「はい。やはり緒方満夫、春日那智、日野定道が頭一つ抜けてます。
次世代の特選兵士になるのは間違いないですね」
「当然だな」
会議室に宇佐美の笑い声が響き渡った。
「それから経費削減のために使い物にならなくなったメンバーズは民間の精神病院に移送しようと思うのですが」
「元に戻る可能性はないんだな?」
「はい。例え正気に戻ったとしても以前のようにはならないでしょう」
「いいだろう。早々に廃棄処分にするがいい」
鎮魂歌―春日那智&日野定道―
那智はスパゲッティに大量のタバスコをかけていた。
「よくそんなの食えるな。俺やだよ、寿命縮まるもん」
定道はドレッシングもかかってない無農薬野菜を丸かじりしながらそう言った。
「おまえの方が不思議だよ。よく、そんなもんで我慢できるよな。俺だったら絶対欲求不満になる」
「何で?ベジタリアンやってれば成人病にならない。那智は将来絶対に腎臓壊すよ」
「おまえみたいのを草食系っていうんだよな」
そう言いながら那智はステーキをナイフで豪快に突き刺しフォークのように持ち上げかぶりついた。
「美味美味。やっぱ食事はこうでなきゃあな」
「那智、ご飯こぼすなよ。それからコップは同じ位置におけよ」
「おまえっていちいちうるせえ。刺すぞ」
科学省のメンバーズ住居区の一角。来須美緒に宛がわれた家屋で毎晩繰り広げられる光景。
科学省で生まれ育った人間、通称メンバーズ。彼等に人生を選択する権利はない。
だが、れなりの実績を上げれば他のメンバーズよりましな生活をすることができる。
他のメンバーズ達は今だに集団生活を余儀なくされ窮屈な毎日を送っている。
そんな中、彼等は比較的普通の生活を送ることができた。
訓練さえきっちりこなせば、それ以外は自由時間。プライベートも持てる。
その上、外出も(一定の規則こそあるが)容易に可能なのだ。
那智と定道は優秀だった、それゆえに大目にみてもらえているのは事実。
しかし、自由な身の上になれるのは一般の子供が義務教育を終える年齢にならなければ通常は無理。
彼等がなぜ例外なのかといえば、自由の身になったメンバーズが引き取ってくれたからだ。
けたたましく扉が開け放たれた音が聞こえ、二人は玄関に向かった。
露出度の高い服を着た女が廊下に横たわっている。
「美緒さん、また飲んだの?」
定道が彼女の横にちょこんと座って尋ねた。
「酒の飲み過ぎは良くないよ。美緒さんってナイスバディだけが取り柄なんだろ、崩れても知らないよ」
「……うるさいわね。飲まずにいられないことだってあるのよ」
女の名は美緒。二人を引き取ってくれた優秀なメンバーズだ。
しかし幼い彼等の目には乱れた生活をしている女にしか見えなかった。
「美緒さん、怪我したのかよ。手から血がでてるぜ」
那智が包帯を手に近づくと、美緒は「言い寄ってきた男を殴っただけよ」と言ってのけた。
生意気な女だが、その顔とプロポーションから言い寄る男は多い。
その上、夜出歩くことも多く、酒癖も悪い。
それなのに犯罪の被害者にならないのは、彼女が優秀なメンバーズだという証拠ではる。
美緒が夜遊びに行くたびに、男の怪我人が増えるのだ。まあ、どうでもいいことだが。
「……何よ、その目は。あんた達……あたしを非難してるの?
あんた達まであたしを馬鹿にしてるの!涼と同じように!!」
美緒が荒れるときはたいてい薬師丸に何か言われた時だ。
「そんな事ないよ。俺達、これでも美緒さんには感謝してるんだぜ。
美緒さんが引き取ってくれなかったら、今も大部屋で箱詰め生活だったかもしんないからな」
「だったら少しは態度に現しないよ!」
そう怒鳴りながら美緒は眠りについた。そんな彼女を寝室まで運ぶのもよくあることだ。
美緒をベッドに寝かせ、放り出されたバッグをクローゼットにしまおうと持ち上げると一枚の紙が落ちた。
「何だ、これ?」
那智はその紙を拾い見た。途端に目が険しくなる。
「何が書いてあるんだよ」
尋ねる定道に那智は無言のまま、その紙を差し出した。
メンバーズ資格剥奪者リストだった。その中に『小石川真由(こいしかわ・まゆ)』の名もあった。
――話は少し遡る。
「定道、定道!おまえ、訓練さぼって何をやってるの!」
美緒が怒鳴り散らしてやってくる。定道は木陰で眠っていたのだが、すぐに両手で耳をふさいだ。
「あのバカガキに勝つためには特訓あるのみなのよ。さあ立ちなさい、あたしがしっかり鍛えてあげるわ!」
「……やだよ。それにちゃんと休憩いれないと、それこそ逆効果で体壊れちゃうよ」
「おまえのは休憩じゃなくさぼりでしょ。ほら、ちゃんと立つのよ!」
定道は溜息をつきながら立ち上がると美緒の後についていった。
美緒とは一緒に育った仲だ。担当博士が同じで、同じグループの中で育った。
メンバーズの両親は科学省の博士が選ぶ。そして誕生後も、その指導の下で育つことが多い。
そして同じ境遇で誕生したメンバーズは遺伝的な部分でつながっていることもあった。
美緒と定道がそれだった。表向きは単なるグループメンバーだが、二人は遺伝子提供者を共有している。
つまり血筋的には姉弟ということだ。
もっとも科学省のメンバーズに家族など存在しない。それが科学省の鉄の掟。
普通の姉弟とは違うのだ。だから、あえて上から肉親だとおしえられていない。
かといって隠し通しているわけでもないので、成長すると共に何となくお互いの関係に気付くのだ。
美緒は定道の教育に熱心だった。それは定道と同年輩の那智の存在があったからだ。
那智にも定道同様血がつながっているだけの姉がいた。
彼女の名前は小石川真由。美緒と同年齢の女性で、二人は何かと争っていた。
メンバーズの女の中では能力がずば抜けておりライバル視されていたというのもある。
しかし二人の不仲の最大の理由は、性格が正反対という事だろう。
美緒はがさつで大胆、逆に真由は神経質なくらいの完璧主義者だった。
そんな何もかも違う二人がこともあろうに、ある日同じ男に恋をした。それが悲劇の始まりだった。
「あーあ……嫌になるよ」
「おまえとこの姉ちゃんきついもんな。ま、頑張れよ」
「那智だって同じじゃん。真由さんって言っちゃなんだけど細かくてヒステリックだろ」
「まあな。きーきーうるせえことこの上なくてさ、時々沈めてやりたくなるよ。
部屋は毎日掃除しろ、食器はすぐに片づけろ、スケジュールは分刻みだぜ。
昨日なんかさ、怒鳴り込んできたから何が起きたかと思ったらトイレのドアを開けっ放しにするなって」
「それならまだいいじゃん。美緒さんなんかだらしなくてさ。
服を脱ぎっぱなしにするから注意したら『男のくせにうだうだいうな』だぞ。
テレビのリモコンもテーブルにそって真っ直ぐ安置してくれって何度言ってもきいてくれないんだよ。
あーあ、嫌にやるよ。ほんと、見ててうんざりするときあるんだよね」
姉同士の仲は最悪だったが、不思議と弟達の仲はよかった。
誕生日が同じということに縁を感じたのだが、すっかり意気投合してしまったのだ。
勿論、美緒や真由はそれを快く思っていない。
どちらも弟達の尻を蹴り上げ、「あいつにだけは負けるな」の一点張りだ。
遺伝子崇拝思考の科学省では、弟の出来の良さは姉の栄光につながるからだ。
美緒も真由も負けず嫌い、弟達へのけしかけ方も半端ではなかった。
その熾烈な争いが激化した。理由は簡単。
ある日、上層部が特選兵士・薬師丸涼の『相手』を決定する会議を行った。
最終的に残ったのは美緒と真由。だが決定打がない。そんな時、ある幹部が言った。
「だったら那智と定道を見て決めましょう。隔世遺伝を考えれば彼等も無視できない存在ですから」
その一言で会議は終了し、美緒と真由の争いは弟達の優劣にゆだねられることになったのだ。
二人とも異常なほど弟を鍛えだした。その理由も実に簡単。
美緒も真由も薬師丸涼にぞっこんだったからだ。
久しぶりに百貨店に買い物にきた美緒はムッとした。
新しい洋服(派手な赤い色で露出度も高い)を入手してご機嫌だっただけに、その不快度はかなりのものだ。
だが、理想の洋服(水色の地味だが無難なワンピース)を見つけ弾んだ気分を損ねられたのは相手の女も同じ。
その女とはもちろん美緒が誰よりも目の仇にしている憎き恋敵・小石川真由。
何の因果か待ち合わせの時間と場所が同じだった。
「美緒さーん」
定道が手を挙げながらゆっくりと歩いてくる。約束の時間よりも十分も早い。
一方、真由の待ち人・那智は一向に姿を現さない。美緒は妙な優越感を感じた。
「ルーズな身内をもたなくてよかったわ」
ただでさえイライラしながら腕時計を睨みつけていた真由は神経を逆なでされたのか凄い目でにらんできた。
「じゃあ帰る?」
「ところで、あんた車は?」
「ん?西駅駐車場だよ、あそこすいてたから」
「何ですって!?」
西駅駐車場とこの百貨店とでは結構な距離を歩かなければならない。
「あんたの目は腐ってんの!?目の前の駐車場見なさいよ、いくらでもスペースあるじゃない!!」
「ん~?」
定道はだるそうに眼前に広がる駐車場を一瞥した。
「だってさ、三車分のスペースの場所がないじゃん。
左右に車あるとさ、ドアの開閉とかで傷つけられる可能性あるだろ。
だから左右空いてる場所でないと停めたくないよ」
「あ、あんたって子は……!」
美緒の頭は噴火寸前の火山状態となった。
この神経質で何事も馬鹿丁寧な弟は、美緒にとってはイライラの原因なのだ。
美緒が適当にたたむ洗濯物を、きっちりたたみ直された時は、さすがの美緒も女のプライドがずたずたになったものだった。
「男なら細かいこと気にするんじゃないわよ!」
「美緒さんが気にしなさすぎるんだよ」
一方の真由は時計の針が予定時間をオーバーした瞬間、凄い勢いで携帯電話を取り出した。
「那智!おまえどこにいるの、約束の時間をもう五秒過ぎたじゃない!!」
『うるせえなあ。今、向かってるよ。10分くらいでつくぜ』
「10分!?冗談じゃないわ、私が毎日分刻みでスケジュールたててるのは知ってるでしょ!!
おまえって子はどうしてそんなにルーズなのよ。ああ、私が45分もかけて作成したスケジュールがめちゃくちゃよ」
『10分くらいでガタガタいうと肌があれるぜ』
「何ですって?それもこれもおまえのせいよ!」
『じゃあマクドナルドにでもよって夕飯食えばいいじゃんかよ。調理時間短縮されるじゃねえか』
「おまえは私が私が毎日きっちりカロリー計算して作っているレシピを無視するっていうの!?
冗談じゃないわ。おまえの食生活につきあっていたら私は早死にしてしまうじゃない!!」
「那智も大変だな」
「あんなクソガキに同情してるんじゃないわよ。さっさと帰るわよ」
美緒に引きずられるように歩き出した定道。
「美緒さん、今夜の夕飯は?」
「昼食の残りがあったでしょ」
「えー足りないよ。いいよ、俺作るから。美緒さんの食生活に付き合っていたら俺成人病になっちゃうよ」
「おまえは一言多いのよ」
ぽかっと定道の頭にげんこつがふり降ろされた。これが那智や定道の日常だ。
「あの女、口うるさくてさ。時々刺してやりたくなるよ」
那智はソーダ水をぐいっとラッパ飲みした。
「那智、そんな不健康なもの止めた方がいいよ。俺みたいにミネラルウォーターだけにしなよ」
「俺、刺激のないものはあんまり口にしない主義なんだ」
「美緒さんもよくそういうよ。アルコールなんて摂取してたら、あのプロポーション将来くずれるのにね」
「なあ、今日の訓練抜け出して街にいかないか?」
「ばれたら懲罰もんじゃん」
「いいから行こうぜ」
那智は半ば強引に定道を連れ出した。
優秀な自分達ならば、ばれても罰は軽く済むと簡単に考えていたのだろう。
「ほら見ろよ、これ」
那智は見事な黄金に染まった髪の毛を自慢げに定道に見せつけた。
テレビでたまたま見たロック歌手のマネをしたのだ。実に那智らしいと定道はあきれた。
「そんなことしたら髪の毛いたむじゃん」
「そんなこと言わず、おまえもたまにはおしゃれしろよ」
「俺はいいよ。目立つと余計な妬みかうだろ。妬まれず馬鹿にされず安定した人生過ごすのが俺の夢」
「ちぇ、つまんねえの」
「おまえこそ本当にいいのかよ。その姿みたら真由さん、卒倒するぜ」
「いい刺激になって改心すりゃもうけもんだろ」
那智は根拠のないポジティブさを見せつけた。
常にマイナスばかり考え張りつめた生き方をしている真由と本当に血がつながっているのか疑いたくなるほどだった。
「美緒さんもさ、派手な化粧ぬりたくってるだろ。あんなにしてまで目立ちたいって思考、俺わかんねえよ。
あんな恰好したからって薬師丸さんが振り向いてくれるわけないのにさ。ほんと、わかんねえ」
「ほらな。脱走なんてばれなきゃいいんだよ」
那智と定道は軽々と塀を乗り越えた。
訓練をさぼった事は隠しようがないが、施設を飛び出したことは幸いばれてない。
「でもさ、美緒さんに大目玉くらうかと思うと俺今から気持ち沈むよ。
あのひとカッとなると暴れるから。後始末は俺がやるんだぜ。あー、やだやだ」
それは那智も同じ思いだった。神経質で完璧主義は真由は自分にもそれを求める。
訓練をさぼるなんて不良行為をおかしたのだ。真由はさぞかしヒステリックになっていることだろう。
普段、冷静であることを異常なほど心がけているせいか、カッとなると美緒よりも暴走するのだ。
それでも那智が懲りもせず真由に逆らうのは、最近の真由の態度がさらに悪化しているためだ。
那智はこれでも訓練では抜きんでて実力を発揮している。
それでも真由は頭ごなしに怒鳴りつけ、手を抜いているんだろうと責める。
定道と結託して自分を陥れるつもりなのかとわめき散らす。
少しでも門限を破ると、裏で何をしていると狂ったように詰問する。
憶測どころか、すでに妄想の域にまで達していた。那智はもう家に帰るのが嫌になっていた。
それでも他に帰る場所はない。だが那智は帰宅して違和感を感じた。
家の中は案の定台風が通った後のように荒らされていた。真由がヒステリックを起こして暴れたのだろう。
しかし家の中は真っ暗、肝心の真由の姿が見えない。
那智は少し気になったが破壊された家具や散乱された生活用品を除け、その場に寝転んだ。
「……あーあ、何だよこれ」
定道は溜息をついた。家の中はクラッシャー美緒が暴れた跡がはっきり残っている。
ほこり一つ気になる性分の定道はすぐに掃除を開始した。
美緒と一緒に撮った写真がおさめられているフォトフレームを拾い上げると壁にかけた。
天井ときっちり平行になるように整える。定道はタオルのかけ方一つにもこだわりを持っている人間なのだ。
「……遅いな」
那智は上半身を起こした。門限が一分遅れても口うるさい真由が今だに帰ってこない。
那智は仕方なくほうきと塵取りを取り出して掃除を開始した。
洗面所のタオルもタオル掛けから床に落ちている。
『那智!タオル掛けにタオルをかけるときは、きっちり裾を合わせろっていつも言ってるでしょ!』
「……しょうがねえなあ」
那智はタオルをきっちりそろえた。
時間はすでに10時を過ぎている、真由はまだ帰ってこない。
「真由さんも帰って来なかったんだ。美緒さんもなんだよ」
「変だよな。どうしたんだろ」
「考えすぎるのもストレスにつながるから、俺はもう考えないことにして寝たんだ」
「おまえってそういうところさっぱりしてるっていうか薄情だよな」
「だって俺が心配したからって美緒さんが帰ってくるわけじゃないだろ。
第一、あのひとは強いからそんな心配する必要性ないしさ」
「そりゃそうだ」
定道の理屈は実に無情で理が通っていた。そのため那智はいつも最終的に納得することが多い。
昼食時になったので二人は科学省内のレストランに入った。
「俺、サラダとご飯ね」
定道はいつもそれだ。那智からしたらつまらないの一言に限る食生活。
「俺、松坂牛のステーキ。レアね」
反して那智は肉汁たっぷりの豪華な食事。それもいつもの事だった。
胃袋も満足し二人は会計、ところが那智は財布の中身を見てやばいと思った。
「……500円しかない」
浪費癖がある上と財布の残高も気にしない性格は、那智自身にいつも災いをもたらす。
「俺、貸さないよ」
定道は那智が借金を申し込む前にそう言った。
「俺、金を借りるのも貸すのもしない主義なんだ。金でもめると後々厄介だからな」
「ちぇ、けち」
本当にまずい。調子に乗って松坂牛を三人分も食べてしまった。
(しょうがない。店員を気絶させてトンズラでもするか?)
那智はすでにとんでもない事まで考えていた。その時だ。
「相変わらず金にだらしない坊やね、あんたは」
胸元が大きく開いた赤いワンピース(もちろん超ミニ)を着た美緒が現れた。
(あーあ、またここぞとばかりに嫌味の連発が始まるのかよ)
自分を目の仇にしている女に格好の虐め材料を与えてしまったと、那智は気分が沈んだ。
逆に美緒はニコニコとやけにご機嫌でケリーバッグから財布を取り出した。
「ほら、これでもっといいもの食べなさい」
「は?」
那智は珍しく目を丸くしてぽかんと口を開いた。
美緒が万札を何枚を出して自分に差し出したのだ。これはただ事ではない。
「……もしかして偽札?」
「何言ってるのよ。何なの、その穴だらけのズボンは。もっと、まともな服も買いなさいよ」
「これはファッションだよ」
「ふーん、悪趣味ね。ま、いいわ。今日の訓練はさぼるんじゃないわよ」
美緒は那智の頭をよしよしとなでると笑顔で去って行った。
「……定道、おまえの姉ちゃん頭うったんじゃねえのか?」
「うーん、精神科に予約入れた方がいいかな?」
妙な出来事だった。あれほど那智に冷たかった美緒の態度の変わりよう。
二人は頭に疑問符を浮かべながら廊下を歩いた。すると曲がり角でばったりと真由とご対面。
「真由さん、こんにちは。昨夜はどこ行ってたんだよ?」
真由は俯いていた。表情を見なくてもわかるほど暗い様子だ。
ところが那智の声を聴くなり恐ろしい形相で顔を上げた。
その顔は今まで那智が見てきたヒステリックなものとはまるで違う凄まじいものだった。
「……こ、この悪魔!」
真由はいきなり那智に飛び掛かり、その首に腕を伸ばしてきた。凄い力だ。
「よくも、よくも、今まで私を騙してくれたわね!悪魔、おまえは悪魔よ!!」
那智は何が何だかわからなかった。こんな真由は初めて、まるで狂人だ。
「殺してやる、殺してやる、大嘘つきのカッコウめ!おまえなんか、おまえなんか……!」
「いい加減にしなよ真由さん、那智が死んじゃうよ!!」
定道がすぐに真由を那智から引きはがした。真由はその禍々しい目を定道にも向けた。
「今更……今更、おまえなんか。あんな女の元で育ったおまえなんか今更受け入れられないわ!」
何が起きたのかさっぱりだった二人だが、先ほどの美緒の豹変もあり一つの推測が生まれた。
それは二人の誕生日が同じだという事実から導き出されたものでもあった。
程なくして二人は科学省のお偉いさんが呼び出され事情を知り、そしてやっぱりと思った。
「つまり俺が真由さんの本当の弟で、那智が美緒さんの弟だったんだ」
定道は淡々と言ってのけた。
「納得したよ。前から思ってたんだ、俺って美緒さんに全然似てないってさ。
そりゃ満夫だって緒方と似てるとはいえないけど髪質だけは似てるだろ。
それなのに俺は何一つ美緒さんに似たところない。でも、これで疑問が解決したよ」
「それからもう一つ。真由の事だがな……医者がいうには統合失調症を患っているそうだ」
定道と那智はその単語に微妙に反応した。統合失調症というのが、どういう病気か知識くらいはある。
妄想や幻覚、幻聴などあらゆる症例が報告されている厄介な精神疾患。
つまり科学省の女性メンバーズの中で優秀とされていた小石川真由は軍人として使い物にならないという事だ。
軍人どころか一般人としてすらも、まともな生活を送れるかわからない。
「真由はメンバーズからはずす。残念だから仕方ないだろう」
定道は反射的に那智を振り向いた。那智はどうなるのだ?
「那智、おまえは美緒が引き取ると言っている」
『あたしの弟だったとわね。道理で能力が高いと思ったわ、血は争えないわね』
美緒は、科学省の手違いで二人が入れ替わっていた事を知り半狂乱になった真由とは全く逆の反応を見せたそうだ。
『定道はどうする?もう、おまえとは赤の他人ということだが』
『今まで通りでいいわよ』
『おまえが憎んでいる真由の弟だぞ。今まで通り接する事ができるのか?』
『真由なんか関係ないわよ。あいつはあたしが育てたんだもの、だからあそこまで成長できたのよ』
美緒は今までの因縁などまるで気にせず、二人とも手元におくと言った。
前向きというべきなのか、それとも打算的な思いがあったのか、それは誰にもわからない。
しかし、結果的に奇妙な三人暮らしが始まった。
そして那智や定道は、その後に真由と会う事はなかった。
夜明けだ。カーテンの隙間から光が差し込んでいた。
「科学省は真由さんを見捨てたんだ」
定道はポツリと言った。それはいつも淡々として定道ではなかった。
「真由さんは神経質な完璧主義者で柔軟性がなくてネガティブな我が強い癇癪持ちだったよね。
ストレスに潰されやすいタイプだよな。俺もいつかそうなるのかな」
「おまえは事なかれ主義だから大丈夫だろ」
「それならいいけどね」
二人の会話はそこでいったん止まり、しばらく無言が続いた。
「……俺はさ、あいつが姉貴なんて冗談じゃないっていつも思ってた」
ふいに那智が切り出した。
「口うるさくて細かくて、いつもガミガミ。頭にきてばかりだったよ。でも――」
「俺も全然いい弟じゃなかったよな。あいつが病気なんて全く気付かなかった」
「ただ、うざいとしか思ってなかった。一番そばにいたのに、あいつの事わかってなかった。
予兆はいくらでもあったのに何もしてやらなかった。俺が何かしてやったら発病しなかったかな……」
「那智のせいじゃないよ」
「……うるさいわね。頭に響くじゃない」
美緒が頭を押さえながらゆっくり上半身を起こした。
「そんなに気になるんなら会いにいけばいいでしょ。このクソガキども!」
花瓶や枕、その他にも手に掴めるもの全てが二人目掛けて飛んだ。
二人は慌てて家を飛び出した。
除名処分になった兵士達は白い病人服を身にまといバック一つだけをかかえバスに搭乗していた。
その中には科学省が期待をかけていた者も何人かいる。
「真由さん」
那智は声をかけた。あの時のようにつかみかかってくるかもしれないとも思った。
しかし真由は不思議そうに此方を見つめ、ただぼうっとしているだけだった。
もう那智の事もわからないのだろう。那智もそれ以上何も言わなかった。
ただバスが見えなくなるまで、ずっとその場から動かなかった。
「俺は負け犬にはならない」
那智はポツリといった。
「これからは真面目に訓練受けるよ。さぼる量は半分に減らす」
「俺だって勝利者になる。いつか安定した年金生活できるまでは全力を尽くすよ」
人生は二つに一つ、勝つか負けるか。
そして二人の人生は始まったばかりだった――。
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