――さん。


意識の彼方から居心地のいい声が聞えてくる。


――薬師丸さん。


ゆっくりと瞼を開いた。女がそこにいた、でも逆光で顔が見えない。
しかしすぐに誰かわかった。全身の細胞がたった一人の女だと告げている。


「……良恵か」

確認する前に彼女の名前が出ていた。


「こんな所で休んでいたんですか?」
「木陰は一番気持ちいいものだぞ」
「それはわかりますけど薬師丸さんが木陰で昼寝なんて意外でした。
絶対に隙は見せないってイメージがあったので」
「隙は見せない。怪しい奴が近付いたらすぐに気づく」
「でも私が声をかけるまで起きなかったですよ」
そう言って微笑む彼女は薬師丸には眩しすぎた。


「……おまえだけだ。他の奴の気配ならすぐに起きた」


「それって私は取るに足らなすぎるって事ですか?」
「そうかもしれないな」
「薬師丸さんでもそんな事いうんですね」


――ああ、そうだ。おまえの気配だけはやすやすと近づけてしまう。
――おまえだけだ。俺が気を許してしまうのは。




鎮魂歌―薬師丸涼―




良恵は薬師丸を信頼し兄のように慕っていた。
海老原に強引なナンパ(実際はそんなかわいいものでは無い。拉致されかけたのだ)から救ってくれたのが薬師丸だ。
それがきっかけで以後親しい関係となっている。
良恵を熱愛している佐伯徹が嫉妬の炎に焦がされるほどだった。




『四期生は素行が悪くて有名なんだ。あんな男と付き合うのはやめなよ』
暇さえあればそう忠告する徹に良恵は半ば呆れながら差しさわりの無い反論をする。
『薬師丸さんだけは違うわ。私を海老原から助けてくれたのも彼なのよ』
『海老原から助けただって?』
良恵はしまったと思った。徹には海老原とのいざこざは秘密にしていたのだ。
理由は簡単。徹の気性を思えば激怒して海老原に殴り込みしかねない。
『……何されたんだい?まさか猥褻な行為じゃないだろうね!』
『ち、違うわ。ちょっとね……たいした事じゃないのよ。本当よ』
『本当だろうね?』
なかなか納得しない徹を黙らせるには苦労したものだ。


『とにかくそういうわけだから。薬師丸さんには他にも色々とお世話になっているのよ』
『どんな世話だか。どうせ君を油断させていつか悪さをするつもりなのさ』
『……徹、あなたにかかると世の中の男は全員悪者なのね』
『俺にはわかる。いいかい君が心から信頼していいのは俺だけだ、忘れないでくれよ』
良恵は溜息をつくしかなかった。徹は薬師丸との交際に反対だった。
それでも良恵は薬師丸と親しくしていた。家族というものと縁が薄い良恵は兄のような存在ができて嬉しかったのだ。
薬師丸も良恵を実の妹のように可愛がってくれた。
時々、軍施設ですれ違う徹が凄い目で睨んでくるが、そんなものに怯むような性格でもない。














「薬師丸先輩」

徹が露骨に敵対心むき出しの表情で声をかけてきた。
睨むだけでは効果ゼロだと悟って直接実力行使にでたのだ。
「単刀直入に言いますよ。どういうつもりなんですか?」
「言っている意味がわからないな」
「先輩にはれっきとした婚約者がいらっしゃるでしょう。それなのに俺の良恵に色目を使う事はやめていただきたい!」
薬師丸は顔色一つ変えなかったが、周囲の兵士や公務員達はぎょっとして二人を見つめた。


「……ギャラリーにスキャンダルを提供してやるつもりはない。場所を変えよう」
「いいですよ」

歩き出した薬師丸。徹は相変わらずムスッとした表情で、その後をついてゆく。

(……良恵に対する佐伯の情熱は噂以上だな)

二度と良恵に近付かないと誓書にサインでもしない限り解放してくれそうもない雰囲気だ。

(俺に真っ向から喧嘩を売れるようになったとは……少年が成長するのは早いものだな)


薬師丸はふと過去のことを思い出した。何年も昔の話ではない。
この徹が、五期生が新しい特選兵士として、その栄光をつかんだ年の話だ――。














「今年の新特選兵士のお披露目パーティーは今週の日曜日に決まった」
担当の大佐が招待状を差し出しながら薬師丸にそう伝えた。
「四年に一度の事とはいえ……神経がすり減るよ」
それが大佐の本音なのだろう。薬師丸は『軟弱だ』思う反面、ほんの少し大佐に同情した。
確かに気の弱い人間にとっては寿命が縮まるイベントなのだから。
軍のお偉いさんが何十人も同席する豪華なパーティーといえば聞えはいい。
問題は、その最後に新特選兵士VS先輩特選兵士の戦闘が行われることだ。
新しい特選兵士が決まるたびに行われる伝統行事。
先輩の特選兵士からの激励を兼ねた洗礼であり、軍の元帥達に対する新特選兵士の戦闘力のお披露目。
だが厳粛なはずのイベントは、その意義とは裏腹に先輩特選兵士の思惑が含まれている。
いずれライバルになる若造が自分達の上に行かないよう、今のうちに恐怖を植えつけようという思惑が。
もっとも、そんな陰湿な思惑にかかるようでは特選兵士など勤まりはしない。
しかし今年は例年に無く悪質な裏があった。














「おい竜也、やっぱりおまえがやるのか?」

そんな声が廊下の角の向こう側から聞え、薬師丸は反射的に足を止めた。
薬師丸はその生まれや育ちから日常生活でも足音や気配を最小限に押さえる癖がある。
その為、海老原とその一味は薬師丸の存在に気づかなかった。
海老原達の会話はどうやら、例の戦闘披露会のことのようだ。
その四期生側の代表、つまり五期生と戦う者の事で盛り上がっているのだろう。
選ばれる規定が特にあるわけではなく、主にやる気があってその世代でトップクラスの戦闘力を持つ者がなる事が多い。


「見てろ。あの人形野郎どもをぶっ殺してやる」
海老原は両手を重ねるとボキボキと指を鳴らした。どうやら本気で晃司達を殺すつもりでいるらしい。
表立って戦闘を申し込めば私闘として咎められるが、試合形式の戦闘中での不幸な事故なら無罪。
それが海老原の狙いだったが、科学省のⅩシリーズが特殊な存在だと知り尽くしている薬師丸は呆れるしかなかった。
確かに海老原は実戦の経験も実績も申し分ない。それしか取り得がないといってもいいくらいだ。
だが、それを差し引いても晃司や秀明の方がはるかに実力が上。薬師丸はそう確信している。
そして、それは正しかった。もっとも海老原は決して認めないだろうが。


「見ろ、これが何かわかるか?」
海老原が懐から小瓶を取り出した。
彼の人格を知っていれば誰もが根拠もなく、それを毒薬だと思うだろう。薬師丸も例外ではない。
「何だよ、それ?すげえやばいのか?」
島村が面白そうに尋ねた。やばいしろものだと思ったのは海老原の手下も同様だ。
「まだ認可が下りてないやつだ。心臓麻痺に見せかけてくれる優れものだぜ」
海老原はあっさり肯定した。そして、それを使う相手も薬師丸はすでに晃司や秀明だと推測していた。


「人形野郎どもは確実にとどめささねえとな」


やはり正解だった。海老原は下劣な人間性の持ち主だ、凶悪で残酷で、だが単純でもある。
「おい竜也、バカなことは考えるなよ」
止めに入ったのは佐々木だった。その理由は人命尊重などというまともなものではない。
佐々木は海老原にとってもっとも付き合いが長く、それゆえ誰よりも海老原には逆らえない。
と、同時に海老原ほど制止のきかない性格ではない。むしろトラブルは嫌っている。
だからこそ海老原が何かやるたびに、さりげなくブレーキ役をかってでる。
しかし海老原が佐々木の忠告を素直に受け入れることは滅多にない。今回もそうだ。

「てめえの慎重論は聞き飽きたぜ敦、てめえは小心者すぎるんだよ。
こいつにかかればどんな名医でも簡単に病死の診断書に判を押すんだ。
あの人形野郎をぶっ殺せるアイテムを使わない手はねえだろ?」


――馬鹿な奴だ。毒など体内に入れなければ役に立たない。
――Ⅹシリーズがそれをおめおめと許してくれると思っているのか?


海老原は返り討ちにあう。そして今まで以上に晃司達を逆恨みするだろう。
薬師丸は黙って立ち去った。Ⅹシリーズに忠告するつもりも必要も無い。














そしてついに披露パーティーの日がやってきた。
海、陸、空軍の元帥達を始め、各界のお偉いさんのありがたくつまらない祝辞が続く。
その後、昼食会を経て、ついに最後にして最も重要なイベントが始まった。


「俺がてめえらクソガキに特選兵士がどんなものか叩き込んでやるぜ」
海老原が立ち上がった。


(馬鹿め、殺気が充満しすぎている。殺害する気だと白状しているようなものだ)


「科学省の人形野郎はまだ来ないのか!?」

Ⅹシリーズはまだ姿を見せてなかった。
海老原の鼻息はさらに荒くなり、担当者である大佐は困惑してハンカチで汗を拭った。


「……海老原、科学省はⅩシリーズを出さないと言ってきおったのだ」
「何だと!?」
「宇佐美長官はこうおっしゃった。『晃司と秀明の強さを測ってもらう必要は無い』と。
彼等の真価は近いうちに戦場で発揮される。今、戦ったら四期生に怪我人がでると――」
戦う価値もないと言われ海老原はカッとなった。
「……ざけやがってええ!!」


(宇佐美に救われたな竜也。やり合っていれば、おまえは敗者になっていた)


納得できない海老原はそばにあった軍の備品をことごとく破壊しだした。
大佐はおろおろと「え、海老原、やめないか」とうろたえるばかり。




「……あれが特選兵士かよ。人間ああはなりたくないよな」
「おい聞えるぞ攻介。本当のことを言ったら失礼だろ、あんなクズでも嫌なことに一応俺達の先輩なんだぜ」

呆れ返っている攻介と俊彦。
表情は平静を装っているが隼人や晶、それに直人も同じ気持ちだろう。
雅信はどうでもいいのか感情の無い目を窓に向けている。
勇二は大人しくしているのにあきたのか、かなりいらいらしていた。
薫は逆にうっすらと笑いさえ浮かべている。おそらく心の中では四期生を馬鹿にしているのだろう。


(あんな醜態を見れば当然の反応だ。しかし、あいつと同類に見られるのはいい気分じゃないな)


薬師丸はこんな場所からはすぐに消えたかった。だが、そんな彼の気持ちを一変させる事がおきた。
徹が笑ったのだ。薫のような薄ら笑いではない、はっきりと嘲笑だとわかる嫌味な笑みだった。
くすっという音が完全に此方にまで聞えてきた。
その途端、戸川が椅子を倒す勢いで立ち上がった。


(――小次郎!)

「……俺が相手になってやる」


徹が直接嘲笑った相手は海老原だ。
だが海老原が四期生の代表に名乗りを上げていた以上、徹は海老原を通して四期生全員を見下した事になる。
プライドの高い戸川には我慢なら無い事だった。
まして、その相手が徹だった事が戸川の感情を余計に刺激していた。


「俺が四期生代表として貴様らに洗礼をくれてやる!」

(――まずいな。小次郎の奴、完全に頭に血が昇っている)

「こんな事で四期生を青二才どもに判断されてたまるか。さあ闘場にあがれ!」


大佐はまだうろたえていたが半ばほっとしていた。
「では戸川に――」
「待って下さい。俺が相手をしてやってもいいんですよ」
余計な体力は使わない主義の水島が挙手していた。

(克巳?)

水島は戸川と違い四期生の体面を守る為に立候補したわけではない。
その証拠に水島の視線の先には直人がいる。


(克巳……あいつ)

嫌な予感がした。それは勘と云うよりも、戦場で鍛えた本能が告げる警鐘だった。

「ちょっと待て克巳。やるのは俺だ、てめえは大人しく引っ込んでろ」
「おや小次郎、どうして俺が君の命令に従わなくちゃいけないんだい?」

どちらも一歩も引きそうも無い。その雰囲気に大佐は再びおろおろと狼狽しだした。


(見世物ショーにかこつけて佐伯徹を殺してやる。邪魔されてたまるか!)
(絶好のチャンスだ。菊地君を今のうちに正々堂々と殺しておけるじゃないか)




――最悪だな。


戸川や水島の真意を察した薬師丸は決意した。




「大佐、俺がやろう」




薬師丸がすっと立ち上がった。戸川と水島は即座に眉をしかめ、海老原も怒りを忘れて暴力の手を止める。
「おお薬師丸、おまえがやってくれるのか」
「頭に血が昇ったり、ましてや私情に走っている輩よりはいいだろう?」
その台詞に戸川は敏感に反応した。目つきが数倍悪くなっている。
水島の方は自らの顎に右拳を軽く当て脚を組んだ体勢で「言ってくれるねえ」とクスクスと笑っている。


「ふざけるんじゃねえ涼!やるのは俺だ!!」
海老原が薬師丸に詰め寄った。
「やるのは俺だ、てめえは黙ってろ!」
「おまえこそ下がっていろ竜也」
薬師丸は淡々と言ってのけた。それが海老原の神経を逆撫でした。
「てめえ!」
怒りの鉄拳が薬師丸の整った顔目掛けて伸びるも直前で止められた。

「忘れたか竜也?」




「俺は四期生筆頭であると同時に貴様より上位の士官だ」




「……!」
「わかったら手を引け」

軍において階級は絶対。例え同期だろうが年下だろうが関係ない。
海老原は忌々しそうに薬師丸を睨み付けたが、薬師丸は全く臆する事は無い。


「二度も言わせるな。おまえは俺に従う立場の人間だ」


戸川はすでに着座していた。
内心は海老原以上に立腹していていたが、空気を読めないほど馬鹿でもない。
「お、おいよせよ竜也。これ以上涼に逆らったら軍法会議にかけられるぞ」
佐々木が小声で忠告してきた。
海老原は面白く無さそうに唾を吐くとズカズカと音をたてながらようやく自席に戻った。
ようやく騒動が治まりほっとした大佐が「では五期生は前に。そうだな……まずは空軍の蛯名から」と指示を出す。




「待ってました!」
攻介が元気いっぱいに闘場にかけあがった。それに続き薬師丸も闘場にあがる。
「薬師丸先輩、あんたと同じ特選兵士になったぜ」
薬師丸を英雄視している少年兵士は大勢いる。攻介もその中の1人だった。
薬師丸のような特選兵士に、いやそれ以上の存在にと必死に自らを鍛えてきたのだ。

「いいだろう。かかって来い」
「そうこなくちゃ。行くぜ!」

攻介が動いた。素晴らしいスピードだった、速攻で勝負を決めようというのだ。
だが――。

「……え?」

首の後ろに鈍い衝撃を感じたのを最後に攻介は意識を失った。


「攻介!」
背後から俊彦が立ち上がっていたが、その声すら攻介には聞えなかった。
一撃だ。たった一撃で攻介の戦いは終わった。

「次」

薬師丸は淡々とそう言った。
担架で運び出される攻介の姿に、お祭り気分だった俊彦は背筋に冷たいものを感じた。
俊彦だけではない。薄笑いを浮かべていた徹や薫は殊勝な表情になっている。
半分眠っていた雅信は嬉しそうに目をギラギラさせ闘場の薬師丸を見上げた。
最初から張り詰めていた緊張感を持っていた直人はますます気持ちを引き締め、逆に勇二はポカーンとしている。


「攻介の馬鹿め。全力以上の力を出し切ってもまともに戦える相手かどうかもわからないのか?」

晶は薬師丸の強さに内心驚愕しながらも、冷静に攻介の醜態の原因を分析していた。

「あいつは薬師丸さんに憧れていた。嬉しかっただけだろう、わかってやれ晶」

隼人自身も薬師丸を一つの目標としているだけに攻介の気持ちはわかる。




「さっさとしろ。次」

薬師丸の強さを目の当たりにしたせいか、威勢の良かった五期生はうかつに動こうとしない。
圧倒されて尻込みしている者もいれば、少し様子を見ようという冷静な者もいる。
そんな中、凄い勢いで闘場にジャンプした者もいた。鳴海雅信だ。
二回転して着地。その顔には狂喜が色濃く浮かび上がっている。


「……おまえ強いな」
「そういうことになっている」

それは奇妙な光景だった。普段、雅信は死んだような目をしている。
だが今は生きている、感情が蘇っているのだ。しかし、それはあまりにもドロドロした負の感情だった。


「……殺してもいいんだな?」


そのとんでもない質問にぎょっとなったギャラリーもいただろう。
普通なら冗談だと思うだろうが、雅信の猟奇的な目つきが彼はジョークとは無縁だと如実に語っている。

「かまわない。おまえに可能ならな」

雅信はニヤッとぞっとするような笑みを浮かべると即座に薬師丸に襲い掛かった。
物心ついた時より殺しだけを教え込まれ、今や殺しに快楽すら感じる狂気の狩人が牙をむいたのだ。
その動きは獲物を一瞬で仕留める黒豹をイメージさせるほどしなやかさ。
流血を伴うものでなければ一種の芸術品と錯覚させてしまうほどの華麗かつ神秘的な魅力があった。
命ある者をグサッと刃物で刺し、徐々に失われてゆく体温を感じる度に雅信は己の存在意義を見出していた。
今度もそうなるはずだった。だがイメージしたはずのナイフの到達点に薬師丸の姿がない。
雅信の表情に初めて驚愕の色が現れた。それは狩人と獲物の立場が逆転した瞬間でもあった。


「後ろだ」


その声に雅信は反射的に肩越しにナイフを突き出した。
だがパキンと鈍い音がして、次の瞬間ナイフの刃が鈍い光を放ちながら空中をくるくると回転していた。
そして、そのナイフの成れの果てが床に落ちる前に雅信はどさっと崩れ落ち動かなくなっていた。
先ほど攻介を運び出した担架チームが再び忙しそうに闘場に駆け上がる。
彼ら以外の人間は静まり返り、四期生最強と云われた薬師丸の強さを再確認させられる羽目になっていた。


(……強い。晃司や秀明も化け物だが、なかなかどうしてこいつもやるじゃないか。
さすがは科学省が作り上げた生粋の人間兵器だけのことはある)

晶は指先が僅かに震えている事に気づいた。
恐怖ではない。自分の全力をかけても勝てるかどうかわからない人間がいるということが不思議にも嬉しかった。
だが、その思いも薬師丸が発した次の言葉で砕け散る事になった。


「面倒だ。全員でかかって来い」


1人ずつではなく全員。薬師丸は大きく出た。
いくら五期生最強の晃司、秀明を含むⅩシリーズが欠席とはいえ随分な言い草だ。
晶はそれを侮辱だと受け取った。いくら経験値が高いとはいえ舐めるにもほどがある。
こちらも伊達や酔狂で特選兵士に就任したわけではない。
持って生まれた才能に加え、血反吐を吐くような努力を重ねここまできたのだ。


「いいから上って来い。その方が時間が短くて済む」


「舐めやがって!」
開口一番、闘場に駆け上がっていたのは勇二だった。
「おい待てよ勇二、1人で!」
俊彦も闘場に飛び乗った。勇二は気に入らない男だが、1人では攻介や雅信の二の舞だ。
「……仕方ないな」
直人も立ち上がるなり上着を振り払うように脱いだ。
「やれやれしょうがないね。僕は多勢でもかまわないよ、言い出したのは先輩の方だしね」
薫は汗をかくのは嫌いだ。かと言って負けるのも嫌。
薬師丸の申し出を自分達の有利だと思いほいほい乗った。
「単純だな薫、おまえほどバカな男はいないよ」
徹は嫌味を言いながら、内心薫と同じ考えだった。


「晶、おまえはいかないのか?」
隼人は上着を脱ぎながら、動こうとしない晶に尋ねた。
「俺は――」
「つまらない意地なら捨てた方がいいぞ」
「何だと?」
「薬師丸さんは本気で俺達全員に勝つつもりでいる。つまらないプライドを優先させてみろ。
この戦いで得るものは何もなくなる」
「…………」
晶は渋々と立ち上がった。
隼人に反発する気持ちがない事もないが、それよりも優先べきことが何かわかっていたのだ。




「後で多勢に無勢でしたなんて吠え面かくなよ!」
最初に飛び出したのは勇二だった。狙うはボディだ。
しかし腕力があると定評のある勇二は、そのパワーを披露することも叶わずカウンターパンチ一発で宙を舞った。
「危ない勇二!」
ひとがいい俊彦は勇二を助けようと落下地点に走った。

「甘いぞ瀬名、軍人には不必要な甘さだ」
「うわぁ!」

敵前で隙を見せた俊彦は簡単に勇二もろとも強烈な蹴りをくらい場外までふっ飛ばされた。


(今だ!)
俊彦とは逆に、勇二がやられた瞬間をチャンスと捉えた者もいた。
それは直人だ。冷静に薬師丸の注意が他の者に向けられる時を待っていたのだ。
攻撃にでるということは守りに隙がでる。それが今だ!
(俊彦、おまえには悪いが捨石になってもらうぞ!)
直人は背後から飛び蹴りを仕掛けた。だが薬師丸は振り向きもせず腕をクロスさせて頭上に突き上げる。
(何だと!?)
直人の作戦は呆気ない結末を迎えた。だが直人と同様、仲間を利用しようと思っていた人間がいた。


「もらった!」
徹が左サイドから攻撃を仕掛けた。
「抜け駆けはさせないよ!」
すかさず薫が右サイドから攻撃、薬師丸は囲まれた。さすがにひとたまりもないはず、だった。

「……なっ!?」
「消えた?!」

薬師丸の姿がなかった。

「上だ!」

隼人が飛んでいた。回転踵落とし、今度こそ決まった。
闘場の隅に飛ばされる薬師丸を見て、さすがの隼人もダメージを与える事に成功したと思った。
だが薬師丸は綺麗に着地。何事もなかったかのように立ち上がった。

「これでどうだ!」

そこに滑り込むように晶が薬師丸の懐に飛び込み左胸、つまり心臓の真上に拳をはなった。
接近戦で確実なダメージを与えようというのだ。薬師丸が僅かにぐらつき晶は思わず笑みを浮かべた。


――しかし。


「今のは少し効いたぞ」
(何だと!?)

決定打ではなかった。晶はしまったと思った。
敵の懐に飛び込むということは、裏を返せば強烈な反撃を受ける危険があるからだ。
その危険は薬師丸にとっては好機、そして好機を逃さないのが特選兵士なのだ。
晶の左胸、心臓の真上に強烈な拳がはいった。晶は何メートルも床を滑るという屈辱を味合わされた。


「晶、戦えるか?」

隼人の問いに、晶は左胸を押さえながら「当然だ」と立ち上がるも、足元は少しふらついている。

「なるほど、おまえ達は今までの連中よりは肝が据わっているらしいな。
時間はある。遠慮なくかかって来い」




それからどのくらい時間がたったたわからない。
数十分かもしれないし数分かもしれない。もしかしたら数時間かもしれない。
水島が欠伸をしながら「やっと終わったか」と冷たく言い放ったが五期生の誰の耳にも聞えなかった。
闘場には薬師丸1人が立っている。五期生は全員ダウンしていた。
完全に力を使い果たし起き上がれない。中には気を失っている者もいる。
薬師丸は静かに歩き出した。晶が悔しそうにやっと上半身を起こし、その背中に叫ぶ。


「三年、いや二年で追い越してみせるからな!」


薬師丸は振り向かなかったが足を止め、「そうか」と短く応えた。

「おまえ達、思ったより見所があるぞ。その気があれば俺が格闘技を教えてやってもいい」

四期生がざわめき始めた。
彼らも四年前に三期生の特選兵士にきつい洗礼を受けたが、そんな言葉は一言もなかった。
ただ、「俺との実力の差がわかっただろう?いいか俺に逆らうな」と念を押されただけだ。
あの時は戸川が晶と同じ台詞を吐き、それを実行することで屈辱を晴らしている。


「いくらでも待ってやるから俺を追い越して見せろ」


「もう一つ言っておくが、挫折はいずれおまえたちの大きな財産になる。それを忘れるな」

しばらくして定期的に薬師丸の元に通う五期生の姿が見られるようになった。














「俺はあの時の青二才じゃありませんよ」
「そうだな。おまえは強くなった」
「試してみますか?今度は試合ではなく本気の殺し合いでも俺は結構ですよ」
徹は半ば本気だった。愛する良恵に近付く男は例外なく排除しようという強烈な意思表示。
「羨ましいな」
「は?」


――俺はおまえのように自分に素直にはなれない。


「徹、おまえ何してんだよ!」
俊彦が駆け寄ってくる。俊彦だけではない隼人も一緒だ。
「何で君達がここにいるんだい?」
「何でって、おまえが薬師丸さんに喧嘩売ったって大騒ぎになってんだよ。
おまえ何してるんだよ。気でも違ったのか?」
「俺は正気だよ。いや、良恵への愛で狂ったかもしれないといえば、そうかもしれないね」
「……あちゃー、おまえって本当にどうしようもないな。
こんな事が良恵の耳に入ったら一番悲しむのはあいつなんだぞ。おまえを大事な友達と思ってるんだ。
その大事な友達が自分のために薬師丸さんに妙な事してるなんて知れてみろよ」
「俊彦、俺は友達じゃない。恋人だよ、間違えるんじゃない!」
「……はいはいわかりました。おまえは恋人だよ、一方的だけどさ」
徹はすっかり頭にきてしまった。
「興ざめしたよ。帰る!」
勝手に激昂して、薬師丸を無視してさっさと立ち去ってしまった。




「……ああいう奴だよ、あいつは。薬師丸さん、悪いな」
「おまえが謝る事はないだろ」
「……そうかもしれないけど」
「あいつは自分の気持ちに忠実なだけなんだろう」


――本当に羨ましいな。


薬師丸は腕時計に視線を移すと立ち上がった。次の任務が迫っている。
「氷室、瀬名、おまえ達も良恵の事が好きか?」
「え!?」
俊彦は一瞬で真っ赤になった。隼人は表情にこそ出さなかったが否定もしなかった。
「あいつに何かあったら守ってやってくれ。どんな事があっても、相手が誰だろうとも」
「当然だよ。あいつは大事な女……あ、いや仲間だからな」
俊彦は頬を赤らめながらも、はっきりと宣言した。

「氷室、おまえはどうだ?」
「言うまでもない」




「その相手が俺でも、その決意に変わりは無いか?」




俊彦は呆然とした。薬師丸の台詞があまりにも予想外かつありえない事なので途惑ったのだろう。
だが隼人は即座にこういった。




「ああ、変わらない。たとえ誰だろうと容赦なく戦う」




俊彦は驚いて「おい隼人」と少々非難じみた声を上げた。
だが薬師丸は安堵したように微笑を浮かべ、「その言葉を忘れるなよ」と立ち上がった。
「もう行く。次の任務の時間が迫っているんだ」
隼人達と薬師丸の間の距離が徐々に広がっていった。


「薬師丸さん」
「何だ?」
「あの時、晶が言った言葉を覚えているか?」
「ああ、覚えている」
「俺もあなたを超える為に全力を尽くしている。俺の目標は薬師丸涼なんだ」
「――それは光栄だな」
薬師丸は淡々とそう言った。














敵の死骸を見下ろしながら薬師丸は無線機で本部に勝利を報告をした。
『よくやった涼。すぐに戻れ、次の任務の説明をしたい』
「了解した。二時間で本部に戻る」
無線機を切り帰途についた瞬間だった。薬師丸は眩暈に襲われ、がくっと大きくバランスを崩した。
無様に倒れかけたが、何とか踏ん張り銃痕だらけの廃墟の壁に背を預ける。

(……俺の体が)

こんな事は初めてでは無い。
薬師丸は懐から小さな小瓶を取り出すと、錠剤を一粒取り出し口に放り込んだ。




『三年、いや二年で追い越してみせるからな!』
『俺もあなたを超える為に全力を尽くしている。俺の目標は薬師丸涼なんだ』




薬師丸は右手で両目を覆った。

(……早く俺に追いついてみせろ)

――もしかしたら、俺はもう……。


「もしかしたら待ってやれないかもしれないからな」




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