本当に泣き虫よね。男の子なんだから強くなりなさいよ。
貴子は弘樹の手を引いて家に連れて来た。
「ほら可愛いでしょ」
「うん」
「ハナコ頑張ったんだよ。出産の時、誰も家にいなくて。
でも一人でちゃんと生んだの。偉いでしょ」
「ハナコは貴子に似て強いんだよ」
「違うわよ弘樹。ハナコは強いんじゃなくて強くなったのよ」
STAND BY ME
「すごい!すごいよ杉村!!」
なんだか七原が興奮していた。肝心の杉村本人よりも。
「後二回勝てば優勝じゃないか。おまえ、本当に強い奴だよ!!」
杉村はといえば、内心飛び上がりたい気持ちもあったが、その強面に似合わずシャイな性格と、七原が一人で大はしゃぎしてくれたおかげで、出遅れてしまったという感じだった。
「そんなことない。運が良かったんだよ」
杉村は照れくさそうに笑った。
「謙遜かよ杉村」
三村があの独特の笑いでグッと親指を立て「勝てよ」と言った。
「ヒロキ、本当にすごいよ。もしかしたらシンジより強いんじゃないの?」
七原ほどではないが豊も嬉しそうに大騒ぎだ。
拳法を習い始めて数年。やっとここまで来たか。
杉村はふと拳法を習いだしたときの事を思い出していた。
あの頃は本当に泣き虫で背もどちらかといえばクラスの中では低いほうだった。
それに、よく苛められていたっけ。
そしたら決まって苛めてきた奴に貴子が怒ってケンカ売っていた。
いつだって貴子には守ってばかりいてもらったな。
そんなことを思い出した途端、杉村はふと寂しそうな表情を見せた。
「どうしたのヒロキ?」
豊が心配そうに声をかけてきた。
「もしかして怪我でもしたの?」
「そうじゃないんだ……つまり、その」
と、言いかけると三村が「ははーん、千草がいないんで調子でないってわけか。そうだよな」と余計なことを言い出した。
「なに言ってるんだ」
杉村はちょっとだけムキになって反論する。
「だって杉村くんは、いつも貴子さんがいてやっと一人前ですからね」
そんな嫌味ともとれるセリフもなんだか三村がいうと妙に説得力があって嫌味に聞こえない。
そうなんだ。いつもは「ほら、しっかりしなさいよ。あんたって拳法ならっても中身は全然成長してないんだから」と、少々うるさい存在なのだが、いざって時にいないと……な。
しょうがないか。貴子だって陸上の大会があるんだ。
「とにかく頑張れよ。グッドラック」
三村がウインクしてくる。
「優勝したら女紹介してやるからさ」
「お、おい……」
少し赤くなって途惑う杉村。その時だった。
「ちょっと三村。弘樹に変なこと吹き込んだら、あんたただじゃあおかないわよ」
全員が声が聞こえた方向に振り向いた。
「……貴子、どうして」
「あんたの晴れの舞台応援しないわけにはいかないじゃない」
「大会は?」
「女子短距離部門新記録で一位よ。でも……」
と、言いかけて「とにかく優勝しないさいよ」と貴子は笑った。
何も言わなかったがオレにはわかったんだ。
おまえ、表彰式ほったらかしにして来てくれたんだろう?
でなきゃあ、こんな時間にここにいるわけないものな。
サンキュー貴子。
――でも、結果は悲惨だった。
「ヒロキ、ヒロキ無茶だよ。再起不能になったらどうするんだよ!!」
豊が泣きそうな顔で必死に杉村を止めていた。
「そうだよ杉村!大会はまた次があるだろう?」
いつもは頑張れと言ってくれる七原も豊の意見に同意した。
「やせ我慢ならしないほうがいいぜ杉村。後悔先に立たずっていうだろ?」
三村はいつになくシビアな表情でそう言った。
三人が三人とも言った。『決勝戦は棄権しろ』――と。
悲劇は準決勝で起こった。
対戦相手はダーティなことで有名な選手。
だが杉村は自信があった。勝てる自信が。
そして勝った。決勝戦進出だ。
ところが勝利の代償に、相手選手の反則スレスレの攻撃で足に怪我を負ったのだ。
当然、医者は止めた方がいいと言った。
でも杉村は「痛み止めを打って下さい」とだけ言って試合にでることを選んだのだ。
「オレは逃げたくないんだ。優勝なんかどうでもいい。
ただ、いつまでも弱虫のガキじゃないってこと証明したいんだ」
それから杉村は貴子を見た。
七原たちは猛反対している。でも貴子なら賛成してくれるんじゃないか?
誰よりもオレの気持ちをわかってくれている貴子なら。
そう期待したのだろう。その気持ちを貴子も察したようだ。
「言っておくけど、一度試合に出たら逃げられないのよ。それでもいいの?」
「ああ」
「そう……だったら、あんたの好きにしなさいよ」
「千草!!」
三村や七原が非難がましい目で貴子を見たが、貴子はそんなもの全く気にならない。
「でも変な意地だけで試合にでるなら、それだけは止めなさいよ。
あんたが、そんなくだらない男だなんて失望させないで頂戴。
絶対に逃げたりしないで。いいわね、弘樹」
「ああ」
「……っ!」
足にズキッと痛みが走った。
(痛み止めの薬……あんまり効かなかったみたいだな)
相手は前回チャンピオンだ。今までの相手とは違う。
「ヒロキ~……」
そんな目で見るなよ豊。正直言って、オレはおまえの何倍も不安だっていうのが本音なんだ。
そして、その不安は見事に的中した。
「ストップ!出血したようだな、手当ての為に一時ストップだ」
審判が杉村と相手選手とをわけた。
「杉村、ほら!」
七原が背中を見せて『おぶされ』と、言外に言ってくれた。
杉村が七原に掴まると七原は走って医務室に連れて行く。
やはり右足を怪我した以上、いつもの半分もまともに動けなかった。
そして相手の拳をまともに受けて……情け無いことに目の上を切って出血だ。
「もう止めろよ杉村」
七原が再度そういった。
「そうだよヒロキ。オレ、もう見てられないよ」
豊なんて今にも倒れそうなくらいの蒼白い顔で杉村を見詰めている。
「ここまでやったんだ。誰もおまえのこと責めないと思うぜ。
正々堂々と棄権していいんだぞ杉村」
三村の言葉になんだかホッとしている自分がいた。
「……そうだよな。オレはベストを尽くしたんだ。棄権したって誰にも後ろ指なんてさされな……」
バチィィーーンっ!!!!!
杉村は呆気にとられて赤くなった頬に手を添えた。
七原も三村も豊も唖然としている。
「……ベストを尽くしたですって?」
貴子が怒っていた。杉村は息を呑んだ。
子供の頃からの付き合いでわかる。貴子は『本気で』怒っている。
「あたしは言ったはずよ。途中で逃げ出すようなマネはするなって」
「何言ってるんだ千草!!杉村は怪我しているんだ……」
「あんたは黙ってなさいよ!!」
貴子の迫力に七原は言葉に詰まって思わず二歩下がってしまった。
「本当にダメなら、どうして最初から棄権しなかったの?
それとも自分は怪我をしたのに決勝戦に出たっていう自己満足が欲しかっただけなの?」
「ち、違う……オレは」
「あんた何の為に拳法習ったのよ!!くだらない言い訳するためにずっと頑張っていたの!!?」
――貴子。
「あんた何の為に毎朝早起きして道場に通っていたのよ。
何の為に、夜泣きながら型の稽古してたのよ。
強くなる為じゃなかったの?あんたにとって強さって何なの?
あたしはね。あんたが優勝しなくてもいいのよ。
ただ、あんたには苦痛や恐怖から逃げるような男にだけはなってほしくないだけ。
あんたは昔苛められっ子だった。でも今は違う。
今のあんたは少しはマシになったって思っていたのよ。
それとも、それはあたしの勘違いだったの弘樹?」
「……貴子」
杉村はいったん目をつぶった。そして再びあけて貴子を見た。
「足にテーピングしてくれないか?」
「おめでとう杉村くん。よく頑張ったね」
大会委員長がトロフィーを渡しながらねぎらいの言葉をかけた。
杉村は優勝したのだ。
怪我の痛みに耐えての優勝。
今、優勝者だけが立つことができる一番高い表彰台に杉村は立っている。
だが杉村は正直言って大会委員長の言葉も、そして観客の声も何も聞こえなかった。
足がズキズキいって目がかすむ。
そんな朦朧とした意識の中で探した。あいつを――。
杉村はその相手を観客の中に見つけるとふらふらした足取りで近づいた。
「……貴子」
そしてトロフィーを差し出した。
「……これ」
疲労のせいか、それとも怪我の痛みのせいか、俯きながら。
「受け取ってくれないか?おまえに……受け取って欲しいんだ」
その時、杉村の体がグラッと崩れた。
七原や三村が慌てて駆け寄ろうとしているのが杉村にはスローモーションのように見える。
そのスローモーションのなか、杉村の体は床に激突することなく止まっていた。
「……貴子」
貴子が支えていてくれたからだ。
「試合は終わったんだから……もう弱味見せない必要もないでしょ」
そう言って杉村の腕を自分の肩にかけた。
「ほら歩ける?」
「……ああ」
杉村は一歩踏み出した。
ふと幼い日の情景が脳裏に蘇る――。
幼い頃、土手で二人で遊んでいて足をくじいてしまったとき。
その時も貴子は今のように杉村を支えて家に帰ってくれたのだ。
小さな女の子にとっては重労働なのに、それでも最後まで力強く支えてくれた。
「すまない貴子。……そして、ありがとう」
杉村は微笑しながらそう言った。
「あんた一人くらい……いつだって支えてあげるわよ」
それから、ほんの少し照れくさそうに貴子は言った。
「弘樹、あんたいい男になったわよ」
「おまえこそ、世界一カッコイイ女だ」
「オレたちの出番なかったな」
七原は少し寂しそうに呟いた。
「ああ。オレたちじゃあ千草の代わりはつとまらないよ」
二人の背中を見詰めながら三村は言った。
――誰もあいつらの間に入れる人間なんかいやしないのさ。
~END~
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