「……美恵、じゃあ言ってくるから」
ベッドの上に横たわる彼女は何も言ってくれなかった。
「……すぐに戻ってくる。たったの三日だ」
一言も答えてくれない。
「……そしたら、またずっと一緒だ」
見てもくれない。その瞳は固く閉じたまま。
「……愛している美恵」
重ねた唇は冷たかった――。
~理由~
美恵と出会ったのは雨の日だった――。
「……ねえ、どうしたの?」
いつものようにムシャクシャして、いつものようにただ街の中を歩いていた。
そしていつものようにガラの悪い連中に絡まれた。
その後のことはいつもと同じ。
相手は9人いた。まとめて半殺しにしてやった。
オレは唇を少し切っただけ。いつものことだった。
ただ一つ違う事は、公園の隅のベンチで雨に濡れて座っていたら女が声を掛けてきたこと。
それだけがいつもと違った。
「…………」
オレは何も答えなかった。
「……血が出てるわよ」
ただ黙っていたが、少しだけうっとおしいと思って女の顔を見上げた。
「これ」
白いハンカチを差し出された。
「何があったのか知らないけど……でも、ケンカなんてあんまりしないでね。
あなたの大切なひとたちが悲しむから。じゃあ……」
そう言ってハンカチを握らせた。しかも持っていた傘まで。
「私、家近くだから」
そう言って笑顔を浮かべて走っていった。
なぜだからわからないが、その笑顔が焼きついた。
渡されたハンカチは、とてもいい匂いがしていた。
――それから半年がたっていた。
「ごめんね、まった和雄?」
「……いや」
あの雨の日のことがきっかけでオレは美恵と付き合うようになっていた。
付き合うといっても今時珍しい健全で真面目なお付き合いだった。
少なくても美恵にとっては。
だがオレは違った。自分でも気付いていた。
溜まらなく美恵を欲しがっている自分に。
美恵はオレとは何もかも正反対の女だった。
いい家のお嬢さまで、汚い世間から隔離されて純粋培養された天使。
無邪気で穢れを知らない。比べるとオレは悪魔だ。
他人を傷つけずにはいられない。
ケンカを売ってくるのは大抵相手のほうだった。
だが、オレは内心面白くて仕方なかった。
どんなに相手が泣こうが喚こうが許しを請おうがメチャクチャに破壊する。
骨が折れ、顔の形が変わり、血を噴出して泣き叫ぶ連中を見るのは面白かった。
何かに執着することがないオレ。
そのオレが面白いと思う唯一の瞬間、それは相手を壊したとき。
メチャクチャに血だるまにしてやる。それが唯一面白いと思う瞬間。
そのオレが初めて他のものを破壊したいと思うようになっていた。
それは―― 美恵。穢れを知らない純粋無垢な天使。
オレは溜まらなく壊したかった、美恵を。
だが殴ったり蹴ったり血を流させる破壊じゃない。
穢れを知らない魂と心に相応しくまだ男を知らない肉体を汚したかった。
あの肉体にオレを刻み付けてやりたかった。
「……いやっ!」
そのチャンスが訪れたとき、オレはこれ以上ないくらい悦びを感じていた。
美恵はどういうわけかオレを信じていた。だから簡単だった。
オレが一人暮らししているマンションに連れて来た。
ベッドに押し倒して服を引き裂いて無理やり唇を奪った。
もちろん、これだけじゃ終わらない。
全てを奪ってやる。全てを破壊してやる。
その為にここに連れて来た――それなのに。
「……ぅ」
美恵の涙を見た瞬間、何も出来なくなった――。
「……お願いやめて」
……泣くな。
「……こんなのは嫌」
……泣くな。
「……あなたを嫌いにさせないで」
――嫌わないでくれ。
「……泣くな。もうしない」
オレは美恵を抱きしめて、その髪をそっと撫でていた――。
それ以来、オレは無理やり美恵を壊そうとしなくなった。
肩を抱き寄せれば美恵は頬を染めながらそっとオレの胸に顔を埋める。
それだけで満足できた。
自分でも驚きだ。もちろん、それだけでは終わりたくない。
本当は抱きたくて仕方なかった。
でも、あの時のように美恵を傷つけると思うとできなかった。
いつか美恵がその気になってくれるまで待とう。
そんな気持ちになれるなんて自分が一番信じられなかった――。
「ほら見て和雄、綺麗でしょう?」
白い花を花瓶にさして微笑む美恵。
「和雄の部屋殺風景過ぎるもの。でも、これで少しは明るくなるでしょ?」
花なんかどうでもいい。おまえがいるだけで空気が温かくなる。
「美恵のほうがずっと綺麗だ」
「……バカ」
赤くなって恥ずかしそうに俯く美恵。
オレは嘘は言わない。おまえは本当に綺麗だ。
その心も魂も。黒く染まりきったオレですら浄化されてしまいそうな天使。
おまえ無しではオレはもう生きていけない。
おまえがいなくなったらオレはきっと心が壊れてしまうだろう。
――オ マ エ ガ イ ナ ケ レ バ コ ワ レ テ シ マ ウ――
『……やめて……っ』
泣いていた。
『お願い…嫌……っ!!』
それでも止めなかった。
『お願いやめて和雄……っ!!!!!』
オレは美恵を力ずくで手に入れた。
美恵が泣いても叫んでも止めなかった。
どんな手段を使ってでも手離したくなかった。
美恵には婚約者がいた。
美恵の全てを手に入れる権利をもつ男が―ー。
親が決めた婚約者。美恵でさえ存在を知らなかった相手。
オレの事が美恵の両親にばれたとき、二人は躍起になってオレと美恵を引き離そうとした。
『あんな得体のしれない男と』
『おまえはこの家に泥を塗る気か?』
『何も言わないからあの男とはきっぱり縁をきってこれからは一郎くんと仲良くしなさい』
『それがおまえの一番の幸せなんだよ』
美恵はオレを見捨てなかった。
だがそれでもオレは心の中に芽生えた不安を消す事が出来なかった。
美恵の相手は世間的にも社会的にもオレとは次元が違う。
家柄、学歴、社会的地位……全てを持っている。
オレにあるのは美恵への執着だけ。
他には何も無い。
いつか、オレに愛想をつかしてあいつのところに行ったら?
オレにしか許さなかったその唇をあいつに許すようになるのか?
そして、その身体をあいつに開くようになるのか?
そう考えるようになった。
そう考えるだけで――。
――キ ガ ク ル イ ソ ウ ダ ッ タ――
だからその前に美恵の全てを奪いつくした。
二度とオレからはなれないようにずっとそばに置いておく。
オレは美恵を無理やり犯し、そして攫って逃げた。
人口の少ない小さな田舎町。
そこで地下室のある小さな家を買った。
美恵を地下室に閉じ込めて外には出さないようにした。
そしてオレは極力外出しないようにした。
オレが家を空けたら、その間にあいつらがきて美恵を連れ戻すかもしれない。
嫌だ、そんなことは。
だから二度と外には出さない。
オレ以外の誰にも見せないし、声も聞かせない。
ずっと一緒だ。ずっと二人っきり――だ。
一日中見張るようにそばにいた。
オレは美恵の言う事は大抵はきいてきた。
でも美恵が外に出してと懇願してもそれだけは許さなかった。
そして朝も昼も、当然のように夜もあいつを抱いた。
美恵は以前よりも華奢になって蒼白くなっていった。
オレはそんな美恵には全く気付かなかった。
ただ、これから一生誰にも邪魔されずに一緒にいられる。
それだけが嬉しかった。
しかし生活するには金が要る。
美恵と二人で生きている為に必要な金が。
でも家をなるべく空けたくないし、できない。
選んだ手段、それは――
『バトルロワイアル』
三日。たった三日間、政府のゲームに参加するだけで一年分の生活費がでる。
しかもオレが大好きな殺し。
趣味と実益を兼ねた仕事。
オレには生きがいは二つしかない。
美恵と――そして、ひとを傷つけること。
今は前者のほうがずっと重いけど……。
「……和雄、やめて……ぁ」
今夜も美恵を激しいくらいに抱いた。
「……ぁ……ぅ!」
「……美恵」
今夜はやめてと懇願する美恵を無理やり押し倒し何度も抱いていた。
美恵は呼吸がいつもと違っていたが、それはいつもよりオレが激しいから、そう思っていた。
それなのに、突然美恵が痙攣しだした。
「……美恵?」
「……く、くる……し……」
「美恵!!!?」
ビクビクッ!と身体中に電気が走ったような反応をして。
そして美恵は動かなくなった。
「……美恵?」
「……美恵、起きろ」
美恵がいなくなったらオレは生きていけない――。
「……美恵、声を聞かせてくれ」
美恵がいなくなったらオレは生きる意味がない――。
「……美恵、オレを見てくれ」
美恵がいなくなったら――。
「うわぁぁぁぁーーー!!!!!美恵ーーーっっっ!!!!!!!!!!」
知らなかったんだ。おまえの心臓が弱かったなんて――。
「……美恵、じゃあ言ってくるから」
オレは一番大切なものを失った。
「……すぐに戻ってくる。たったの三日だ」
オレにはもう一つのものしか残ってない、だから行く。
「……そしたら、またずっと一緒だ」
ひとを傷つけることでしか自分の存在理由を知らないから。
「……愛している美恵」
おまえがいなければオレにはもう他にやることがないんだ――。
~FIN~
BACK