早紀子は両手に花束を抱え、よろよろと歩いていた。
それを熱い眼差しで見詰める一人の男がいた。




鎮魂歌―大親町早紀子―




大親町早紀子は国防省長官の孫娘だ。祖母は何代か前の総統の娘という血筋でもある。
家柄、血筋とも優良な上、彼女は大変愛らしい容貌で性格も明るく素直ときている。
人を寄せ付けないオーラがまるでない。
それどころか人懐こく自ら人の輪に加わって幸せそうにいつも笑っている。
そんな彼女が国防省のアイドルと化すのは自然の成り行きだった。
歌が上手いこともあり、よく兵士達の慰安に出向くこともあり国防省外にもファンが数多い。


科学省の江崎寿もその一人だった。
彼は下っ端ゆえに多忙な身ではないことをいい事に、彼女の追っかけをしている。
時々幼馴染が『あんな能天気な女のどこがいいのよ、ばっかじゃない!』と平手打ちをしてくる。
にもかかわらず、早紀子への純愛を貫いている。そう、寿はファン以上の感情を早紀子に抱いていた。
だが、その想いを断ち切らなくてはいけないイベントが起きた。
何と早紀子は他の男とめでたく婚約してしまったのだ。
しかも相手は国防省の超エリート、寿がかなう相手ではない。
寿は涙を飲んで愛する女性の幸せを祝福した。
早紀子の婚約者の名前は菊地直人、国家が誇る特撰兵士である。


(特撰兵士なら早紀子ちゃんの相手にとって不足は無い。お似合いのカップルだ。
おめでとう早紀子ちゃん……じ、じあわせに……うわぁぁん)


寿は心の中で泣いた。その涙も早紀子の幸せの代償と思えば安いものだった。
だが最近、寿は早紀子の分相応な相手と信じていた直人に対して不信感を抱き始めていた。

(……菊地さんって本当に早紀子ちゃんのこと大事に思ってるのか?何か冷たいような気がする)

直人と早紀子がデートしたことは一度もない。それどころか親しく会話しているところすら見た事が無い。
ストーカーのように早紀子の身辺に出没していた寿だからこそ二人の距離に気づいてしまったのだ。
今日も早紀子は一人でお出掛け。直人は反政府組織の尻尾を掴むために長期出張中だ。
ピンクのワンピースに白いポシェットの早紀子はスキップしながら街中を移動していた。




「まるで天使だ……いいなあ菊池さんは、ほんと羨ましいよ」
早紀子は花屋に到着。綺麗な花を片っ端から購入していた。
しかし量まで計算に入れてなかったとみえて両腕で抱えてふらふらしている。
寿は慌てて駆け寄ると荷物係をかってでた。
「まあ見ず知らずの方に。ありがとうございます」
寿は早紀子の非公認ファンクラブの会員で、彼女の慰安コンサートはいつも最前列だ。
それなのに、どうやら覚えてもらえてないらしい。
早紀子は病院に向かっていた。お見舞いである。


「長期入院なの。お世話になったこともある方なので、お話相手になって差し上げたいの」
寿は早紀子の優しさに感動し、直人ほど幸せ者はあるまいとつくづく思った。
(それなのに、こんな可愛い婚約者をほったらかしなんて罰が当たるよ)
早紀子の見舞い相手は特別捜査官の真壁沙耶加だった。
(確か水島さんの彼女だったよな。失礼のないようにしないと俺殺されちゃうよ)
沙耶加は水島の計らいで特別個室に入院していた。
その部屋に一歩はいるなり寿は驚愕した、部屋中ブルーローズでいっぱい!
(い、一本3,150円もするという超高価な花じゃないか!)
先客もいた。国防省秘書室の才媛・妻木美鈴だ。
(た、立花さんの彼女だ。失礼の無いようにしないと)
寿は凍りつくほど緊張した。 美鈴と沙耶加は大人の魅力を持った美女。
早紀子への純愛とは別に、やはり寿も男の子だけあって派手に赤面してしまう。


「わぁ綺麗、どうしたんですか。この青薔薇?」
「克巳が贈ってくれたのよ、『俺の愛情の証だよ』って」
「素敵、水島さんってロマンティックな方なんですね」
早紀子はうっとりしていた。その笑顔も寿の心をくすぐった。
「羨ましいわ。私も直人さんからお花もらいたい」
「早紀子ちゃん、そんなに羨ましがられるほどのものじゃないわよ。
克巳の普段の行状考えたら、こんな時くらい良くしてもらって当然よ」
沙耶加は子供騙しだといわんばかりだったが、幼い早紀子は沙耶加の心の内には気づかなかった。


「でも本当に羨ましいです。直人さんは私が毎日何十通もメールしても返信くれないんですよ。
しかも電話してもいつも通じないんですもの」
寿は内心頭にきた。これでは早紀子が可哀相ではないか。
反して美鈴と沙耶加は淡々としている。
「中尉は任務中ですもの。私用の携帯なんかに出る暇はないんじゃなくて?」
「そうね。私だって克巳が任務中に電話なんかご法度だもの」
早紀子は、「まあ、じゃあお仕事忙しいのかしら?だったら尚更励ましてあげたいのに」と落ち込んでしまった。

(何て可愛いんだ。菊地さん、酷いっすよ……)

「何だか直人さん、婚約してから私に冷たくなったみたいで……」
寿は激しい怒りを感じた。反して美鈴と沙耶加は依然淡々としている。




「でもね早紀子ちゃん、男なんて所詮釣った魚には餌をくれない生き物なのよ」
「そうよ。男が一番優しいのは付き合う直前なんだから」



まだ若い女性の悟りきったような人生論に寿は圧倒された。
「お二人がいうと説得力ありますね」
余計な一言にじろっと睨みつけられ寿は慌てて項垂れた。




「じゃあ立花さんや水島さんもそうなんですか?お二人はいつもお優しいものとばかり」
「優しいわよ。ただし薫は綺麗な女になら誰にでも優しいのよ」
「そうよ。克巳だって同類ね。見境ってものがないんだから」


「思い出すわ……初めて出会った頃、薫はすごく情熱的だった。
毎晩私が帰宅するとマンションの前で薔薇の花束持って待っててくれたのよ」
まるで映画のようなワンシーンに早紀子は目を輝かせ聞き入った。
「最初は年下の坊やだと思って避けていたんだけど……。
彼ったら『あなたに出会って僕は初めて真実の恋を知ったんだ』って言ってくれて。
あの頃は他の女なんか見向きもしないで私に尽くしてくれていたものよ。
私の誕生日の午前零時に電話してきて『世界中の誰よりも早くおめでとうって言いたかった』だなんて。
沙耶加さんには、こんな思い出あるかしら?」


「あら、言ってくれるじゃないの。今、思い出しても克巳との出会いはうっとりするわ。
彼の噂は知っていたから『私は大勢の女の一人はごめんよ』って断ったら何したと思う?
その場で私用の携帯電話を池に捨てたのよ。『俺のメモリには君の電話番号とアドレスだけでいいよ』ってね。
でも私は用心深かったから、きっとパフォーマンスだと思って相手にしなかった。
そして次の日出勤したら国防省は騒然としてて驚いたわ。
克巳ったら、それまで付き合ってた女全員と別れたのよ。私と付き合うためにね。
OKしたら国防省のエントランスホールで私を抱き上げて『彼女が俺の恋人だ!』ですって。
もう恥かしいやら嬉しいやら……」




「「それが今では……」」




「まあ……なんて素敵なの。直人さんは、そんななこと一度もしてくれたことないわ」
うっとりする早紀子とは反比例して二人は怖い形相になっていた。
「三ヶ月もしないうちに真知子なんかと付き合いだして……」
「……薫なんて二ヶ月ももたなかったわよ」
「女ったらし!馬鹿!無節操!」
「女の敵よ、浮気者!!」
余程、日頃のうっぷんがたまっていたのか、室内は思いで語りから悪口大会に移行していた。
「いやあ本当にそうですね。立花さんも水島さんも男として最低ですから」
何気に賛同した寿。が、その瞬間、彼女達の怒りの矛先が変わった。


「そこまでいう事無いでしょう!付き合ってみないと相手の良さなんかわかるわけないじゃないの!!」
「そうよ、あんたみたいな青二才に克巳の何がわかるっていうのよ!彼を侮辱したら許さないわよ!!」


「そ、そんな!」

(さっきまであんなに悪口いってたくせに……お、女のひとって時々わかんなくなるよ~!)


(わかった。言葉は悪くても恋人同士の間には愛情はちゃんとあるんだわ。
直人さんも、お二人のように本当は……だから私のほうから仲良くすればいいのよ)

早紀子のつまらない悩みは簡単に解消した。
それは直人の新たな頭痛の種が芽生えた瞬間でもあった。














「よくやった直人、予定より三日も早くテロ組織壊滅だ。だが、いい気になるなよ」
「わかっている。あんな弱小組織潰すくらい特撰兵士にとっては当然だ」
「そうだ、それでいい」
「それより親父、いつになったら、あの女とのふざけた婚約は解消されるんだ?」
「慌てるな。あの昼行灯が退職するまで辛抱しろ」
「長官の退職?そんな時に婚約解消したら、此方が理不尽だと思われるだろ」
「この際、世間体なんかどうでもいい。おまえと菊池家の将来を考えれば一時の中傷など些細な問題だ。
おまえにしても、あの小娘に付きまとわれるくらいなら誹謗中傷など耐えられないことではないだろう」
「確かに」
任務は終了したが直人に安息の時間は無い。次の任務についての説明を義父から告げられる。
調査書類に目を通しながら、それに耳を傾けていた時だった。


「……誰かくる。足音からして小柄の女だ」
直人は途端に不機嫌になった。
幹部の執務室に来るような女は限られている、容易に相手の正体がわかったからだ。
「直人さん」
弾むような声でノックもせずに扉を開けた早紀子を見て直人は不快感を隠さなかった。
しかし早紀子は上機嫌で直人の向かい側のソファに座った。
「捜しましたわ直人さん、今日は素晴らしいお誘いをしようと思って」
「……俺がここにいることを誰に聞いたんですか?」
「立花さんが快くおしえてくださいました」
直人が険しい視線を再びドアに向けると薫が満面の笑みで立っていた。
そして図々しくも直人の隣に深々と腰掛け「羨ましいな、可愛い恋人がいて」と直人の感情を露骨に逆撫でした。


「直人さん、今度の日曜日二人でディズニーランドに行きましょう。特別招待券を手に入れたのよ」
「……ディ」
直人の口元が引き攣った。
「直人がディズニーランド……だと?」
菊地局長など、まるで薬の禁断症状のように小刻みに震えている。
直人は大きく深呼吸すると、「任務があります」とやんわり断った。
「まあ」
早紀子は口元に手を当て驚いてみせた。
呑気な身分の彼女からしたら日曜日に仕事など信じられないようなのだ。


「安心して。すぐに、おじい様に連絡して直人さんをその任務からはずしてもらいますわ」
「……なっ」
「素晴らしいじゃないか直人。何なら僕が後任を務めてあげてもいいよ」
薫は愉快そうにくすくすと笑っている。それが直人の神経をさらに刺激した。
「……早紀子さん、あなたは知らないだろうが、俺はこの任務の為に何ヶ月もテロ組織を調査してきたんだ」
言外に「余計なことをして仕事の邪魔をするな」と直人はきっぱり通告していた。
どんな鈍い女でも、ここまで言えば理解するだろうと確信してもいた。
だが早紀子は直人の推測を超えた能天気娘だった。
「大丈夫ですわ。だって立花さんが代わりにやってくださるんでしょう?問題ないわ。ね、立花さん?」
「もちろんですよ」
直人の怒りは臨界点を突破した。
みすみす薫なんかに自分が何ヶ月も時間を費やした任務や、それに伴う手柄をくれてやれだと?




「いい加減にしろ。男の仕事を何だと思っているんだ?」




直人の口調は明らかに変化していた。さすがの早紀子もやばい雰囲気を感じ驚いた。
「大事な任務をくだらない私用で放棄するなんて、そんなことが特撰兵士にできると思っているのか!」
「……え、だって……だから、おじい様に」
「国防に関する任務を私的なコネで簡単に取り消すなんて論外だ!
俺が築き上げてきた信用や立場は丸つぶれになる。そんな簡単なこともわからないのか!!」
直人の怒号に早紀子はぽろぽろと泣き出した。
「こんな子供相手に熱くなるなんて駄目じゃないか」
薫だけは面白そうにニヤニヤと笑みを浮かべていた。


「直人、そのくらいにしろ。早紀子さん、申し訳ないが息子は私が仕事一筋の堅物に育てあげた。
任務を放棄するようなまねはしないし、そんなことは私も許さない。
厳しい事をいうようだが理解していただきたい。
しかし、どんな理由があろうと長官のお孫さんに対して非礼だ、あなたも気を悪くしたでしょう。
残念ですが、あなたを泣かせた以上、直人との婚約は白紙に――」
思ってもみない展開に直人は思わず心の中で「ナイス親父!」と絶叫した。

「そんな!悪いのは直人さんじゃありません。婚約破棄なんてとんでもありません!」

直人のささやかな願いは呆気なく音をたてて崩壊した。
薫は必死に笑いを堪えている。それが直人にとって最も腹立たしかった。
「私、間違ってました。これからは直人さんの望む通りにします、任務の邪魔は絶対にしません」
「く、くく……直人……最高のフィアンセじゃないか……ふふ」
(薫……いつか殺す)
早紀子は泣いていたのが嘘のような笑顔を見せ、「お邪魔します」と丁寧に頭を下げて退室した。














帰宅すると早紀子は早速祖父に頼み事をした。
「直人君をおまえの専属ボディガードに?」
「直人さんは責任感が強くて休暇はとれないんですって。だから、おじい様から命令していただきたいの。
いいアイデアでしょう?仕事としてなら直人さんも喜んでくださるわ」
「しかし直人君は特殊工作員だ。個人の専属護衛は彼の仕事の範疇では――」
「そこを、おじい様の力でなんとかして。私、本当は直人さんに休暇とって欲しかったの。
でも間違いだってきづいたわ。だから、直人さんの信念のために公私混合はしたくないの」
「仕方ないな……短期という形なら何とかなるだろう」
「おじい様大好き!」


早紀子は大喜び。きっと直人も喜んでくれるだろうと、うきうきだった。



~END~




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