『おにいちゃーん』
『なんや美恵。にいちゃんは用があるんだから今日は遊んでやれんぞ』
『……そんな』
まいったな……そんな泣きそうな顔するな。
『……わかった。ちょっとだけだぞ』
『うん!』
ほんまに可愛い妹だな。
『おにいちゃん、あのね、あのね』
『なんや?』
『美恵、大きくなったら、おにいちゃんのお嫁さんになってあげるね』
忌まわしき日
リリリリリィィィーーンッ!!!!!
目覚ましがけたたましくなっている。
「……ついにこの日が来たか」
川田は忌々しそうに起き上がった。
台所に行くと、たった一人の可愛い妹がルンルン気分で何かを作っている。
(……思ったとおりだ。男ができたな)
そう川田章吾15歳。少々ふけてはいるが本来中学生にあらず。
その川田はなぜか一年留年してこともあろうに妹とクラスメイトという立場に。
母親は二人が幼い頃に死亡。
残された父親も去年あっけなく死亡。
残った妹にとって川田はたった一人の親代わり。
川田としては美恵に変な男がつかないように見守ってやる義務があるのだ。
いや……義務と言うより使命といってもいいだろう。
しかも兄貴の欲目かもしれないが美恵は中々ラブリー。
妹を付けねらう男はきっと大勢いるに違いない。
特に今日は聖バレンタインデーなどという忌まわしい悪夢の日なのだ。
(なーにが聖だ。野郎にとっては『性』バレンタインデーだろう)
「あ、おはよう。お兄ちゃん」
「おはよう。ところで、何はりきって作ってるんや?」
「あのね……チョコレート」
「ふーん、チョコか。……って、おい!!!!!」
川田はちゃぶ台をひっくり返した。
「美恵ッッッ!!!!!おまえ、まさかうちのクラスの奴にチョコをやるつもりなのか!!!!!?」
「そ、そうだけど……いけないの?」
「いかんにきまっとる!!そんなことをして見ろ!!!!!」
――注意、これは川田の妄想です――
「あの……これ義理チョコだけど」
「義理チョコだぁ?お子様のお遊びじゃないんだよ、お嬢さん。
チョコよりも、もっといいもの……オレが貰ってやるぜッッ!!!!!」
「いやぁぁぁーーー!!!!!」
「と、いうことになるだろうがッ!!!!!」
「変なこと想像しないでよ!!!そんな変態どこにいるっていうのよ!!!!!」
「いっぱいいるだろうが!!!」
「もう知らない!!私、先に学校に行くから!!!」
「ま、待て美恵、まだ話が!!!」
しかし美恵はさっさと出かけてしまった。
「……あのアホ。男はみんな狼なんやで」
「おはよう美恵」
「あ、おはよう三村くん。今日は早いのね」
「当然だろ?今日は特別な日だからな」
三村はその派手な顔立ちやバスケの天才プレイヤーとしての肩書きからかなり華やかにもてていた。
「そうか三村くん毎年チョコたくさんもらっているものね」
「でも今年は一個しか貰わないって決めてるんだぜ」
「一個だけ?」
「ああ所謂本命って奴。その子以外のチョコは全部断る事にした」
「三村くん、好きなこがいたんだ」
美恵は本当に驚いていた。三村は常に不特定多数の女と付き合うことで有名だったから。
「ああ、そいつとなら心底いい付き合いが出来る。そんな気がするんだよ」
「幸せね。三村くんにそんなに思われて」
「幸せだって思うか?」
「それは思うわよ。だって三村くん、ハンサムだし、頭いいし、カッコイイし」
「そうか、それは良かった」
と、三村はいきなり美恵の腰に手を回したかと思うとグイッと抱き寄せた。
「三村くん?!」
「オレがここまで言っているんだぜ。もう気付いてくれてもいいんじゃないのか?」
おまけに三村は美恵の顎を摘んで顔を上に向かせだした。
こ、この体勢は……!!まずい、非常にまずい!!
三村の背後で豊が「シンジ、いくらなんでもやばいよ」と三村の服を引っ張って制止をかけようとしているが、もちろん三村がその程度で止まるわけがない。
「オレと付き合わないか?オレはずっとおまえのことを……」
「み・む・ら・くぅぅぅーーーん!!!!!」
ぎくぅ!!!
三村はまるで絶対零度の氷河期に放り出されたように硬直した。
「悪い美恵、続きは後でな」
そう言うと全速力で逃げ出したのだ。
「あーあ、逃げられちゃった」
「月岡くん……」
月岡は溜息をつきながら「美恵ちゃん、大丈夫だった?」とウインクしてきた。
「助けてくれたの?ありがとう月岡くん」
「気にしないで。女同士助け合わなきゃ、それに、あなたのこと心配しているひとにも頼まれてるし」
意味深なことを言うと月岡は内股で走り出した。
おそらく三村を追いかけていったのだろう。
(……誰のことだ?)
その様子を見ていた川田は一抹の不安を感じていた。
「ちっぐさぁぁーー!!チョコくれ……げふぅ!!」
ヒキガエルが潰されたような悲鳴が教室中に響く。
「まったく懲りない奴だな。貴子には近づくなとあれほど言ったのに」
普段は大人しい杉村だが本気を出せばかなり強い。
その本気を出した後ろ回し蹴りをまともにボディにくらったのだ。
新井田でなくてもダメージは強いだろう。
「……ち、ちぐさ……せ、せめて……一口でいいから……」
それでも震える手を貴子にのばす新井田。
「……しつこい男ね。弘樹!」
貴子が指をパチンと鳴らすと杉村は新井田の後ろ襟首を掴み教室を出て行った。
その数秒後に廊下からおぞましい破壊音が聞こえてきた……。
「……新井田はオレが手を下す必要もなかったな。
三村も月岡が撃退してくれたし……あと残る危険人物は……」
川田は怪しげな手帳にペンを走らせていた。
クラスの男子生徒の名前がいくつかあり、三村、ついで新井田の名前に横線が引かれている。
『三年B組危険な男ブラックリスト』だった。
「川田、どうしたんだよ、溜息なんかついて」
「……七原か」
三村に劣らぬモテモテ君。
しかし三村と違って浮いた噂一つ無い。
おまけに優しくて御しやすくて、おまえ、ことあるごとにオレを頼りにしているだろ?
何しろ、おまえは正義感は人一倍あるが、まだまだ子供だからなぁ。
あのプログラムだってオレがいなかったらどうなっていたことか。
もしも、もしもだ……美恵がおまえと結婚したら。
きっと、オレはことあるごとに頼られていつでもどこでもドリカム状態。
「……なあ七原」
「なんだよ」
「美恵がおまえと付き合ってくれたら、オレはなんも心配しないで済むんだけどな」
普通なら、その言葉は『おまえなら頼れるから妹をまかせられる』と受け取るだろう。
七原も例外ではなかった。
「川田、オレの事そんなに買ってくれていたのか、嬉しいよ」
「……おまえたちの面倒はオレがみてやれるから……なんも心配せんでもすむ」
「……おまえ、物凄く失礼なこと考えているだろ」
(……はぁ。七原なら浮気はせんし、優しいし、問題ないのにな)
ああいう男ならオレも心配せんですむ。
もし三村あたりと付き合ってみろ。
毎日、泣いてばかりの美恵を見てクラス羽目になるじゃないか。
でも、どうやら三村のことを好きってわけでもなさそうやな。
普段、仲がいいから心配しとったけど、安心したわ。
「和雄、はいコレ。一生懸命作ったのよ」
……あの声は。
いつものように授業をさぼって煙草でも吸おうと屋上にやってきた川田。
その屋上に通じるドアを開こうとした瞬間聞こえてきた声。
まだ昼休みだから誰かいても不思議じゃない。
不思議じゃないが、その声が問題だった。
(……美恵?)
そう妹の声。しかも、相手の男の名前が問題だった。
川田はおそるおそるドアを開けた。
「チョコレート?」
「うん、今日はバレンタインデーでしょ。女の子が大切なひとにチョコを送る日なの」
「そうか、それは知らなかったな」
「一生懸命作ったのよ。あんまり上手くないかも知れないけど食べてくれる?」
「美恵が作ってくれたのなら美味しくなくてもかまわない」
川田はハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。
(き・き・き・き・き……桐山だぁぁぁーーー!!!!!?)
三年B組ブラックリスト堂々一位!!
が、どう見ても恋愛感情なんか欠片もなさそうな人格。
それゆえに油断していた!!
「嬉しい、頑張って作ってよかった」
「オレも交際を申し込んでよかったと思っている」
……って、おまえいつの間にオレの妹にツバつけたんだ!!!!!?
「……美恵」
桐山が美恵の頬にそっと手を触れた。
「……か、和雄?」
川田は目が飛び出しそうになるくらい愕然とした。
そ、その雰囲気、もしかして!!!!!?
「オレはチョコよりも美恵が欲しい」
「……だ、ダメよ和雄……こんなところで」
「オレはどこでもかまわない」
桐山の顔が美恵の顔に近づいてゆく。
「いい加減さらせ桐山ぁぁぁーーー!!!!!!!!!!」
猛ダッシュして二人を引き離す川田。
「お、おにいちゃん!!」
「なんだ川田。何か用なのかな?」
「用もへったくりもあるか!!お、お、おまえ!!学校の屋上でなにしでかすつもりだったんだ!!!」
桐山は無表情のままはっきりと言った。
「美恵とキスしようと思ったのだが、いけなかったかな?」
「おまえなぁ!!ここは天下の学校だぞ!!!!!
誰かに見られたらどう言い訳するつもりだったんだ!!!!!」
「別にかまわない。いいんじゃないかな?」
「美恵がかまうんだ!!!!!」
「そうか、だったら川田頼みがある。おまえはドアの向こうで見張りをしてくれないか?」
「……おまえ、誰に向かって頼んでるのか、わかってるのか?
オレはこれでも一応こいつの兄貴だぞ。
どこの世界にふしだらな道に足踏み外そうとしている妹に手を貸す兄貴がいる?」
「いいんだ。オレは義務教育を終えたら美恵と結婚しようと思っている。
だから、そのオレが相手ならいいんじゃないか?」
な、なんて図々しいやつ……それとも天然なのか?
「とにかく、オレは許さんぞ。妹と別れろ桐山、美恵おまえもこんな奴とはさっさと別れ……」
「いい加減にしてよ!!!!!」
「……美恵?」
美恵がオレに怒鳴った?
「さっきから黙って聞いてれば勝手なこと言って。
和雄とは真面目な交際しているのよ、厭らしい想像して一人で熱くならないでよ!!」
「何が厭らしい想像や!!オレは兄貴として心配して……」
「それが余計なのよ!!おにいちゃんなんか大嫌いっっ!!!!!」
美恵は走り去ってしまった。
川田は呆然とその後姿を見るだけ……。
「川田」
背後から桐山の声。
「美恵はおまえのことが大嫌いだそうだ」
「いわれんでもわかっとるわ。このドアホっっ!!!!!」
「そうか」
ほんま……めっちゃ好かん男だな、こいつは!!
「おまえはそう言われて嬉しいのか?」
「なんだと?」
「笑っている」
「泣き笑いや!!!妹にあそこまで言われた兄貴の気持ち、おまえにわかるんか!!?」
桐山は顎に拳をつけて考え込んだ。
なんや、こいつは?
「……わからないな。おまえはオレじゃない、だからわからない」
……あかん、会話がなりたっとらん。
「だが一つだけわかる」
「何がだ?」
「もしも美恵に『和雄なんか大嫌い』といわれたら、多分オレは悲しくなるだろうな」
川田はちょっとだけ目を丸くして桐山を見た。
「美恵はいつもオレのことを好きだといってくれる」
「……そうか」
子供の頃はいっつも『お兄ちゃん大好き』って言っていたのにな。
「将来はオレと結婚してずっと一緒にいたいともいってくれた」
「……そ、そうか」
あかん……顔が引き攣ってしまう。
「その美恵に嫌われたらオレはきっと悲しいと思う。
おまえの気持ちはオレにはわからないが、おまえは悲しいのか?」
「……ああ、すごくな」
「オレのせいなのか?」
川田は言葉に詰まった。
桐山のせいといえないこともないが、桐山には何の罪もない。
「……それは」
「おまえはオレと美恵が別れたほうが幸せなのか?」
「……ぅ」
その時だった。
「桐山くん、そのくらいにしてあげなさいよ」
川田はハッとして見上げた。貯水タンクの上に月岡が立っている。
「お、おま……おまえ、いつから!!?」
「ずっと前から。それより川田くん」
月岡が飛び降りた。
「あなた桐山くんのどこが不満なの?」
普段、三村に迫っているときのふざけた表情は一切ない真剣な眼差し。
「……そ、それは」
「断っておくけど桐山くんは顔も成績も将来性も抜群、兄貴なら妹の幸せ喜んで上げなさいよ」
「だ、だが桐山は不良だぞ!!」
「沼井くんたちが一方的に憧れてボスの座につけているだけよ。
桐山くんは自分から悪さしたことは一度もないわ。
そうね……相手からケンカしかけてくるときは度が過ぎた正当防衛はしているけど」
「か、顔のいい奴は浮気するって相場が決まっているだろう!!」
「人格にもよるわよ。桐山くんは三村くんと違って浮気には興味ないの」
「桐山家が庶民の美恵との付き合い認めるわけがないだろう!!」
「なによ、つまり桐山くん自身には文句ないの?」
「…………」
「答えられないの?だったら教えてあげるわ、あなた桐山くんだから気に入らないんじゃないわ。
美恵ちゃんをとられちゃうのが嫌なんでしょう?」
いきなり図星をつかれて川田は固まった。
「どうなの?」
川田はしばらく無言だった。
「……まいったなぁ。おまえさんみたいな人種にそこまで言われるとわ」
川田はフェンス越しに空を見上げた。
「あいつは寂しがりやでな……いつもオレの後ばかりおいかけてきた。
大きくなったらおにいちゃんのお嫁さんになる……そればっか言って。
それが最近じゃあ、あまり話しをしてくれんようになった。
もしかして友達と上手くいってないのかとか心配になって根掘り葉掘り質問するようになってな。
しばらくしたら、オレがいくら話しかけても最後は口うるさいの一言や……。
どうして、こんな関係になってしまったんやろな……昔は何でも話し合えたのに……。
桐山と嬉しそうに向き合ってるあいつみたら、途端に頭が沸騰した。
オレと美恵が仲悪くなったのは、桐山のせいや。
上手く説明できんけど、そう思ったんや……悪かったな桐山。
おまえは悪くない。全部、オレの問題だったんだ」
「……あきれた。あなたって花嫁の父より重症ね」
月岡は溜息をついていた。
「でも、アタシそういう男嫌いじゃないわよ」
「お、おい……オレにはそういう趣味ないぞ」
青ざめる川田。
「誤解しないで頂戴。アタシのタイプは三村くんよ。
悪いけど川田くんは専門外」
ホッとする川田に月岡は続けた。
「あのね川田くん。アタシは女だから女の立場として言わせて貰うわ。
女の子ってね。思春期は多かれ少なかれ男親をさけるようになってしまうものなのよ。
でもそれは嫌いになったとかそういうわけじゃないの。
普段は多少うるさく思っていても心の底ではいつだって家族を愛しているし。
それに自分を心配してくれる気持ちに感謝だってしているはずよ」
「……本当か?」
「ええ、そうでしょ美恵ちゃん?」
川田は驚いて月岡の視線の先に目をやった。
昇降口のドアの影から美恵が気まずそうにこちらを見ているではないか。
「美恵、いつからそこにいたんや?」
美恵はやや躊躇いながらもこちらに歩み寄ってきた。そして……。
「ごめんなさい」
川田に頭を下げた。
「美恵?」
「ごめん、お兄ちゃん。お兄ちゃんが最近口うるさくなったの私のせいだったのね。
私、お兄ちゃんは頭から私のこと信用してなくてただお小言ばかり言っているのかと思ってた。
お兄ちゃんは私のこと心配してくれてただけなのに……本当にごめんなさい」
「……美恵」
「あの……これ」
美恵は綺麗にラッピングされた包みを差し出してきた。
「これ……」
「あのねチョコふたつ作ったの。一つは和雄で、もう一つはお兄ちゃんの」
「オ、オレにか?」
「うん……最近、おにいちゃんと口喧嘩ばかりだったから……。
だから、今日は仲直りしようと思って頑張って作ったんだ」
「……美恵」
月岡、おまえの言うとおりやな。
オレが心配する事なんかなーんもなかった。
オレの一人相撲だったんだ。
「お兄ちゃん、私これからはちゃんとお兄ちゃんと向き合うから。
和雄とも真面目に付き合う。だからお兄ちゃんには祝福してほしいの」
川田は黙って聞いていたが、やがて苦笑した。
「まったく……かなわんなぁ」
少し寂しそうな表情。
「……桐山、妹のことよろしく頼むな」
「ああ」
こうして桐山と美恵は晴れて川田公認のカップルになれたのだ。
「くれぐれも健全な付き合いせえよ」
「……お兄ちゃんったら」
「ああ、わかった。ところで美恵、今夜はずっと一緒にいたい。
川田、美恵の外出許可をくれないか?」
川田はぽかーんと大きく口を開けた。
「……あのなぁ、さっき健全な付き合いしろというたやろ?」
「美恵にチョコをもらって嬉しかった。だから今夜は一緒にいたい。
先週の土曜日ように一晩中抱きしめていたいんだ」
「……え?」
川田の頭は一瞬真っ白になった。
(……先週の土曜日?)
川田は記憶を辿った。
「……なあ美恵」
「な、なあに、お兄ちゃん?」
美恵は異常なほど青ざめていた。
「……その日は確か千草の家に泊まるといってなかったか?」
「……深く考えないで。ね?」
だが川田は深く考えた。そして数秒後……。
「桐山ぁぁぁーー!!!!!やっぱり、おまえとの交際は認めん、今すぐ別れろぉぉーーー!!!!!」
こうして僅か三分で桐山と美恵は川田非公認のカップルとなったのでした。
メデタシメデタシ。
END
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