「中尉、どうしたんですか?」
戻ってきた直人の異変に部下達はすぐに気づき周囲に集まってきた。
心配してくれる部下には悪いが直人は説明する気にもなれなかった。
「親父から何か言ってきたか?」
「いえ、まだ……」
「そうか。今から親父に報告に言ってくる」
薫が今頃局長室に向かっているはずだ。その前に自分の口から事の次第を説明しておきたい。
直人は部下達に明日の仕事の打ち合わせを簡単に指示するとすぐにまた出掛けた。


「伴野、何があったんだよ?」
「赤ん坊の母親みつからなかったのか?」
直人の姿が見えなくなった途端に伴野は質問責めにあった。
「それが……」
伴野は額を押さえながら語りだした。




鎮魂歌―国防省中編―




「局長、僕は直人を見直しましたよ。今までよくもばれなかったものですね。
僕なんか足元にも及ばない達人じゃないですか。ふふ」

局長室の室外にまで薫の声が聞こえてきている。直人は舌打ちしながらドアを開けた。
「親父、今帰った」
「やあ直人、父親として、やはり子供は可愛いかい?」

(何て奴だ。薫……いつか、殺す)

デスクに視線を移動させると義父が眉間にしわを寄せていた。


「直人、立花が言っている事は本当なのか?
この件と関わりのある店で一年前に破廉恥行為をしていた男がおまえの名を名乗っていたというのは」
「ああ、本当だ。自分の偽者がいたことに気づきもしなかったなんて、俺のミスだ」
「おまえの偽者だぞ。一般人とは思えん」
「もちろん正体をつきとめてやるさ。すぐに――」


「ははっ、何を言ってるんですか局長!これだけ状況証拠がそろっているのに偽者なんて言い逃れ通用しませんよ。
赤ん坊の父親は直人で決まりです。これで一件落着じゃあないですか」


直人は思った。もし発砲しても罪にならない銃があったら全弾薫にぶち込んでやるのに、と。















「……と、いうわけだ。俺も驚いたが中尉はもっとだろう。ああいう方だから顔には出さなかったけどな」
伴野の報告は直人の部下達にとっては予想外のことだった。全員渋い顔をしている。
「何それ……まさか伴野さん、中尉を疑ってないよね?」
一番若輩の木内が責めるような口調でいった。
「そんなはずはないだろう。俺はおまえよりずっと長い間中尉に仕えてきた。
中尉ほど徹底した仕事人間はいらっしゃらない」
「それは俺だって知ってるよ。偽者だろ?そいつバカじゃないの?
よりにもよって中尉の名前かたるなんてさ。水島か立花ならばれないのに」
水島や立花ならばナンパなど日常茶飯事、木内がそう思うのも無理はなかった。


「甘い考えだな。彼らは女ったらしのプロだ。そこら辺の馬鹿なプレイボーイと一緒にしない方がいい」
木内の意見は古株の尾崎にあっさり否定された。
「何で?あいつらの味方してんの?」
「勘違いしてもらっては困る。俺の父は局長の側近だった。
我が家は代々菊地家に忠節を尽くす事で生き残ってきた一族だ。
もちろん俺もそのつもりだ。中尉を疑った事など一瞬もない」
「じゃあ何がいいたいわけ?」
「俺が思うに、相手はただの馬鹿じゃなく中尉の名をかたって国防省の内情を調べていたテロリストなんじゃないかって事さ」
尾崎の冷静な分析に木内は納得し素直に頷いた。

「中尉もおそらく同じ事を考えているはず。彼は俺なんかより常に三歩先を読んでいらっしゃる。
今頃は頭の中に思い当たる人間を数名に絞り込んでいらっしゃるだろう。俺たちは指示がでるのを待つだけでいい」














(俺が捕らえたテロリストに連なる連中だろう)

直人はすでに部下を数名、例の喫茶店に送り込んでいた。
従業員や常連客から自分の名をかたった不届き者の人相を聞き出すためにだ。
薫は横から「潔くしなよ」とほくそ笑みながら声をかけてくる。

(何てしつこい奴だ。そんなに俺をスキャンダルの当事者にしたいのか薫。
生憎だったな、俺は貴様と違って、この手の事件には縁がないんだ)

やがて自称・菊地直人の情報が多数報告された。だが、それは直人が眉をしかめるようなものだった。
身長、髪型はおろか顔が一致しないのだ。鼻一つとっても、高いもの低いもの、鉤鼻だという情報まである。


(どういう事だ。俺の偽者が複数いるということか?)

その可能性も否定できないが、同じ店で同じ人間を同時期に名乗ろうものなら偽者同士気がつくはず。
気がつかなかったとしたら、かなりの間抜けだ。

(俺が相手にしてきた組織は過激テロがほとんだ。そんな間抜けに務まるはずがない)

直人はわけがわからなくなった。とりあえず自称菊地の似顔絵を作成させることにした。
その間に赤ん坊の母親の方をあたってみようと受話器に手を伸ばすとタイミングを見計らったように着信音が鳴り響いた。

『直人、すぐに局長室に来い』

義父だった。
「ああ、わかった」
『おまえの部下も連れてこいよ』
「部下たちは関係ないだろう」
『連れてこいと水島が要求してるんだ』
通話はそこで終わった。

(水島……一体、何を考えているんだ?)














「菊地君、君を随分と見くびっていたよ」

水島は得意げな表情で直人を見下ろした。

「俺も褒められたものじゃないけどね。君のように清廉潔白なんてフリをするような卑怯なマネはしなかった。
人間、裏表があって当然だけど、君は度が過ぎている」


「水島、さっきから何を言っている。はっきり言ったらどうだ?」
勝ち誇ったような水島の態度に切れたのは父の方だった。
強い口調で責めるように水島を睨みつけている。しかし水島の笑みは消えない。
「いい機会です。局長もご子息の本性を知っておいた方がいい」
水島は手にしていた封筒から一枚の書類を取り出した。それを見た父は不可思議な顔をした。
直人は嫌な予感がした。直感で胸騒ぎがしたのだ。


「この女が何だというのだ?」

(女?)


直人の疑問は膨らむばかり、どうやら水島が自分を見下している理由は女らしい。
だが女とはほとんど接点などない直人には思い当たる相手がいない。
しかし水島が次に発した言葉で全てを把握する事ができた。


「菊地君、君の部下の木内君。随分若い子だよね、経験も乏しい。
実績至上主義の君がこんな子をそばに置くなんて、余程の理由があるだろうとは思っていたよ」


直人の部下達はきょとんとしているが名指しされた木内は水島の意図を察し表情を硬直させた。
「木内君、君のお姉さん災難だったね」
その瞬間、直人の部下達はようやく水島の狙いを知り、ぎょっとして一様に直人を見つめた。
直人はきっと水島を睨みつけた。
一年以上も前に終わった事を水島にかぎつけられるとは不覚以外のなにものでもない。





「どういう事だ。話が見えてこないぞ」
義父は険しい表情で直人と水島を交互に睨んでくる。
水島は内心抱腹絶倒だろう。反して木内はどんどん顔面蒼白になっている。
「木内!」
直人は強い口調で呼びかけた。木内はハッとしたが不安そうな表情は消えていない。
「木内は若いがコンピュータの知識や才能が非凡だ。そこを見込んで俺の部下にしている。
経験は浅いかもしれないが、命令以上の実績をあげきた。先輩にとやかく言われる筋合いはない」
「まだ、そんな事を」
水島の態度は決して強硬ではなかったが、勝利を確信した傲慢なものだった。


「はっきり申し上げましょう局長。この女性は木内君の姉・木内香恋(きうち・かれん)
彼女は一年ほど前に、菊地君が悪質なハッカーテロ集団を追いかけていたときのチームのメンバーです」
「その事件は覚えている。奴らは地方の県政府のコンピュータにウイルスをばらまき、
それに乗じて主要な行政施設の破壊や機能の麻痺を起こしたバカどもだった。
被害者が多数でたために直人を出動させたんだ」
義父は水島の意図に気づいていない。

(面倒だから親父には報告しなかった事が裏目にでたな)

「木内香恋は菊地君の一存でメンバーから外されたんですよ、任務の途中でね。
他のメンバーは昇進や昇給を受け、今でも中央で活躍しています。しかし彼女は地方の支部にとばされてそれっきり。
彼女だけが功績の恩恵を受けるどころか左遷扱いだ。おかしいとは思いませんか?」
「メンバーから外したのは負傷したかミスを犯したか、どちらかだろう。よくあることだ」
「彼女は数日間入院したんですよ。緊急手術で」
水島は、ますます得意げになっている。


「しかし当時の菊地君の任務報告書では軽傷を負った為に自宅待機となっています」
ここにきて義父は直人に視線を送ってきた。どういうことだ?と目で訴えている。
「報告なんてできるわけないでしょうね。
何しろ彼女は任務中の負傷ではなく人工中絶手術のために入院していたのだから」
「中絶だと!?」
義父の顔が一気に強ばった。




「水島先輩、その件は個人の問題だ。こんな席で出すのはやめてもらおう。木内も見てる」
直人はうんざりだった。こんな茶番にこれ以上つきあうなんて屈辱以外の何者でもない。
だが水島がやめるはずもないことも理解していた。
「人工中絶には同意書に相手の男のサインが必要です。
局長、これをご覧になってもご子息は清廉な人格の持ち主だと言い切れますか?」
水島は紙切れを義父に突きつけた。直人は頭が痛くなった。


(……水島め、ここまでするか)


同意書のコピーを手にした義父の顔が峻烈な赤に染まってゆく。
わなわなと震える手は一枚の紙など今にも破り捨ててしまいそうだ。


「局長ならば、このサインの筆跡が本人のものである否かはおわかりになるでしょう?」

義父は恐ろしい形相で直人を睨んできた。
その悪鬼のような表情に直人の部下達は一斉に青ざめてしまっている。


「そうです。菊地君は事もあろうに任務中に部下の女性を妊娠させ、事が露見する前に堕胎させていたんですよ!
その上、保身のために彼女を地方に追いやり、口止めに弟を部下として引き取るとは。
あまりにも愚劣なやり方に俺は言葉もでません。
局長、あなたは息子さんにどういう教育をなさっていたんですか?
このような人格の持ち主では、赤ん坊の父親は誰か調べるまでもないでしょう。
さあ今すぐ俺に対して局長が吐いた暴言を全て撤回して正式に謝罪していただきましょうか。
拒否なさるのであれば俺も黙ってはいられません。この事実を公にしてもいいんですよ!」


「違う!」


木内が立ち上がり水島に詰め寄ろうとした。
直人が「口出しするな」と制しなければ、その襟首をつかみ逆に水島に痛い目に合わされていただろう。
「中尉は関係ない!あんた、何なんだ。他人の触れられたくないプライバシー暴いて楽しいのかよ!」
「自分の名誉がかかっているのからね。手段は選ばないよ」
「中尉は……!」
感情が高ぶっていた木内だったが、直人が「黙ってろ」と命令すると渋々元の場所に戻り着席した。


「直人、これはどういう事だ?このサインは確かにおまえの筆跡。水島の言っていることは本当なのか?」
「本当だ」


義父は僅かに体勢を崩し、水島は勝利を確信しニヤっと笑みを浮かべた。
「同意書にサインしたのは本当だ」
義父は両拳を握りしめデスクを殴った。


「だが木内香恋の腹にいた子の父親は俺じゃない」


それまで表情を崩さなかった水島がぎろっと直人を睨んできた。
何を今更、そんな言葉が顔に書いてある。
「必要だったからサインをしたが、俺は木内香恋とは上司と部下以外の関係になったことはただの一度もない」
「動かぬ証拠あるのにしらをきるのか?菊地君、君ほど往生際の悪い男は見たことがないよ」
水島は頭にきたらしく直人に詰め寄ってきた。

「本当だ。姉さんの相手は中尉じゃない。中尉は姉さん命の恩人なんだ!」

木内が立ち上がって叫んでいた。




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