壮麗な季秋本邸が下品な破壊音に包まれたのは。
「な、何の音だ?!」
読書中だった秋澄は慌てて階下に下りた。すると春樹が冬樹に向かって発砲しているではないか。
「げっ!」
秋澄は慌てて春樹を背後から押さえつけた。
「春樹、やめなさい!冬樹を殺すつもりか!?」
「離せ兄貴!殺す、この野郎、ぶっ殺してやるー!!」
「は、春樹……!冬樹、何してる、早く逃げるんだ!」
「あーはははっ、撃てるものなら撃ってみやがれ」
秋澄の必死の忠告を無視して冬樹は楽しそうに挑発すらしている。
「よくも!よくも銀をー!!八つ裂きにしてやる、このド下種野郎ぉー!!」
銀とは春樹が小学五年生の頃から飼っている愛犬で、虎毛の秋田犬だった。
「春樹、どうしたんだい?」
騒ぎをききつけて、今度は春海が駆けつけてきた。
ライフルを手に興奮しきっている春樹を見ると、すたすたとその眼前にやって来た。
「春樹、落ち着いて」
春海は春樹の顔を両手で包むと、「兄さんに理由をはなしてごらん」と優しく問いかけた。
春海は春樹が特に懐いている優しい兄だ。
怒り狂っていた春樹だったが、春海が抱きしめて「落ち着いて」と諭すと徐々に大人しくなった。
同時に両目からポタポタと涙を流し出した。
「……あいつが、あの野郎が銀を……うわぁぁ兄貴ー!!」
「よしよし」
鎮魂歌―季秋春樹―
春樹と冬樹は犬猿の仲だった。同じ年齢というのも一因だったかもしれない。
最後に生まれた弟達ということで、末っ子特有の甘えん坊と駄々っ子同士。
最悪の性格不一致だったのだ。
大抵は冬樹が手酷い虐めをして、兄達が春樹を庇ってやるというパターンが何年も続いている。
今回にしても例外ではない。二人はまたしても仲違いしていた。
喧嘩の原因は冬樹が春樹の趣味を馬鹿にしたからだ。これも毎度のパターンだった。
そして事件が起きた。春樹が外出から帰ると、いつも飛んでくる愛犬・銀の姿がない。
不思議に思いながらも、春樹は遅い昼食をとっていた。
肉料理を口にしていると、冬樹がニヤニヤしながらやって来た。
春樹はあからさまに顔を背けた。
「よお春樹、また、くだらねえイベントに大金つぎ込んできたのか?」
春樹は無視して食事を続けた。
「上手いか、その肉?」
春樹は無視を続けた。
「おまえの馬鹿犬、姿が見えないだろ。もう帰ってこないかもしれないぜ」
春樹の動きが止まった。そして、ゆっくりと冬樹に視線を合わせた。
「……どういう意味だ?」
「その肉、何の肉か、わかるか?」
春樹は徐々に顔面蒼白になっていった。手はブルブルと震え出している。
とどめを刺すように冬樹は「ワン」と啼きマネをして見せた。
瞬間、春樹の全身の血が一気に逆流した。
そして椅子を倒しながら立ち上がると、食堂の壁に飾られていた祖父のライフル銃を手にしたのだ。
後は説明するまでもない。
「うわぁぁー!兄貴、悔しいよぉ!!俺は、こいつが死ぬまで殴るのをやめない!!」
秋澄は顔面蒼白になった。
「ふ、ふふふ……冬樹……おまえって子は、まさか春樹の犬を……?」
春海は春樹を抱きしめ、その頭を撫でながら溜息をついた。
「冬樹、おまえ本当にそんな酷いことしたの?」
「おい、何の騒ぎだ?」
そこに冬也がやって来た。
「春樹、こいつ、おまえの犬だろ。ちゃんと管理してやれよ」
「ワン!」
春樹はガバッと顔を上げた。
「ぎ、銀、生きていたのか!」
春樹は愛犬を抱きしめて、また泣いた。冬樹は、「ちっ」と舌打ちした。
「さるぐつわされて地下室に閉じ込められていたぞ」
「一週間はばれないと思ったのに」
不満そう呟く冬樹を待っていたのは兄達の非難だった。
「冬樹、ちょっとタチが悪すぎるよ。春樹がかわいそうじゃないか」
「何だと?」
「動物使うなんて、てめえは手段がセコ過ぎるんだよ」
「はあ?」
「春海や冬也の言う通りだ。おまえのやり方は酷すぎる」
いつもは中立な秋澄にまで春樹の肩を持ち、冬樹はぶちきれた。
「ざけんじゃねえよ!喧嘩両成敗じゃないか。いや、どう考えても正当性は俺にある!」
冬樹は思った。
(春樹のヤロ~!もっともっと虐めてやるから覚悟しやがれ!)
「こ、これが!これが幻の……!」
春樹は一冊の漫画を前に緊張と感動で微かに震えていた。
「坊ちゃまは幸運でしたよ。有名な漫画マニアが、たまたま事故死しましてねえ。
遺族がコレクションを私めの元に持って来たんです。
手塚治虫の『新宝島』足塚不二雄(藤子藤雄の旧名)の『UTOPIA』。
もう二度と市場に出ることはない幻のお宝ですよ」
「こ、これが、マニアの間で有名な、あの伝説の……」
春樹は白い手袋をはめると、そっと漫画を手に取った。
「どうでしょうか?お買い上げ頂けますか?」
「勿論だ!金に糸目はつけないぞ!!」
「さすがは、春樹お坊ちゃま」
磨り減りそうなくらいに手を揉む古本屋の姿は、もはや春樹の目には映っていなかった。
(やっと……やっと手に入れた……!)
超大御所漫画家が初期に描いた有名漫画。
その初版本は発行部数も少なく、マニアの間では宝石よりも価値がある。
この、新宝島やUTOPIAも、三百万はするだろうと言われているものだ。
その価格もすごいが、とにかく数があまりにも少な過ぎて発見すらできない。
春樹は季秋家の金とコネをフル活用して捜した。
そして、やっと見つけたのだ。大切そうに漆塗りの桐箱に漫画を入れると、いそいそと自室に向かった。
コレクションルームと化した春樹の部屋。そこは、まさに宝の山だった。
「……さて、と。どこに、しまおうか」
何と言っても超大物漫画家の幻の一品。他の漫画と同じように本棚に入れておくわけにはいかない。
(もっとも、春樹は観音開きの扉付きの高級アンティークな本棚を使用しているのだが)
「やはり、ここは半永久保存の為に金庫にしまっておくべきだよな」
春樹は慎重に桐箱を金庫にしまうと鍵をかけた。
「……ばんざーい!!やった、やった!今日は人生最高の日だー!!」
春樹は、まるで幼子のように中庭に飛び出すと、連続バク転しまくった。
その様子を二階の窓から春海が微笑ましそうに見詰めていた。
「うーん、あいつに、これ以上ないくらい徹底的に精神的ダメージ与えるには……」
「冬樹、何か考え事かい?」
「……なんだ春海兄貴か。俺は今色々と思い悩んでて忙しいんだよ。邪魔しないでくれ」
「それは悪かったね。僕も創作童話のことでアイデアが浮ばなくて困ってたんだ。
気晴らしに庭を眺めていたら、春樹が凄く嬉しそうに飛び回っていてね」
「春樹がぁ?」
冬樹はあからさまに不快は表情をした。
「そんな怖い顔しないで。僕にとっては二人とも可愛い弟なんだ、仲直りしなよ、ね?
春樹は新しい宝物手に入れて大喜びだって。健気じゃないか」
「ふん、あんな紙クズを大金で仕入れやがって。ほんとに馬鹿じゃないのか?」
「駄目だよ、そんなこと言ったら。冬樹にとっては紙クズでも春樹には命の次に大切な宝物なんだから」
「ふーん、そうかよ……ん?」
冬樹の表情がニンマリとおぞましい笑顔になった。
「ねえ冬樹、そろそろ春樹と仲直りしたらどうかな?そうだ、春樹の部屋を掃除してあげるとか」
「ふんふん、掃除ねえ」
冬樹の目がぎらついていた。明らかに恐ろしいことを企んでいる目だった。
「兄さんが協力してあげるよ。僕が春樹をつれて出掛けるから、その間にどう?」
「ああ、いいぜ。兄貴の顔をたててやる。綺麗さっぱり片付けてやるぜ。ククククク」
「そうか、嬉しいな」
こうして春海は春樹を連れて日帰り旅行に出掛けた。
――夕方――
「兄貴と出掛けるなんて久しぶりだったな。ん、何だアレ?」
屋敷の正門からトラックが何台も出てゆくのが見えた。ちり紙交換車のようだ。
しかし春樹は特に気にも留めず、屋敷へ戻った。正門から玄関まで、まだ距離があるのだ。
帰宅すると、そこには会いたくもない顔があった。
「よお、お帰り春樹」
「……冬樹、帰っていたのかよ」
春樹は露骨に嫌な顔をした。
「そんな顔するなよ。おまえの部屋を半日かけて掃除してやったんだぜ」
「掃除?!」
春樹は訝しげな顔をした。その隣では春海がニコニコ笑っている。
「いやぁ、大変だったぜ。でも、そのおかげで、すっきりさわやか」
「…………」
春樹は状況を把握できず冬樹を見詰めていたが、ハッとして自室に向かって全力疾走した。
(まさか!まさか!!まさかぁ!!)
バンと、凄い勢いで扉を開いた。瞬間、春樹は愕然と立ち尽くした。
「……あ、あ」
図書館のごとく本棚がいくつも陳列されてる。それは、いつもの光景だ。
だが肝心の漫画がない!からっぽの本棚が並列しているだけ。
春樹がこよなく愛する少年ジャンプのコミックス(主にバトル漫画)がない、無い、無い!!
「そ、そんな……そんな馬鹿なぁ!!」
物心ついた頃から毎週かかさず買い続け、数百冊にもなった週刊少年ジャンプも跡形も無く消えている。
「お、俺の!俺のジャンプがぁぁ!!……はっ、ま、まさか……!!」
春樹は慌てて隠し扉を開いた。その向こうは、春樹にとって最も大切なお宝コレクション専用部屋。
「うわぁぁぁー!!」
なかった。高級アンティークの本棚にしまっておいた数々の名品が一冊もない!
「な、ない!鉄腕アトムやジャングル大帝の初版本がぁ!!
大物漫画家直筆サイン入りの超レアなお宝漫画まで!!」
春樹は、まさに、どん底に落ちた。だが、その春樹をさらに奈落の底に陥れるものが目に飛び込んだ。
「……あ、あれは」
金庫の扉が開いていたのだ。慌てて駆け寄り桐箱を取り出し蓋を開けた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁー!!」
それは断末魔の叫びだった。
箱の中には漫画どころか、紙キレ1枚入ってなかった――。
「良かったね冬樹、これで春樹も喜んでくれるよ」
「少なくても俺はご機嫌だぜ」
そこに、ドタドタドタ!と、けたたましい足音が猛スピードで近付いてきた。
「冬樹ぃ!!」
現れたのは、まるで何ヶ月も絶海の孤島でサバイバル生活したかのような形相となった春樹だった。
「どこにやった!俺の、俺のコレクションを、貴様どこにやりやがったー!!」
「興奮しすぎだぜ春樹、あんなものにうつつ抜かす年齢じゃないだろ」
「俺があれを収集するのに、どれだけの金と時間と情熱つぎ込んだのかわかってるのかぁ!!?」
「うるせえなあ。だったら弁償してやる、一千万か?二千万か?」
「ふざけるな、金の問題じゃねえ!!どこだ、どこにやりやがったぁぁ!!」
春樹は冬樹の襟首を乱暴に掴み詰め寄った。
「そんなに知りたいか?」
冬樹は勝ち誇ったように、「隣の部屋を見てみな」と言った。
春樹は即座に隣室に通じるドアを蹴り破った。そこにあったのは――。
トイレットペーパーのやま、ヤマ、山!!
「……!!」
「業者に引き取ってもらったんだよ。これで五年はトイレットペーパーに不足しないなあ。
春樹、おまえの趣味が初めて役にたったなあ。あーははははっ!」
「冬樹、笑いすぎだよ。春樹がかわいそうじゃないか。春樹?」
春樹はガクッと両膝を床についた。
しばらく呆然とトイレットペーパーを見詰め――ふいに、その場に倒れた。
「春樹ー!しっかりしろ、兄さんはここにいるぞ!!」
秋澄はベッドに横たわっている春樹の手を握って必死に呼びかけていた。
春樹が意識を失い、すでに半日たとうとしている。
医者の話では一時的なものだから、いずれ目を覚ますだろうと云う事だが、問題はその後だろう。
気絶するほどの精神的ダメージを負ったのだ。目覚めても、ただでは済まないだろう。
「正気に戻ったら自殺しかねないぜ」
「冬也!おまえは何てことを言うんだ!」
「冬ちゃん、秋兄さんに刺激の強いこと言ったら可哀相だろ。
死ぬなんて冗談でも言ったらいかん。俺の予想だと薬に走るんじゃないか?」
「秋利!な、なんて事を!」
「落ち着けよ兄貴、春樹はそこまでヤワじゃねえだろぉ?
精神障害起こしてゴルゴ13の人格が生まれて冬樹と殺し合いしたりしてなあ」
「な、ななな夏樹……!!」
もはや春樹よりも秋澄のほうがショックでどうにかなりそうだった。
頼みの綱は業者に差し向けた部下からの連絡だけだった。
電話の呼び出し音が鳴り響いた。秋澄はビクッと反応した。
「な、夏樹……おまえが出てくれ」
「全く、少しは度胸つけろよ」
夏樹は受話器を取った。吉と出るか凶と出るか。
「喜べ兄貴、ぎりぎりで間に合ったそうだ。春樹のお宝は全部無事に引き取ったとよ」
「そ、そうか!……良かった」
「……兄貴?」
タイミングよく、春樹が目を覚ました。
「春樹、喜べ。おまえのコレクションは無事に保護したぞ」
「……保護?どういうことだよ、それ」
「……え?」
春樹は、冬樹にされた仕打ちを、すっかり忘れていた。
「……何か、嫌なことがあったような気がするんだ……思い出せない」
人間、あまりにもショックが強すぎると記憶を失うという。
春樹にとって、この事件はそれほど衝撃だったのだろう。
秋澄は、これ幸いと春樹が寝込んでいる間にコレクションを全て元の位置に戻させた。
こうして、春樹は何も無かったように日常に戻ったが、不思議な事に一つだけ忘れなかったものがあったのだ。
それは冬樹に対する憎悪と憤怒。
(何だか知らないけど、あいつを八つ裂きにしても飽き足らないような気がする。
何なんだ、この気持ちは?昔から嫌いだったけど、比較にならないくらいムカつく)
春樹は不思議でたまらなかった。
ただ一ついえるのは、この兄弟が再会すれば、必ず血の嵐が吹き荒れるということだだろう。
メデタシメデタシ
END
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