国防省の門番・前園はいつもと同じように外壁の周囲を見回っていた。
異常なし、午後の交替時間も近づいていたので職員用の門に戻った。
ここまでは毎日繰り返されているのと全く同じ、しかし、その日は一つだけ違う事があった。
「おぎゃあ、おぎゃあ!」
「……ん?」
門の前に産着にくるまれた赤ん坊、その胸元には封筒が置かれている。前園は封を切り中の手紙を読んだ。
「……な、何だってぇぇー!!」
鎮魂歌―国防省前編―
「今日の仕事は予定より早く片がつきそうだな」
国防省特殊工作員として日夜危険な任務に従事している菊地直人。彼に心休まる時間はない。
そんな直人に久々に時間に余裕ができるのだ。
最近はろくに寝ていないから、自宅に戻り数ヶ月ぶりの熟睡に身を委ねてみよう。
そう計画をたてた直人の元に部下が慌てふためきながら駆け寄ってきた。
「菊地中尉!」
「何だ、騒々しい」
「お父上が、菊地局長がお呼びです。大至急、局長執務室に来るようにと」
「親父が?」
厳格な義父が大至急呼び出しをかけている。嫌な予感がした。
(まさか俺が何か失敗したのか?)
これといって身に覚えがない。
(テロリストが事件でも起こしたのか?)
だが、そんな情報は全く直人の耳に入ってきてない。国分省内の雰囲気も静かで平和なくらいだ。
(一体何があったと言うんだ?)
納得できる答えがでないまま直人は局長室に足を運んだ。
入室すると同時に直人は不快そうに眉をひそめた。先客がいたのだ。
直人にとって好ましい人物ではない。同期の特選兵士・立花薫に先輩にあたる水島克巳までいる。
「待っていたぞ直人」
義父は不愉極まりない表情をしていた。余程、頭に来る事件があったのだろう。
しかも、この女たらしどもが関係しているようだ。
「親父、何があって……ん?」
直人は奇妙なものを発見した。三人だけかと思ったが、もう一人いる。
特選兵士の直人が、その気配に気づかなかったのは、相手があまりにもこの部屋に不似合いな人間だったからだ。
デスクの上に置かれた小さな籠、その中でスヤスヤと眠っている。
「……赤ん坊」
予想外の人物に直人は一瞬呆けた。しかし即座に意味ありげな視線で薫と水島を交互に睨みつけた。
その意味に気づいたのか、薫と水島は不愉快そうに睨み返してくる。
「親父、これは個人的な問題じゃないのか?」
「私もそう思いたいが、そう簡単な問題ではないのだ」
義父は乱暴な勢いで直人に便せんを差し出してきた。
『あなたに捨てられた以上、私一人では子供を育てることはできません。
お互い立場のある身の上ですから私は一生黙っています。
その代わり、父親として責任をとってください。この子はあなたに託します』
「……私的な問題じゃないか」
直人はまたしても意味ありげな目で薫と水島を凝視した。
「その先を読め」
義父に促され、直人は再び文面に視線を戻した。
『未成年でありながら、国防省で、すでに高官のあなたの元で育つ方がこの子も幸せでしょう。
どうか可愛がって下さい。身勝手な母より』
そこで文章は終了していた。
「宛名は誰だったんだ?」
「それが封筒は無記名だった」
手紙の主が誰に子供を託したのか不明。つまり赤ん坊の父親は名指しされていない。
「ただ、こんなものが同封されていた」
義父はデスクの上にペンダントを置いた。どうやら手掛かりは、その宝飾品だけらしい。
安物でなければ簡単に持ち主が割り出せると気軽な気持ちで手に取った直人は表情を一変させた。
「この紋章は……!」
ペンダントに刻まれていたのは特徴的な鷹のマーク。
国家に仕える人間ならば、それが何を意味するのか誰でも知っている。
「この赤ん坊の母親は皇の女……総統陛下の身内」
たかが身元不明の捨て子一人になぜ義父が直接乗り出したのか直人は察した。
総統の身内に手を出した挙げ句、子まではらませて逃げたとあっては個人間の問題ではすまなくなる。
「幸い母親に関しては漏れてない。だが赤ん坊の存在までは隠しきれなかった。
一部ではすでに噂が広まっている。早く処理しないと国防省の面子にかかわるんだ。だから、おまえを呼んだ」
「待ってくれ親父、なぜ俺が?」
「それは俺と立花君が要求したからだよ」
それまで苦虫を潰したような顔でソファに着座していた水島が発言してきた。
「局長は俺と立花君にDNA鑑定を命令したんだ。
まるで俺が黒だと言わんばかりの扱いだと思うだろう?これは重大な人権侵害さ」
直人は思った。どの口でそんなご立派な事が言えるんだと?
「では聞くが先輩、どうして俺を――」
直人はハッとした。今、行われているのは子供の父親探し。それに呼ばれたということは――。
「親父、まさか俺を疑っているのか!?」
「そんなはずはないだろう。私の教育にミスはない。
だが、このバカどもが、おまえにも検査をさせないのは不平等だと不満を言っているのだ」
義父はこれまでの経過を簡単に説明した。手紙の文面から赤ん坊の父親は特選兵士だと断定された。
未成年で高官という破格の待遇は国防省では特選兵士しかいないからだ。
該当するのは四人、水島、薫、雅信、そして直人。
普段の行状から義父は即座に水島と薫の二者択一だと推測した。
二人のDNAを調べればすぐに解決するはずだった。ところが水島と薫は猛然と抗議してきたというのだ。
『国防省の特選兵士という条件は同じはずなのに菊地君だけ除外とは納得いきません!』
『先輩のおっしゃる通りです。局長ともあろうお方が身内贔屓なんて、あんまりじゃあないですか!』
『ふざけたことをいうな。うちの直人と貴様等とは男としての種類が違う』
『それは詭弁です。失礼ですが局長がなさっていることは明らかに差別です』
『これは差別ではない。区別だ!』
話は平行線をたどったらしい。
だが水島や薫サイドの人間が、直人をはずそうとする局長の行為は怪しいと言いだした。
仕方なく問題になる前に渋々直人の喚問に承知したということだ。
「潔く名乗り出てくれればDNA鑑定など……仮にも特選兵士の名誉にかかわる問題だ。
結果が白だったとしても各所の責任問題になる」
義父の言うことももっともだった。犯罪者扱いも同然、仮に水島が無実だったら水島家の抗議は避けられない。
義父を筆頭に、この件に関わった者は全員処罰の対象になるだろう。
なるべくなら話し合いだけで穏便に済ませたいというのが義父の本音に違いない。
「先輩や薫には身に覚えは?」
「あるわけないだろう。俺は完璧な男だよ菊地君。こんな失敗するわけがない」
自分の行状を棚に上げて、無垢な赤ん坊を前に失敗発言。直人は内心あきれた。
「僕だってそうさ。万が一僕の子なら、これは失敗作だよ」
薫はさらに残酷な言葉を口にしている。
「第一、全然僕に似てないじゃないか」
直人は赤ん坊に近寄り、その寝顔をのぞき込んだ。確かに薫には似ていない。水島にも。
しかし母親似ならば、そんな事は問題ではない。
まして、この二人なら隠し子の一人や二人いてもおかしくない。
だが、ばれたとしてあくまで否定するほど往生際の悪い性格だったろうか?
「薫、本当に潔白だといえるのか?まさか身に覚えがありすぎて見当がつかないんじゃないだろうな?」
「僕は女性とのロマンはたとえ一瞬でも正確に覚えているんだ」
(水島と薫が違うとしたら――)
もう一人可能性のある男がいる。プレイボーイではないが、関係した女は1ダースではないはずだ。
「親父、雅信には確認しないのか?」
「鳴海ならば労災扱いだ。奴に責任はない」
雅信はその仕事の性質から上の命令で女と肉体関係を持っている。
雅信の子なら国防省が処理するというわけだ。
「直人のはずはない」
義父は確信して宣言してくれている。
仕事一筋で異性関係に潔癖な直人にとっては当然だが、水島と薫は納得してないようだ。
「僕たちだけ踏み絵にかけるなんてあんまりです!」
薫はよほど頭にきたのか、デスクを両手で叩いた。その衝撃で赤ん坊がぱっと目を開き泣き出す始末。
「何をしているんだ。黙らせろ!」
義父は頭痛がするのか額に手を添えた。
しかしテロリスト相手に戦ってきた彼らも、こればかりは全くの未経験。仕方なく水島が恋人の沙也加を呼び出した。
「克巳、本当にあなたの子じゃない?責任逃れしたいからしらを切るなんてみっともないことだけはしないでちょうだい」
事情を知った沙也加が最初に口にした言葉がそれだ。
水島の信用度がどれほどのものか容易く把握できる。
「……傷ついたよ。君だけは信じてくれると思っていたのに」
「しらじらしい」
沙也加はぷいと顔を背けた。直人は自分には縁のない男女の修羅場を想像して辟易した。
「君が今できることは、俺をはめようとたくらんでる連中が何を言おうと最後まで俺を信じてくれる事だけさ。
誓ってもいい、俺は君にまで嘘は言わない」
(ここまで言い切るということは、水島じゃないのか?)
「本当かしら?なんだったら私が母親になって育ててあげてもいいわよ」
「くどいな。子供が欲しかったら君に生ませてるさ」
「あら」
(……おい)
沙也加は少し機嫌が直ってきているようだ。
直人は、女ってやつは単純なのか?と思わずにはいられなかった。
「信じてくれるだろ?」
「そうね、少しは」
沙也加は随分と表情が柔らかくなっていた。反対に赤ん坊は相変わらず泣きじゃくっている。
「こういう事はやっぱり男はだめね。よしよしイイコね、泣かないで」
抱き上げられた赤ん坊は少し静かになった。
「よく見ると可愛いじゃない。克巳、私たちも早くこんな可愛い子が欲しいわね」
「何言ってるんだい。俺たちの子なら、こんなガキの一億倍美しくて可愛いさ」
(……局長室で赤ん坊を出汁にいちゃつくんじゃない)
直人の久しぶりの自由時間は完全に消えた。
本来仕事とはよべない業務だが仕方がない。薫を伴い母親の手掛かりを調べることにした。
「薫、白状するなら今のうちだぞ」
「だから僕じゃないと言ってるだろう」
「信用できるか」
「総統陛下の身内なんかに手を出すほど僕は愚か者じゃないよ。
仮にただならぬ仲になったら、せいぜい尽くして、その代償に僕に奉仕させてやるさ」
薫の言い分ももっともだったが直人の疑心は晴れなかった。
確かにあのペンダントは総統一族の紋章。赤ん坊は生後二ヶ月ほどの嬰児。
だが総統の身内の女性が出産した話は聞いていない。しかし、それはあくまで公での話だ。
総統一族といえど未成年者は滅多に公の場所に顔を出さない。ゆえに顔を知られていない者も大勢いる。
まして総統には公にできない身内がちらほらいるという話も聞いた。
そういう娘が遊びで子供を作り捨てたかもしれない。
薫は総統の身内なら手放さないといったが、相手が身分を隠して交際した可能性もあるではないか。
(父親は水島か薫だろう。雅信はプライベートで女に手を出さないからな)
父親はDNA鑑定ですぐにわかる。
問題は母親だ。水島と薫を厳しく尋問したところで判明できるかは不明。
「宮内省に調査を依頼すれば――」
「バカな事をいうな。国防省だけで解決しなければ意味がないだろう」
と、言っても手掛かりがあまりのも乏しすぎる。
情報部総動員して総統一族の全女性のDNAを採取して調べ尽くしてもいいが時間と手間がかかりすぎる。
「中尉、よろしいでしょうか?」
直人の部下・伴野がやってきた。
「わかりましたよ」
その報告に直人は少しほっとした。
「わかったって、何を調査させたんだい?」
「ペンダント以外の手掛かりを調べさせただけだ」
ペンダント以外といえば、手紙と赤ん坊本人、それに赤ん坊の着衣と入っていた揺りかごくらいだ。
「この便せんにはいっているロゴマーク。
調査させたら、以前、国防省の某出張所があった地域の喫茶店の粗品だった」
その某出張所は移転しており、建物もすでに取り壊されていた。
「この店の店主がパソコンで作った自家製の粗品で、去年開店10周年記念に50セットのみ配ったそうです。
逆算してもぴったりあいます」
「凄いじゃないか直人、よくわかったね」
「簡単なことだ」
実は直人は薫や水島には内密で彼らの部下を尋問していた。
だが、それは一つの矛盾を生む結果にもなった。
『水島様がよく行く店?』
大塚はニヤっと下品な笑みを浮かべた。
『さては例の赤ん坊の件でしょ。そうなんでしょ?』
思ったより噂は広まりつつある。直人は内心舌打ちした。
『けど、あの方がそんな失敗するわけないじゃないですか。
中尉は水島様を世間の間抜けなプレイボーイと同じに考えない方がよろしいかと』
上官を庇っているのかと直人は思った。
『……失礼だが中尉ごときが、あの方をはかれるものか。無礼極まりない』
田沼などはあからさまに敵意に満ちた目で睨んでくる。
『水島様は国防省の周囲ではほとんど動かない。恋の相手は常に内側にいらっしゃるから必要ないんだ』
確かに国防省内には水島の恋人が大勢いる。
大塚は『それよりも怪しいのは立花さんじゃないんですか?』と言ってきた。
『立花さんは自由奔放な男だ。彼こそ怪しい。よく、あの人の部下がキャバクラに出没したのを見たよ。きっと女絡みだ』
水島の部下たちは薫の部下御用達の店の情報を気前よく提供してくれた。
(水島は異性関係の壮絶な男だが、トラブルを作るようなドジは踏まないと部下は口をそろえて証言した。奴の女もだ)
だとしたら、やはり薫の子の可能性が高くなる。しかし水島を庇って偽証しているのかもしれない。
直人は薫の部下も同様に尋問した。
『薫様が知らないとおっしゃっているんでしょう?
第一、薫様が特選兵士だと知っている相手は身元がはっきりしている女ばかりよ。
素性のしれない相手に地位をあかすことはしないわ。失礼な』
家重藍は不快さを隠さずに言った。
『つまり薫は普段は身分を隠して女を誘っているということか?』
藍はかっと赤面した。薫を庇うつもりが、直人に薫のナンパ方法を教えてしまったにすぎないのだから。
水島も薫も簡単に身分を明かしたりはしない。特に氏素性のしれない女には。
ならば、赤ん坊の母親が特選兵士を名指ししてきたのかおかしいじゃないか。
ただ一つだけ気になることがあった。
石崎や鍋島も同様に尋問したところ、彼らは慌てて水島の部下の溜まり場を白状したのだ。
水島の部下といい、どうもお互いなすりつけようとしているようにしか思えない。
おまけに彼らが一年ほど前によく出入りしていた店の中には、例の喫茶店も含まれていた。
考えるだけでは結果はでない。直人は伴野を伴い裏をとることにした。
薫も同行するというのはいい気分ではなかったが仕方がなかった。
「ふうん、こんな店初めてみたよ」
到着するなり薫はそう言った。
「僕はおしゃれなレストランをつかうからね」
店内に入ると若い男女が大勢いた。どうやら若者に人気のある店らしい。
男と女の出会いの場所にはうってつけだ。
「いらっしゃいませ」
店主らしい中年の男が礼儀正しく会釈してきた。薫の顔を見てもこれといった反応はない。
どうやら初めて来店したという薫の言葉は真実だったようだ。
直人の中で水島への疑惑度がぐっと高くなった。
直人が目で合図を送ると、伴野がカウンター席に着座。直人と薫は少し離れた席に座った。
「何になさいますか?」
「コーヒーでいい。この店は随分とカップルが多いんですね」
伴野が差し障りのない会話を開始した。
「ええ、よくナンパにも利用されてしまいましてね。近くにファッション関係の店が多いから女性客が多いんですよ」
「しかし男にとっては、この辺りはあまり縁がないみたいですね」
「そうですね。一年くらい前は近くに国防省の出張所があって、よく国防省の方がみえてたんですが。
あの頃は、国防省のエリートとカップリングしたいって野心家の娘さんも大勢いましたねえ」
「まるで愛と青春の旅立ちみたいですね」
「はは、そうですね」
直人がテーブルを軽く叩いた。そろそろ本題に移れという合図だ。
「でも一晩限りのアバンチュール目当てって悪い男もいたでしょう」
「まあ……確かに」
「実は妹が一年前にこの店で出会った男との間に子供ができたんだ」
伴野は深刻そうな面持ちで言った。もちろん演技だが素人の店主は簡単に騙されてくれている。
「子供の将来の為にも認知だけでもと思って探してるんですよ。
けど、この店で出会った国防省のエリートらしいって事しかわからない。店長、何か心当たりはないかな?」
店主は伴野の作り話をすっかり信じたようで、同情に満ちた目で見つめてくる。
「……お客様のことをあまり悪くいいたくないんですが」
ついに容疑者がわかるかもしれない。直人は窓の外を見つめながら、聴覚に神経を集中させた。
「私も直接知ってるわけじゃあないんですけどね。当時、従業員やお客様の間で噂になってた男がいたんですよ。
肩書きにものを言わせて女の子に次々に手をつけてたらしいです」
「その男を知ってますか?」
「名前だけは聞いたことがあるんですよ。確か……」
店主は記憶をたどっているようだ。そしてぱっと表情を変えた。どうやら思い出したらしい。
「その男は菊地直人さんとおっしゃるそうですよ」
今、なんて言った?
「……は?あの、店長、もう一度……」
「菊地直人さんです。間違いありません」
伴野が困惑した表情で振り返った。
バカが、任務中に戸惑ってどうする!
直人はゆっくりと正面を見た。向かいの席に座っていた薫が薄気味悪いくらい満面の笑みを浮かべている。
「直人」
薫がにこにこしながら直人の肩にポンと手を置いた。
「ふふ、君を見直したよ」
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