ふりかえる男たち
それも、そのはず
男にうまれて彼女の美貌、いや、それ以上に内面から、溢れ出る魅力に瞳を奪われないはずはない
漆黒の瞳、腰まで伸びたストレートの黒髪、整った容姿のなかで形成される豊かな表情……




ボスの女




「どうしたの沼井君?」
「いや…ちょっと……」
沼井充---泣く子も黙る桐山ファミリーの参謀。一見して不良とわかるバンカラ。
そして、どう見ても沼井とは全く縁の無さそうな美少女。
この二人が、なぜ青空の下を並んで歩いているのか?
先程から、すれ違う人全員が、まるで美女と野獣を見るかのような視線を投げかけるのだ。
ケンカにゃ強いが色恋沙汰には全くもって範疇外の沼井には、針のムシロも同然。


その彼女---天瀬美恵。3年B組在籍。
容姿端麗、成績優秀、おまけに性格も悪くないときている。
当然、クラスはおろか学校中の男子生徒の憧れの的だ。
だが、彼女に近づこうとする男は一人もいない。
美恵には、すでに恋人がいた。
それでも、美恵の魅力にあきらめきれず『あいつから奪ってやる』という男どもがいてもおかしくはないのだが誰もそうしなかった。
正確にいうと、その恋人を恐れて誰も手を出せないでいるのだ。


「ごめんね送ってもらって」
「かまわねぇよ。ボスの命令だからな」
そう……美恵の彼氏は桐山和雄。


桐山和雄---知的で端正な容姿と、天才的な才能、おまけに良家の御曹司。
天から二物も三物も与えられているにもかかわらず、不良グループの頭におさまっている。


桐山と美恵は学校内はおろか校外でも、知らぬものなしの有名カップル。
二人が並んで歩いている様は、まるきりハリウッド映画の名シーンを連想させた。


そう二人はまさに美男美女の代名詞だったのだ。


それなのに、なぜ今日に限って沼井なのか?答えは簡単。
それは、いつものように『この前の借りを返してやるぜ!!』と意気込む連中(ざっと十人はいただろうか)の呼び出しに応じ、廃工場の空地まで出向いてやった時のことだ。


「………」
「ボスどうした?」
珍しく腕時計(ちなみにロレックス)を気にする桐山。疑問を投げかけた沼井に、桐山はこうきりだした。
「オレ一人で十分だ。充、おまえは学校に帰って、美恵を家まで送ってくれ。そろそろ部活が終る頃だ」


こうして沼井は本日限りのナイトを演じるはめになってしまったのだ。
それにしても……沼井は思った。
やっぱ美人だな……あの時と全然かわってない。むしろ、ずっと綺麗になったくらいだ。









1年前---たまたま、その日は朝から学校にいた(桐山はさぼりだった)
「喜べ男子!!転校生を紹介するぞ」
「女?もちろん美人だよな!!」
「オレ色っぽい女がいいな」
「オレは清純なのが好みだ」
「まあまあ、そう急くな。天瀬入っていいぞ」
ガラッ、開かれた扉にクラス中の視線が集中した。静寂が流れる。
天瀬美恵です。よろしく」
静寂が一気に歓声に変わった。
「嘘だろ!!すっげぇ美人!!」
「相馬や千草の上いってるぜ!!!」
「オレ好みだーーー!!!」


ガッターーンッ!!
歓声とは全く別の音響にクラス中の視線が転校生からクラスの左最後方に移行した。
同時に床に倒れる椅子、そして立ち上がっている男。
周囲の視線には全く気付かず、ただ一点のみを見詰めている。
それは茫然自失に近い状態だった。
それでも、男はただ一点を---彼女を見ていた。ただ見入っていた。


「おい充どうしたんだよ?」
「大丈夫か?」
心配そうにささやく笹岡や黒長の声も届かない。


ふぅ…しょうがないわねぇ…


「センセー」
「んっ?なんだ月岡」
「実は沼井君、朝から気分が悪いって言ってたの。保健室に連れて行ってあげていいかしら?」
「なんだ。それなら早く言えばいいのに。よし行っていいぞ」


「クスクス」
「な、なんだよヅキ、気持ち悪いな」
「惚れちゃったのね沼井クン」
「えっ?」
「美人だものねぇ、美恵ちゃん。ヒ・ト・メ・ボ・レ」
「ふ、ふざけんじゃねぇ!!変なこと言うとぶっ飛ばすぞ!!!」
「あーら、怖い。じゃあ違うって言うのかしら?」
「あ、当たり前だろ!!」
「そう良かったわ」
「なんでだよ」
「だって美恵ちゃん、すごい美人でしょ。おまけに上品だし頭も良さそうだし、アタシたちロクデナシとは住む世界が全然違うって感じじゃない」
「………」
「はっきり言って沼井クンには高嶺の花よ。もし好きになっちゃったら、つらいだけだもの。
だから本気になる前に忠告しておきたかったのよ」
「……惚れるわけねえだろ、あんな上等な女。オレだって、そのくらいの分別はあるんだよ」
「それ聞いて安心したわ」


それくらい、わかってるよ……オレみたいな男、相手になんかしてくれないって……わかってるよ……


美恵の席は桐山の隣だった。桐山が姿を現したのは二日後だったが、二人が急接近していったのは誰の目にも明らかで、半年もすると二人は『クラスメイト』から『恋人』に昇格していた。それも、すこぶる仲のいい。


「いいなぁボス」
「あーあ、オレも一度でいいから、あんな、いい女と付き合ってみたいぜ」
「バッカねぇ、あんたたち。そういうセリフは桐山くんくらいレベルの高い男になってから言いなさいよ」
「……ヅキのいうとおりだ。お似合いだよ、あの二人……」
ヅキの言ったとおりだ。まったくもってオレには高嶺の花。とどかぬ枝そのものだよ。









「沼井君!」
「……えっ?」
「どうかしたの?さっきから上の空で、話し掛けても返事もしないなんて」
「あっ……悪い。ちょっと考え事してたから……あ、あのさぁ天瀬……その…」


言いかけて、ちょっと躊躇して、そして戸惑いながらも口にした。
「ボスは何て言ったんだ?その…あんたと付き合う時」
美恵は、やはり戸惑い、ちょっと頬を染め、そして笑顔で言った。
「……『オレと付き合って欲しい』って…」









何もかも他人より秀でている完璧な男。全てを超越した天才。
しかし、愛を結んだ、その言葉は何の飾り気もない平凡で簡単な一言。
『ああ、そうか……』
でも、それは紛れも無い真実の心
『そうだよな……たった一言でいいんだよな』
感情を知らなかった男が初めて口にした愛の言葉
『たった一言だったのに……』
オレには言えなかった……









「ヒューヒュー、みせつけてくれんじゃないか」
「「!」」
背後に数人の気配。二人は同時に振り向いた。
5人の男、それもいやらしい薄笑いを浮かべた。一見して危ない連中だと感じた沼井は反射的に美恵を守るように彼女の正面に立った。
「わぉ♪すごい美人。オレ好み」
「なあ彼女ぉ、オレたちと遊ばない?」
「ふざけるな!!」
「ああ?なんだ、てめぇは?この女の彼氏か?」
「ずいぶん不釣合いだな。なあ彼女、オレたちの方がイケてるぜ」
「ざけんじゃねえよ!!こいつを誰の女だと思ってるんだ?!この女は…」


『桐山和雄の女だぞ!!てめえら、それでも手だそうっていうのか?!!』


そのセリフをはけば終るはずだった。城岩町で桐山の名を知らぬ者はいない。


オレ…オレは…


「はあ?誰の女だって?」


ボスはいつだって守ってきた……


「何黙ってんだよ?」


たった一人の大切な女を……ボスは自分の力で守ってた……


「いつまで黙ってやがる!!さっさと女おいて……うっ!」
連中の頭らしい茶髪の男がうめいて、その場に倒れこんだ。
「て、てめえ!!やりやがったな!!やっちまえっ!!!!!」
天瀬逃げろっ!!!!!」
「沼井君!!」
沼井は男たちにタックルをかました。沼井の急襲はさらに続く。
頭だ!!群れてる奴らをやるのは、敵の首領を最初に片付けるんだ!!
他の奴らには目もくれず沼井は茶髪の男に殴りかかった!!
右頬!左頬!顎!胸!みぞおち!
「…ゲッ…!…グッグボッ…!!」
沼井の強烈なパンチが決るたびに、呻き声をあげる男。
その勢いに他の連中も一瞬ひるんだ。だが、それは一瞬でしかなかった。


「おとなしくしろっ!!この女がどうなってもいいのか!!」
成績は悪いが、ケンカには自信がある沼井。しかし、それはあくまでもサシの勝負の場合だ。
美恵を人質にとられたことに気を取られた一瞬の隙をつかれ、あっという間に周囲を囲まれた。
よろめきながらも、目をぎらつかせ、ゆっくりと立ち上がる茶髪の男。
「よくもやってくれたな……思い知らせてやる!!」
それが合図だった。いっせいに男たちが沼井に襲いかかった。まるでサンドバッグだ。


「沼井君!!……やめなさい、この卑怯者!!それでも男なのっ?!!」
茶髪の男が、こちらに振り向いた。いやらしい薄笑いを浮かべながら。
男の一人に背後から左肩と右腕を掴まれ身動きできない美恵に近づき、顎を乱暴につかみ上げ、その美しい顔をまじまじと見詰めた。
美恵は、その無礼者をキッと睨みつけ、尚も不服従と敵意を露にした。だが、その行為は男をさらに刺激した。


「……美人の上に随分勝気だな。ますます気に入ったぜ。オレの女になれ。本気で惚れた」
「ふざけないで……さっき沼井君が言ったこと、もう忘れたの?」
「ああ、彼氏持ちだったっけ?関係ねぇよ。オレが片付けてやる」
「笑わせないで、手下なしじゃ行動おこせないような男なんて最低よ。私の和雄と大違いだわ!!」
「なんだと!!言わせておけば調子づきやがって!!おとなしく言うこと聞け!!」
「……や、やめろ!!頼むから…やめてくれ!!オレはどうなってもいい……天瀬……天瀬にだけは……手…をだすな……」
「うるさい、てめえも黙ってろ!!」
怒り心頭のあまり凶暴化した男が右足を大きく振り上げた。沼井は反射的に目を閉じた。



もう…ダメだ……ごめんボス……ごめん天瀬……



ズザァァァァァーーー!!!!!



激しい砂ぼこりを上げながら人間の体が、顔を地面にこすりつけながら、数メートル滑りこんだ。


えっ?


数秒後、その場にいた全員が目にしたのは、鼻と口から出血し、地面に横たわって気をうしなっている茶髪の男の姿だった。


オレ…無事だ。何が起きたんだ?


沼井はゆっくりと顔を上げた。




「……ボ、ボス!!」
一瞬にして絶望は歓喜に変わった。
「和雄!!」
美恵も叫んだ。愛しいひとの名を。
桐山が美恵を捕らえている男を睨んだ。無表情だが、その瞳の奥は怒りに満ちている。もっとも美恵にしかわからないが。
美恵を離せ」
静かだが威厳のある声。そのただならぬ威圧感に、男の驚愕は一気に恐怖と変わり、そして加速した。
「う、動くな!!動いたら、この女を……!!」
それは一瞬の出来事だった。さながらアクション映画を早送りにしたように桐山の拳が男の顔面にヒットし、男は白目を剥いて倒れこむ。
「遅くなって、すまなかったな」
「……和雄!!」
すかさず桐山の首に手を回す美恵。


「ひっ……!!に、逃げろっ!!!」
他の連中は捨てゼリフを吐く間もなく猛ダッシュ。後に残るは気絶した身の程知らず2名および桐山と美恵、そして……


「沼井君!」
美恵は傷だらけの沼井の元に駆け寄った。右頬は腫れ上がり口元には血が滲んでいる。
おそらく学生服の下は痣だらけだろう。
「ごめんなさい…私のせいで」
天瀬のせいじゃねぇよ……」
「でも、私を守るために」
「あんたを守ったのはボスだ。オレじゃない……オレは守ってやれなかったもんな…… ボスが来てくれなかったら、どうなってたか……オレこそ悪いな、あんたを守ってやれなくて、 オレ…情けない男だよ」
「そんなこと無い…沼井君は精一杯のことをしてくれたわ。私嬉しかった……ありがとう」




ふいに柔らかいものが沼井の頬にふれた。


えっ?


「本当にありがとう」


ええっ?


「い、今っ?…今、その……」


頬とはいえ確かに……


「自分を守ってくれた騎士に感謝のしるし」




「で、でも……ボ、ボスの…ボスの目の前で……」
「和雄は、そんな心の狭い男じゃないわよ」
「で、でも…」
「これからも守ってね。沼井君」
「あ…ああ…」


にこっと微笑むと美恵は桐山の元に駆け寄り、彼の腕に自分のそれを絡ませた。
「妬ける?」
「いや……でも、なんとなく落ち着かないんだ」




そっと頬に手をあてる…彼女の唇の感触がまだ残っているような……柔らかくて、とても温かい……




沼井は立ち上がった。


天瀬!!!」
美恵が振り向く。
「オレなんかで良かったら、これからも守るよ!!これから、ずっと!!何度でも!!」









天瀬、オレおまえが好きだ

大好きだ

世界で一番おまえが好きだ

だからオレおまえを守るよ

これからもずっと

あんたが愛してるのはボスだ

ボスもあんたを愛してる

でもオレもあんたが好きなんだ

ボスと同じくらい大事なひとなんだ

ボスと同じくらい、あんたを好きなんだ

二人を邪魔しようなんて気はさらさらない

二人の幸せはオレの喜びでもあるんだ

だから…また騎士ってやつ、やらせてくれよ

友達…いや、恋人の手下っていう認識でもいい

あんたのそばにいさせてくれよ

それなら、かまわないだろ?








それは一つの恋が終った瞬間、いや正確にいうと恋がもっと大きくて深い何かに変わった瞬間だった。
そして大人になってゆくのだ少年は……








でも、ボス……ちょっと目が怖いっス……








メデタシメデタシ


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