それは、ある日の朝だった。
貴子は陸上部の朝練を終え教室にきた。
ホームルームまでまだたっぷり時間がある。
それまでは椅子に座ってゆっくりするつもりだった。
だが、そこに邪魔者が現れた。
「千草っ!!!!!」
あきらかに怒気を含んだその声に貴子が振り向いた。
三村が立っている。
「なによ、朝っぱらから騒々しいわね」
「ふざけるな!!おまえ、自分が何をしたのかわかってるのか!!?」
プレイボーイだけに女には優しい三村が本気で(しかも好みのタイプであるはずの貴子相手に)怒っている。
「み、三村くん……あたし、もういいから」
その声!!貴子は三村の背後にギロッと視線を送った。
そう、その忌まわしい声は新井田和志改め新井田和恵だった!!
「いいわけないだろ!!千草、和恵に聞いたぞ、おまえ陰で和恵を苛めていたんだってな!!」
「はぁっ!!?」
新井田恐るべし!―新井田の逆襲ー
貴子、よくもやってくれたわね。絶対復讐してやるわ!!
女の執念甘くみるんじゃないわよ!!
和恵は怪我が完治するとすぐに行動に出ていたのだ。
まずサッカー部を退部した。元々女になった以上続けられなかったから。
そして、ある部に入部したのだ。
それが二週間前……そして蛇のように復讐の機会を狙っていたのである・・・。
「あたしが和恵をいじめてるですって!?」
貴子にとっては寝耳に水だ。いくら大嫌いな相手でもそんな陰湿なことは貴子がもっとも嫌う手段だった。
気に入らなかったら堂々と真正面からケンカ売ってやるわよ、バカバカしい!
「ちょっと和恵!あんた、何嘘ついているのよ!!」
貴子の怒りの矛先は当然のように和恵に向けられた。
しかし、和恵の前には三村が立ちはだかっている。
「うちのマネージャー苛めるなんて、おまえいい度胸してるじゃないか!!」
そう、こともあろうに和恵は男子バスケ部にマネージャーとして入部していたのだ。
最初は元新井田の和恵を三村は歓迎しなかった。
ところが和恵は意外にもよく働き敏腕マネージャーとしてバスケ部員たちの信頼を勝ち取ってしまったのである。
(もっとも、和恵は実際にはドリンクとタオルを渡して応援しかしていない。
裏の仕事は元サッカー部のエースであることを利用して、サッカー部のマネージャーたちを脅してさせていたのである)
そんな、ある日のこと、和恵が部室の裏で泣いていた。
それを発見した三村が事情を聞くと和恵は「何でもない」と泣きじゃくるだけ。
その時、三村は和恵の腕にアザがあるのを発見したのだ。
(もちろん、和恵が自分でつけたものだった)
三村は和恵がイジメにあっているのだと思い、さらに詰問した。
すると和恵はうっかり(そう、あくまでもうっかりと見えるように)「……違うの貴子は……ぁ!」などと言ってしまったのだ。
当然三村は「千草がおまえを苛めていたのか?」と質問する。
すると和恵は「貴子は悪くないの……あたしが悪いの、だから……」などとしおらしく泣き出してしまったのだ。
「おまえは和恵が男だったときから、こいつを嫌っていたからな!
だからって、女の和恵を陰でいたぶるなんて見損なったぜ!!」
「な、なんですって……?」
貴子の性格上、黙っていられなかった。
(こ、このバカ……すっかり和恵にたぶらかされて)
そんな三村の背後で嘘泣きしていた和恵が『へっへーんだ。アッカンベー』と舌をだしたものだから貴子は切れた。
「この性悪女!!」
貴子は反射的に和恵に飛びついた。
「きゃぁ!!三村くん、助けてぇ!!」
「よくも、しらじらしい嘘ついてくれたわね、このクソ女!!」
その時だった。
「いい加減にしろよ千草!!和恵さんがかわいそうじゃないか!!」
二人の間に割って入ったのは七原だった。
七原は正義感の強い男だ。正義感は強いが単純である。
物事の表と裏を見極める洞察力までは持ち合わせていない。
そんな七原には、引っ叩いても泣かないような逞しさを持つ貴子と、肩を震わせて泣いている(事実はどうあれ)和恵の表面しか見えなかった。
つまり貴子が和恵を虐げているようにしか見えなかったのだ。
七原の余計な正義感に火がついたのだ。
「うるさいわね七原!!あんたは黙っていなさいよっ!!!!!」
「い、いいの七原くん……あたしの為にそんなことしないでぇ……うぅ……」
などと泣き出す和恵。
二人の態度の決定的差で七原は完全に和恵の味方になってしまった。
「黙ってなんかいられないよ。千草、おまえはこれでも和恵さんに悪いって思わないのかよ!!」
三村と七原が和恵につくと当然豊と国信も和恵側についてしまう。
「そうだよ千草さん、いくらなんでも酷すぎるよ」
「これじゃあ新井田さんがかわいそうだ。謝りなよ」
こ、このバカ集団……!!貴子はもはや切れる寸前だった。
おーほっほっほ!!!!!
愚かなり貴子ぉぉ!!!!!
男はね、美人には弱いけど、同じ美人ならあんたみたいな可愛げのない女より、あたしみたいにか弱くて愛想のいい方の味方をするのよ。
なんてったって男なんてバカで単純なんだものぉっ!!!
和恵は元男だけあって男の心理をよくわかっていた。
あたしを以前のバカ男新井田和志と同じだと思わないことね。
あたしは生まれ変わったのよ。うふふふふーー!!!
「いい加減にしろよ、おまえら!!!貴子がそんなことするわけないだろっ!!!!!」
ところが、ここにきて貴子の味方が現れた。
(出たわね杉村くん!!)
たとえクラス中の男を味方につけても、杉村だけは貴子の味方だろう。
和恵の予想通りだった。
「さっきから黙って聞いていれば一方的に貴子を責めやがって。
貴子はイジメなんかする女じゃない。オレが一番わかっている」
「何だと杉村、幼馴染だからって千草の味方するのかよ」
「そうだぞ杉村。じゃあ何か?おまえは和恵さんが嘘ついているっていうのかよ!!?」
「待って三村くん、七原くん」
ここで和恵がしゃしゃり出た。
「杉村くんが貴子の味方するのは仕方ないわよ……だって誰だってただのクラスメイトより幼馴染のほうが大事だもの」
押してだめなら引いてみろよ。今、ここでケンカしたって杉村くんは動じないわ。
どんなことしたって貴子の味方するに決まってる。
邪魔者は……消えてもらうしかないわよね?ふふふふ……。
――昼休み――
「杉村くん、杉村くん」
誰かが廊下で杉村を呼んだ。振り向くと和恵が立っている。
「お話があるの、いい?」
「ああ、オレもおまえに話があるんだ」
「じゃあ保健室に行きましょう。今、誰もいないから」
二人は保健室に。
「結論から言わせて貰う。どうしてあんなことしたんだ?
貴子に病院送りにされたからか?それとも、男時代に貴子に相手にされなかったからか?」
「もう性急なんだからぁ杉村くんは。まずはジュースでも飲んで落ち着いてちょうだい。ね?」
和恵がジュースを差し出した。
「ああわかったよ」
杉村は……飲んでしまった。そして数秒後……パタッと倒れた。
「おーほっほっほ!!!さすがは超強力即効性睡眠薬!!
これで終わりよ杉村くぅぅーーんっ!!!!!」
和恵はすぐに自分の服をビリッと引き裂いた。
さらに保健室中の家具や備品を破壊しまくったのだ。
昼休みが終了して校医がそこに戻ってみると、服を引き裂かれて泣いている和恵と杉村の姿があった。
もはや問答無用の決定的瞬間だった。
「うわぁぁーーん!!あ、あたし……あたし嫌だって必死に抵抗したのぉ、でも杉村くんがぁ!!」
泣き喚く和恵。そしてショックのあまり呆然となっている杉村。
オレが寝ている間に何があった?そんな表情。
「あ、あたし……ヴァージンだったのに……うわぁぁーー!!!」
頭を抱える校長をはじめとする教師陣。
「杉村くん……君だけはそんなことしない生徒だと信じていたのに……」
「は、林田先生!!待ってください、オレには全く記憶がなくて……」
「わかってるよ杉村くん、きっと魔がさしたんだろうね」
「そんな!!」
コソコソと相談していた校長と教頭が静かに言った。
「もうこうなったら杉村くんは退学処分にするしかないな」
和恵は顔を両手で覆っていたが、もちろんニヤッと笑っていた。
「待ってください校長先生。杉村くんは普段はとてもイイコなんです。
きっと今回の事件は出来心だったんですよ。どうかご配慮を」
「林田先生がそこまでいうなら……しかし、こんな問題児を在学させるわけにはいかない。
それに事件が公にやったら対面にもかかわる。
こうなったら転校という形にして鹿之砦中学に追放処分にしよう」
こうして杉村は一切の言い分を受け入れられずに問題児のメッカ・鹿之砦中学に追放されることになってしまった。
「弘樹っ!!!」
出発の朝。哀れ杉村はトラックの荷台に載せられた檻の中。
必死に鉄格子にすがりつく貴子。
「どうして……どうして、あんたがこんな目に」
「貴子、オレだって悔しい。だが、オレのことよりおまえのことが心配だ。
新井田はおまえからオレを引き離して何か企んでいるんだ。
オレのことはいいから、自分の心配だけしてくれ」
トラックが走り出した。
「弘樹、弘樹っ!!!」
貴子は必死に後を追ったがいくら陸上部エースとはいえ車には勝てっこない。
徐々に杉村と貴子の距離は開いていった。
「貴子!!いいか、絶対に油断するなっ!!!
あいつは、あいつは以前の新井田じゃない!!!
今のあいつを甘くみるな、いいな貴子ぉぉーー!!!」
「弘樹、弘樹!!……ぁ」
トラックが見えなくなってしまった。
それを遠くから眺めていた和恵はほくそ笑んでいた。
そして携帯を取り出した。
『もしもし』
「もしもーし。あたしよ。あ・た・し」
『和恵か?久しぶりだなぁ、何の用だよ』
「実はお願いがあるの。そっちに杉村弘樹っていう転校生がはいるわ。
そいつをボロボロにして再起不能にしてやってほしいの」
『再起不能?おまえって怖い女だな……オレ、前の事件のこともあるしさぁ……。
あんまりヤバイ橋わたりたくないんだよ』
「そんなこといわないで。ね?和恵のお・ね・が・い。ね?」
『……たく、しょうがねえなぁ。言っとくけど手加減してやらねえぜ?』
「うん、あー、持つべきものは友達よね。じゃあ頼んだわよ」
これで杉村は片付いた。和恵はそう思った。
(邪魔者は消えたわ……貴子、そろそろきっちり復讐させてもらうわよ)
「和恵!!!!!」
あーら、来たわね貴子。待ってたわよ♪
「この根性まがり!!よくも弘樹をあんな目に合わせてくれたわね!!!」
あらヤダ。仮にも女の子が胸倉掴むなんて粗暴だわぁ。
「あーら、何のことかしら?」
「あたしに恨みがあるなら、あたし1人にきなさいよ!!!
弘樹は関係ないでしょ!!?それなのに……よくも!!!!!」
関係ありよ、おおありよ。だって杉村くんさえ消えてくれれば……。
ふふふ……貴子、あたなの味方はクラスに誰1人いなくなるわ。
つまり、あたしがどんな酷い仕打ちをしようと、みんなあたしのいうことを信じてくれる。
あたしは思いっきりやれるというわけ。
「ねえ貴子……ここじゃあ何だから二人っきりでお話しない?」
「……望むところよ」
「じゃあ……サッカー部の部室に行きましょう」
ふふふ……何も知らずについてきて。
断っておくけど貴子……あたしね気づいたことがあるの。
女って……男よりずっと残酷になれるってことに。
そして、そんな女のいいなりになる男は世の中星の数ほどいるってことにね。
サッカー部の部室の前まできた二人。
「じゃあ、中にはいって貴子……ただし、あんた1人でね!!!!!」
和恵は貴子を突き飛ばした。
「じゃあ後は頼んだわよ、あんたたち」
そして扉を閉めてしまった。
「和恵!!!あんた、どういうつもりよ!!!!!」
中からドンドンと扉を叩く音。
「大丈夫よ貴子、あんた1人じゃないから。お友達用意してあげたんだからぁ」
「はぁ?」
振り向くと男子生徒が何人もいた。
「まったく和恵もあくどいよなぁ。男のときも性格悪かったけどよぉ」
「でも、こんな機会でもなけりゃあ学校一の美人の千草とはお近づきになれないし」
「……なんなのよ、あんたたち。和恵、あんたどういうつもりよ!!!!」
「紹介してあげる。サッカー部の部員たちよ」
サッカー部は和恵の古巣という縁で今では和恵のためなら何でもする男達の集団に成り下がっていたのだ。
「せいぜい可愛がってもらいなさい。おーほっほっほ!!」
そして中から物凄い物音がしだした。
「あー楽しい、それもこれも貴子、全部あなたが悪いのよ。
あたしに逆らわなければ楽しい学園生活エンジョイできたのにぃ。
でも安心して。あなた1人を辛い目にはあわせないわ。杉村くんも道連れに……」
ガラ……っ!扉が開いた。
「……え?」
和恵は我が目を疑った。なぜって貴子が平然と立っていたから。
そして和恵の腕を掴むと中に引きずり込んだのだ。
「きゃあ!」
何かにつまずいた。ハッとみると、それはボロクソに暴行されて気を失っているサッカー部員たち。
「ちょ……ちょっと、あんたたち!!どうして女1人に負けてるのよっ!!!」
和恵の作戦は完璧だった。完璧だったが一つだけ和恵は忘れていたのだ。
貴子は物凄く強かった事を。
(そ、そういえば……あたしも男だった頃、足に怪我した貴子に飛び道具込みでケンカ売ったにもかかわらず、ボロクソに大敗したことあったんだーー!!!!!)
「……こんなクズども使って卑劣なことしようだなんて。
和恵、あんたって昔以上のクズね。もっとも、何かしでかすんじゃないかって気はしてたのよ。
護身用にアイスピック持ち歩いていて本当によかったわ」
「……アイスピック」
な、なんてこと……だから、簡単についてきたのね。
「貴様、のこのこついてきたのはワザとだったのねーっ!!
ふざけやがって……」
逆ギレする和恵を冷たい目で見下しながら貴子は言った。
「弘樹が世話になったわね……」
バギィッ!!ドコォっ!!ヒデブゥ!!!!!
その直後、サッカー部の部室からはこの世のものとは思えない音がした……。
……ピーポーピーポー。
(た、貴子……、よくも……)
救急車の中で和恵はかろうじて意識を保っていた。
(よくもやってくれたわね……女の顔、傷つけるなんて……)
このままでは済まさないわよ、このままでは……)
――和恵がニヤッと薄笑いを浮かべた事は誰も知らなかった。
~完~
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