下校時間 いつもと変わらぬ風景
されどいつもとは違う、 ざわめく男子生徒たち
校門の前、そこには

一人の女がたっていた




愛と青春の旅立ち―前編―




「オラオラァ!!ボスのお通りだ、道明けろ!!」
粗暴な笹川の怒鳴り声。脇にそれる生徒たち
いつもの風景だ
しかし、それとは別のどよめきが聞こえた
校門の前――から




まだまだ青臭い男子中学生には少々刺激が強いだろう
女だてらに自動二輪、 そのバイクスーツが均整のとれた見事なプロポーションをさらに際立たせている
顔は、ヘルメットでわからないが、とにかく素晴らしい肉体だ
背も高い。大学生か、社会人か、とにかく大人の女には間違いない




それは桐山が校門をくぐった時だった
「桐山和雄!!」
はっきりとした澄んだ声
生徒たちは驚愕した
なにしろ、その名前の主は泣く子も黙る……




「オレに用かな?」
「ええ」
そう言って、女がヘルメットをとった
パサァと髪があらわれる
桐山ファミリーも一般生徒たちも息を飲んだ

すごい美人だ

千草貴子よりも、相馬光子よりも
中学生にはない大人の魅力が内面から溢れている




「おひさしぶり。私のこと覚えていて?」
天瀬美恵」
「覚えていたの。光栄だわ」
「何の用だ」
「話があるのよ。とにかく場所を移しましょ」
「そうか、わかった」
そう言うと、桐山は沼井に向かって鞄をなげた
「ボス?」
「預かっててくれ」
そう言うと、そのままバイクにまたがる




「どうした?乗らないのか?」

乗らないのかって……あなた運転するつもり?

桐山はハンドルを握っている
半ば呆れながらも 美恵は桐山にヘルメットを渡し
自分は後座席にまたがり桐山の腰に腕を回した




すぐにエンジンが鳴り響き、その場から消える二人
数秒後「ボスが誘拐された!!」とわめく沼井

……違うだろ














着いた場所は海辺だった
瀬戸内海特有の穏やかで綺麗な海
「綺麗でしょ。日が沈む頃には、また違った顔を見せわ」
青い海、青い空、そんな形容詞
「海も空も、この蒼さが嘘みたいに真っ赤に染まるのよ」
相手が詩人なら、さぞ話も弾むだろうが、 もちろん桐山は、その類ではない
「話があるんじゃなかったのか?」
ホントに無愛想な男ね
そう思いながらも美恵は先ほどとは違った真剣な目を桐山に向けた







「例の件、どうしても受けたいのよ」
例の件、それは桐山家恒例の特殊教育の一つだ
桐山の父親は、彼にあらゆる特殊教育を施してきた
ありとあらゆる学問から、この年齢には不釣合いの帝王学
良家の御曹司に相応しい立居振舞やマナー
身を守る為の護身術に到るまで
そんな桐山には絶えず複数の家庭教師がいた




そして、また新しい家庭教師を迎えることになったのだが
いつもと違うのは今までの家庭教師は大学教授とか士官経験者だったのに
新しく集められた家庭教師候補は女子大生という一般的な者たちだった
(もちろん一流大学の成績優秀者ではあるが)
先週のことだ、父に、その候補者たちと面会させられた




「この中の一人が、おまえの新しい家庭教師になるんだ」
そして、こうも言った
「来週決めるが、一応おまえの意見も聞いておこうとおもってな。誰がいい?」
笹川あたりが見たら「こんな美人、迷うよなぁ」と言うだろうが
もちろん桐山に、その才色兼備の女たちに対する興味は無かった







「お父様は、まだ決めかねてらっしゃるのよ」
「だからオレに決めろというのか?用はそれだけか」
「もう一つ」
「何だ?」
「もう済んだわ」
「?」
ほんの少しだけ眉を持ち上げる桐山、多分虚をつかれたのだろう




「あなたと話をしてみたかったの。
だって、もしも決ったら長い時間、あなとと一緒にいることになるのよ。
どんな人間なのか見ておきたかったのよ」




少し日が傾きかけた、少しだが海が染まる
「見て!」
桐山は美恵が視線を投げかけた海に瞳をうつした
「ね、綺麗でしょう?私、大好きなのよ、この風景」
風にたなびく髪を耳元で押さえながら、海に見入っている美恵は、とても綺麗だった
少しだけ、そう少しだけ桐山は、その横顔に好奇心をひかれた
それが何なのか、わからなかったが
ただ、その日の夜、桐山は自分から父の書斎に赴き
そして次の日には新しい家庭教師は美恵に決ったのだ














「……できたぞ」
「もう?ずいぶん速いのね」
桐山が差し出したテキストを見て驚愕する美恵、全問正解だ


すごい……家庭教師なんて、いらないじゃない




美恵が、この仕事について三ヶ月になった
その間、わかったことが二つある
14歳の中学生相手にくやしいけど、桐山は
(5歳年上で一流大学トップクラスの)
自分よりも、はるかに教養や学識があるということ
正直に言ってしまえば、自分など必要ないと云う事だ
そして、もう一つ――これは美恵が直感的に感じていたのだが
桐山和雄――彼は何かが、人間的な何かが欠けていた




もっとも、この仕事についた時、桐山の父はこう言った
「あれには、あらゆる教育をしたが、そのせいか一般常識が少し欠けていてね。
これから社会に出て、私の後を継ぐべき人間がそれでは困る。
先生には、勉強の他に世間的なことも教えてもらいたい」




最初はどういうことなのか分からなかったが今はわかる
それにしても、あの父親、最初見た時は物静かな紳士ではあるけど、
人間的な温かみが欠けている、
世にいう家庭を全く顧みない仕事人間、そう思った
美恵は少し嬉しかった、何となく冷たい親子関係かと思ったが
父親は息子のことを心配していると安堵したのだ

それにしても――どうして桐山は……こんなにも笑わないのだろう
せっかく絶世の美形に生まれたのに







「和雄くん、少し街を歩かない?」
「なぜだ?」
「気分転換よ。そうだわ、バイクで、ちょっと遠くまで行かない?」
「………」
「どうしたの?」
「いや、おまえのような家庭教師は初めてだと思ったんだ。
父も他の者も仕事以外の事はしないからな」
「そう……」
美恵は急に桐山が可哀想になってきた














「ほら、素敵でしょ。日が沈む寸前、ほんの僅かな時間しか見れないのよ」
真っ赤に燃える空、そして海……
「いつか、あなたに愛するひとが出来たら、連れて来ればいいわ。きっと喜ぶわよ」
「……愛する?」
「恋人よ。あなたくらいハンサムだったら、きっと素敵な恋人が出来るわよ」
「……わからないな」
「あら、謙遜してるの?あなたみたいないい男、女がほかっておくわけじゃない」




「そうじゃない。オレは、そういうことがわからないんだ」
「えっ?」
美恵はオレに愛する人が出来たらといったが、オレにはわからない」
美恵は黙って聞いた。桐山は珍しく多く喋った
「映画や小説には必ず『愛』が出てくる
特別な相手にしか使わない言葉だということは理解できるが、
オレはそういうことを感じたことがない。いや、他の感情も全部だ」
「……………」
「『愛』には形がないからな。形のないものの存在はオレには理解できない、オレは……」




「オレは欠落した人間なのか?」




美恵は衝撃だった
今まで読んだ小説の中にも映画の中にも

これほど悲しい言葉はなかった




「……和雄くん」
ゆっくりと美恵は口を開いた
「この世に完璧な人間なんていないわ」
一つ一つを大切に言葉にした
「だからこそ、ひとは愛し合うのよ。お互いの欠点を補い合うためにね」
「オレは誰も愛せないし、誰にも愛してもらったことはない」







「愛なんてわからないんだ」







太陽は、すでに沈んでいた。冷たい風が頬にあたる
「寒いな。帰ったほうがいいだろう」
桐山が立ち上がろうとした時だ

美恵が後ろから包み込むように抱きしめていた


背中越しに温かいものを感じる
体温とは違う、温かいものが……


桐山は無表情のまま、その抱擁に身を任せていたが
瞼を閉じると無意識に自分の身体に回された、その腕にそっと自分の手を重ねた






「これが私の『愛』よ」