと思う。
下手したら先生に密告されるかもしれない」
「そうだな」
「織田もこういうことは足つっこまないタイプだし。第一、無理に入れても役に立たないしなぁ」
「まあお荷物にしかならないな」
「と、なると川田と桐山ファミリーか……」
「よし、オレが川田を説得するから、七原、おまえは桐山を説得しろ。
桐山さえ、こっち側につけば、いくら月岡だって、もう千草の味方なんかできっこない」









桐山は今日も授業をさぼって屋上にいた。
腰をおろし、片足を投げ出し、フェンスに背もたれしている。
その姿すら絵になるから不思議だ。
「それにしても新井田があんな可愛い奴だったなんてなぁ」
「……そうだな」
「なんだよ充、顔赤いぞ」
「う、うるせぇ!」
最近は和恵の話題でもちきりだった。
もっとも沼井たちだけが盛り上がって、桐山は聞いているのかさえ怪しかったが。
「その新井田のことだけどよぉ、さっき七原から聞いたんだけど、ますます千草のいびりが過激になってるらしいぜ。
なんでも二度も病院送りにされたとか。あいつ、下手したら相馬より凶悪じゃねえのか?」
「ああ、ひでえことしやがるぜ。オレらは硬派な不良だから女同士の揉め事には手出ししない主義だけどよぉ。
でも、これじゃあ新井田が惨すぎる。なんとかしてやりてえよな」
「ボス、ボスの力で千草の奴を懲らしめてやってくれませんか?
いくら千草でもボスににらまれたら、ビビッて悪さしなくなりますから」
「ちょっと、あんたたち。さっきから黙ってきいていれば勝手なこと言わないでよ。
それじゃあ、まるで貴子ちゃんが悪者みたいじゃない。
貴子ちゃんは何にも悪い事してないわよ。和恵ちゃんは嘘ついているのよ」


「はあ?千草が悪いに決まってるだろ。なんで新井田が嘘なんてつくんだよ」
「だよなぁ。なんていっても新井田は可愛いし、いつも笑顔だし」
「比べて千草はいっつもつんけんして愛想の欠片もないクールビューティーだろ?
あいつの笑った顔なんて見たことないけど、新井田はいつも明るいし。
どっちが正しいのかなんて、一目瞭然じゃないか」
「……あきれた」
月岡はもう言葉も無かった。
(あーあ、本当に男ってバカね。和恵ちゃんの、あの裏の顔がどうしてわからないのよ)
沼井も笹川も黒長もすっかり和恵に騙されていた。
「オレも笑ったことは一度もない」
ふいに桐山がそう言った。全員が桐山に注目する。
「オレも千草と同じように、いやそれ以上に愛想の欠片もない。
だったら、もし誰かがオレに危害を加えられていると言えば、どんなにオレが否定しても、相手の言い分がただしい。
そういうことになるのかな?」
沼井たちは、しばらく何もいえなかったが、すぐに慌てて否定した。
「そ、そんなことないっすよ。オレたちはボスのこと信じます!!」
「だが、千草はイジメはしていないといい、新井田はされたという。
二人の言い分は物的証拠がない以上同等のはずなのに、おまえたちは新井田を無条件に信じている。
おまえたちが新井田を信じている理由が正しいのなら、オレのことも信じてないということじゃないのかな?」


「「「…………」」」
三人は何も言えなかった。
「どうした?なぜ黙っている?」
「ねえ桐山くん」
うふふ、と月岡がちょこんと桐山の隣に座った。
「桐山くんは、どっちが正しいと思う?」
「考えた事もない」
「そうね。でも、アタシは桐山くんの気持ちが知りたいの。
桐山くんから見てどっちが正しいと思う?貴子ちゃん?それとも和恵ちゃん?」
桐山はコインを取り出した。それを投げる。
しかし落ちてくる前に月岡がキャッチしてしまった。
「ダメよ。こういうことは自分で決めないと」
「自分で……か?」
「そういうこと。どんな結果だろうと自分で決めなきゃ。ね?」
「……そうか」









『貴子……大丈夫なのか?』
「あたしは平気よ」
『本当か?本当なのか?おまえは強がりだから心配だ。今すぐ駆けつけ……うぐっ!』
「ちょ、ちょっと弘樹……腹痛大丈夫?」
『だ、大丈夫だ……こ、このくらい……すぐに駆けつけてやる……から』
「無理しないで。本当に大丈夫よ。それにね、クラスの男全員和恵の味方ってわけじゃないのよ。
1人だけどあたしをかばってくれる奴だっているんだから」
『ほ、本当か?……良かった……い、痛っ』
「弘樹。あたしのことは気にしないで、早く元気になってよね」
『あ、ああ……わかった』
和恵の陰湿なやり方のせいで杉村とは引き離され、クラス中を敵にまわしてしまった貴子。
毎日、杉村からかかってくる携帯が心の支えだった。
もっとも、何があったのかしらないが、ここ数日寝込んでいるらしい。
何か悪いものでも食べたのだろうか?
「さて……もうすぐ授業始まるし、戻らないと」
貴子は裏庭を歩いた。そして校舎に入ろうとしたとき、それは聞えた。


「だから、おまえもいい加減に傍観者は止めろって言ってるんだ川田」
それは三村の声だった。
「おまえも知ってるだろう?千草が和恵をいじめている事は。
このままじゃあ和恵がかわいそうだ。それに、あの女はオレに対する仕返しに豊まで殺しかけたんだ」
(な、なんですって!!?)
「おまえのヤクザの組長並の迫力を持ってすれば、いくら気の強い千草でも負けるだろう。
オレたちの側につけよ。個人主義だかなんだか知らないが、学校生活送る以上、どっちつかずなんて許されないぜ」
「……そうか」
川田はふぅ……と煙を吐いた。
「確かに千草のやり方は凄まじいな。新井田を旧校舎に呼び出して暴行。
さらに誰もいない放課後の教室でカツアゲ。日直の仕事は無理やり押し付ける。
二度にわたる病院送り。新井田の仲間のサッカー部員たちすらリンチしたって聞く」
「そうだろ?おまえも酷いと思うよな」
「そうだな……ただし、新井田の言う事が真実ならな」
「……なんだと?」
「オレはどうも新井田のいうことは信用できないんだ。
むしろ三村、女1人によってたかって意地になっている、おまえたちのほうが凄いと思うぞ」


「川田!おまえ、何が言いたい!!?」
「オレはひねくれた性格なんでね、他人の言い分はどうも素直に信じられないんだ。
だが三村、おまえ、もう少し冷静に周りを見たほうがいいぞ。
でないと後で後悔するのはおまえだ。第一、あの女は笑っていた」
「……あの女?」
「おまえさんや七原たちが必死に守ってやってる新井田だ」
「どういうことだ?」
「オレがみる限り、あの女は自分の手は汚さずにおまえたちは利用しているってことだ」
「おい、いい加減なこというな。豊だって殺されかけたんだぞ!!」
「おまえは瀬戸が千草に殺されかけた現場を見たのか?」
「見てないけど豊が言ったんだ。千草にやられたと……」
あの時……豊は意識を失う寸前で言葉も途切れ途切れだった……。
「自信を持って、そういえるのか?」
「…………わかった。もう、おまえには頼まない」
三村は低い口調でそう言うと、さっさと立ち去ってしまった。


「……やれやれ、嫌われたかな。さて、お嬢さん、いつまで隠れているつもりだ?」
「あんた、気づいていたの?」
「まあな」
「あんたどういうつもりよ。あんなこと言って、クラス中敵にまわすつもり」
「……厄介だな。転校早々」
「あんたにそんなつもりはなくても、あいつら、あんたが敵に回ったって勘違いするわよ。
傍観者の立場にいられないのなら、有利なほうに行くのが普通じゃない」
「それは、おまえさんにえげつないマネしている、あの女につくってことか?」
「表面上だけでも適当な返事すれば済むってことよ。なんで、そうしなかったの?」
「千草、何もクラス中の男がただのアホとは限らないぞ。少なくてもオレはそうじゃない」
川田は煙草を靴で踏み火を消すとゴミ箱に捨てた。
「それに……杉村以外にもおまえを信じてくれる男は他にいるかもしれないぞ」
川田はそれだけ言うと「さて……屋上で昼寝でもするか」と、階段をゆっくりと上がっていった。









(そういえば川田とはまともに会話したことないけど……悪い奴じゃないみたいね。
月岡といい、まだ冷静さ失っていない奴がいたんだ。あいつが言ってた男って月岡のことかしら?)
貴子はそう考えながら教室の扉に手をかけた。
その時、後ろから誰かが肩を掴んだ。
振り向いて、その相手を見た途端、貴子は必要以上に驚いた。
なぜなら、その相手があまりにも意外な男だったから。
「さがっていろ」
そう言うと、貴子を後ろに引き、自分が扉を開けた。


ガシャァァンっっーーー!!!!!


派手な音。そして辺りに散らばる水。
「やったぁぁーー!!!!!ざまーみろ、作戦せいこ……」
歓喜の叫び声をあげるB組男子同盟の面々。
だが、扉の向こうから現れた人物を見て、全員……凍ってしまった
シーン……静寂が辺りを包む。
そして空っぽになったバケツがコロコロと床を転がっていた……。
作戦は完璧だった。ドアを開けると水の入ったバケツが真っ逆さま。
次の瞬間にはびしょ濡れの貴子が立っているはずだった。
しかし、立っていたのはなんと……桐山和雄だったのだ。
全員が言葉を失っていた。いや、言葉どころが顔色を失っている。
桐山は、その天性の反射神経で落ちてくるバケツを蹴り飛ばしていた。
だからびしょ濡れにはなっていない。なっていないが……


桐山に宣戦布告したのも同然なのだ!!


「……な、なんで……なんで桐山さんが?」
青ざめる男子たち。いや男子どころか無関係な女生徒たちも震え上がっている。
そして貴子の惨めな姿を想像してほくそ笑んでいた和恵ももちろん顔色を失っていた。
「聞いてくれるかな?」
そんな中、桐山は静かな声で静かに言った。
「さっき、七原が充たちに、加担するように誘いがあったらしい。
充たちは新井田の味方をするべきだという。そして彰は千草が正しいという。
オレはコインで決めようとした。裏が出たら新井田につく、表が出たら千草を信じる。
だが月岡はコインではなく、オレ自身で決めろと言った。
オレはよくわからなかった。だがオレは決めた」


「オレは千草を信じる事にした。だから、おまえたちの味方はしない。理解してくれるかな?」


一気にクラス中がざわめいた。一番驚いているのは貴子本人だ。
「そういうことだ。悪いな七原、ボスが信じるっていうのなら、オレたちも千草を信じるぜ」
「ああ、だから新井田の味方はしてやれねえよ」
「そういうこと。うふふ、わかった?それとも、桐山くんに文句ある?」
桐山に文句など……誰もあるはずがない。
正確にいえばあっても言えないのだ。
「……オ、オレ……もう、こんなことやめるよっ!!!」
倉元が立ち上がった。そして何故か逃げ出してしまった。
「オ、オレも……抜けさせてもらうぜ!!」
続いて旗上も倉元を追いかけるように逃げて言った。
「オ、オレもだ……!!」
「オ、オレだって……桐山さんを敵にまわすなんて……そんなこと出来るか!!」
「ま、待てよ、おまえたち!!」
七原が止めるのも聞かずに次々に脱退宣言して逃げ出し行く男子生徒たち。
計算外の出来事に呆然とする七原たち。
だが、クラスで1人だけメラメラとドス黒い執念燃やしている人間がいた。


た、貴子ぉ!!!!!
よ、よくも……よくも、なめたマネしてくれたわね!!!
よりにもよって桐山くんを味方につけるなんて!!!
一体、どんな卑怯な手を使ったのよっ!!!
彼が敵にまわったら、もうクラスの……いえ、学校中のほとんどの男子なんて当てにならないじゃない!!
どいつも、こいつも彼を恐れて、もうあたしの味方なんてしなくなるわっっ!!!
あたしの……あたしの今までの努力が全部水の泡よっっ!!!
このままじゃあ、済まさないわよ!!このままじゃあっっ!!!!!


――和恵の最後の戦いが始まろうとしていた。


~完~


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