(……おかしい。あれから三日、そろそろ直輝が喧嘩した事も忘れてケロッと顔見せにくる頃なのに)
俊彦は妙な胸騒ぎを感じた。
(嫌な予感がするぜ)
直輝と自分の単純な喧嘩なら何も心配はない。
どんなに深刻な喧嘩をしても最悪お互い数発殴り合って、その後は笑って仲直りしていた。
今まで、ずっとそうして同じ年月を共有していたのだ。
だが、今回はわけがちがう。
第三者、それも、とんでもないわけありの女性が絡んでいるのだ。


――頼むから、良恵にだけは妙なマネしてくれるなよ直輝
――あいつに下手なことしたら徹どころか晃司や秀明を敵に回しちまう
――そうなったら、俺なんかじゃ、おまえを守ってやれない




鎮魂歌―大友直輝(後編)―




その頃、直輝は科学省の居住区の正門前にいた。
科学省の女性兵士は月に数回必ず戻らなくてはいけない日がある。当然、良恵も例外ではない。
その日付を調べ上げ張っていたのだ。
そして良恵が姿を現すとバイクのエンジンをかけた。
良恵は瞳を拡大させ身構えた。
突然、猛スピードでバイクが突進してきたと思うと、自分のすぐ前で後輪が輪を描きながら急停止したのだから無理も無い。
「危ないじゃない!」
「悪い悪い、あんたに用があるんだよ」
直輝は「ほら、乗った乗った」と座席をぽんぽんと軽く叩いた。
良恵は胡散臭そうな表情を隠さなかった。




「……誰かと間違えてなくて?私、あなたとは面識はないけど」
「ああ、直接会話するのは今日が初めてだな。でも、あんたのことは、よーく知ってるぜ。
あんた、自覚ないんだよ。海軍では、あんた有名人だぜ。
何て言っても海軍一のモテモテ男の佐伯徹と大恋愛の相手なんだからな」
良恵は驚きを隠さなかった。
「知らなかったのか?」
「……どうして、そんな事に?」
「科学省じゃあゴシップ誌って閲覧しないのか?」
良恵はますます困惑した表情になっていく。
「あんた、相当世間知らずみたいだな。ま、いいから、ほら乗れよ」
直輝は再度座席を叩いた。
「それとこれとは話は別よ。誘うなら別の人にして」
直輝に背を向ける良恵。しかし、すぐに手首をつかまれ歩みを止めた。




「いい加減にして。あなたの為に言っておくわ。私にこんなマネしたら――」
「高尾や堀川に半殺しにされるってか?それとも佐伯に?」
「……わかってるじゃない」
「安心しろって、ナンパじゃない。俺のダチの事で話したいことがあるだけなんだ」
「あなたの友達?」
「そ、こいつ」
直輝はズボンのポケットから財布を取り出し、さらに一枚の写真を抜き出した。
「俊彦?」
俊彦の肩に腕を回しピースしている直輝の写真。それだけで相当親しい間柄だとわかる。




「もしかして……あなた、大友直輝ってひと?」
「お、感激。あいつ、俺のこと話してたんだ」
「……俊彦が一番大事な親友だって」
「嬉しいねえ。まあ、あいつとは兄弟みたいに育った間柄だからな」
直輝は「じゃあ俺が安心できる男だってわかっただろ?ほら、乗れよ」と催促した。
良恵は、正直まだ完全に納得できたわけではないが俊彦を信頼している以上、直輝も信用できると理解し付き合うことにした。
バイクを飛ばして1時間、到着したのは、やや治安の悪い中途半端な都会である某市だった。




「久しぶりだな、ここ」
昼間だからまだいいが夜ともなれば怪しい歓楽街となる。はっきりいって女を連れて行くような場所では無い。
直輝はマンホールの蓋を見つけ、「変わんねーな」と懐かしそうに言った。
「ねえ、話ならもっと別の場所にして欲しいわ。ここは――」
「最低の掃き溜めだっていいたんだろ?でも、俺と俊彦が育ったのはここなんだ」
直輝はマンホールの蓋を指さした。
「……え?」
「俺とあいつは物心ついた時から一緒だった。思い出したくも無いようなタチの悪い孤児院だったよ。
そこの院長も職員もガキを虐待したり、国からの援助資金を横領するような糞野郎でさ。
そいつらが俺達の養育費を懐に入れるせいで食事も満足も出来なかった。 そんな生活が嫌で、六歳の時にあいつと脱走したんだ。
で、ストリートチルドレンってやつさ。夜はマンホールで寝た。臭いし汚いし酷い所だったが雨風しのげるだけマシでさ。
ゴミ捨て場から拾った汚ねえ毛布にあいつとくるまれて何とか冬超してた。
食い物は物乞いしたり盗んだり、いかがわしい飲食店が出す生ゴミあさることもあった。
他にもそういうガキは大勢いたよ。
寒さや飢えで死ぬ奴も何人も見てきたよ。薬や犯罪に走る奴も多かった」




それは良恵にとっては衝撃という言葉でも追いつかない過酷な実話だった。
あの明るい俊彦にそんな壮絶な過去があったなんて想像もしてなかったのだ。
正直、良恵は自分を恵まれた人生を送ってないと思っていた。
だが、少なくてもきちんとした食事に温かいベッド、衛生的かつ文化的な生活は送っていた。
何より晃司や秀明、それに志郎、家族がいた。
「十歳の時だったかな。軍がそういうクソガキを一斉摘発して軍直轄の孤児院にぶちこんだことがあったんだ。
その時、俺と俊彦も捉まった。 結果的にはマシな生活送れるようになったから良かったと思うぜ」
直輝は空を見上げながら「だからかな。温かい家庭ってやつが欲しくてたまらなかった」と呟くように言った。
「けど俺はこんな性格だ。自分でもわかる、メチャクチャで自分本位で、とてもじゃないけど家庭を持てるタイプじゃない」
それから良恵をすがるような目で見詰めた。




「けど俊彦は違う。あいつは本当に良い奴なんだ。あいつなら、絶対に優しい夫にも良い父親にもなれる」
その意見には良恵も異論がなかった。
「そうね。俊彦と一緒になれるひとは幸せになれるわ」
「だろ?だから――」
「付き合ってるひとがいるんでしょう?徹から聞いてるわ」
「は?」
直輝はポカーンと口を開いた。
「それで、私に相談したい事って?」
「……まいったな。一から説明しなきゃあなぁ。いいか、佐伯が何言ったか知らないけど俊彦が好きなのは――」
その時、凄まじいエンジン音が響き渡った。
振り返ると、100メートル先の交差点で白いロールスロイスが猛スピードでこちらに向かって左折した。




「あれは……!あなた、早く逃げて!!」
良恵は顔面蒼白になって直輝に逃亡を急かした。
「お、おい、逃げろって?」
「いいから早く……あっ」
遅かった。良恵達の手前で車は乱暴に急停車と同時にドアが開く。
「大友直輝!俺の良恵を拉致するなんてどういうつもりだ!?」
怒りの形相に満ちた徹が飛び出して来た。
「徹、落ち着いて。誤解しないで!」
良恵はすぐに徹の目前に移動し身を挺してその動きを止めた。




「どいてくれ良恵!君に狼藉を働くような輩は今すぐ息の根止めてやる!!」
「彼は俊彦のことで相談したかっただけなの!」
どうでもいいことだが、徹も 良恵が科学省に戻る日だと把握しており、食事に誘うつもりで尋ねていたのだ。
そこで良恵が直輝のバイクに同乗して出掛けたと聞き、部下を総動員して行き先を特定させたというわけだ。
(おいおいおい、どうなってるんだよ。佐伯が彼女にぞっこんだってのは聞いてたけど噂以上じゃねえか)
直輝はというと己の命が危険だというのに全く違う事を気にしていた。
佐伯徹に対して半分呆れたが、半分感心すらしたのだ。




(……この押しの強さが俊彦に半分でもあればなぁ)
恋愛に対して消極的な俊彦に代わって、良恵を口説いてやろうと思っていた直輝だったが考えを改めるしかなかった。
(第三者に過ぎない俺がどれだけ『俊彦と付き合ってやってくれ』と頼んだところで、こんなの勝てるわけねえや。
逆に俊彦の株を下げちまう。ダチに恋愛のお膳立てしてもらえなきゃ何にもできない男だってな)
「何とか言ったらどうだ大友!貴様、よくも良恵に手出ししてくれたな!!」
「だから誤解なのよ徹、彼は俊彦の事で――」
良恵の擁護も徹には通用しない。
徹は俊彦が良恵を密かに想っていることを知っているのだから当然と言えば当然だった。
他の男と良恵を結びつけようなど、徹にとっては宣戦布告も同然。
「悪かったよ大尉」
直輝は溜息交じりに白旗を揚げた。
「色々悪かったな天瀬、俺が言ったことは忘れてくれ」
直輝は良恵を徹に引き渡し、早々に去ろうとした。




「大友、わかってるだろうが、二度と彼女に近づくなよ」
徹は良恵に聞こえないように脅迫とも取れる忠告をした。
「ああ、俺が直接彼女にコンタクトとるのはやめとくよ。
あんたみたいな凄いのがいたんじゃ、俺が余計なことしても俊彦がうだつの上がらない駄目男ってイメージついちまうだけだもんな」
「……直接コンタクトとるのは、やめるだと。つまり、俊彦と彼女が交際することは今後も応援するってことかい?」
「ああ、俊彦の尻蹴って、あいつ自身に彼女に告白させてやるさ」
直輝は「じゃあな大尉」とバイクに飛び乗ると、手を振りながらあっという間に走り去っていった。
「……何だったのかしら?」
直輝に強引に連れ出され置き去りにされた形の良恵は半ば呆然と、その後ろ姿を見詰めた。
「俊彦のことで大事な話があると言っていたのに……気になるわ」
「君が気にする事はないよ。あいつは元々海軍でも気まぐれな問題児として有名な奴なんだ」
徹は良恵の肩に手を置いて「それより三つ星レストランに食事に行こう」と言った。
(それにしても……俊彦なんて俺の敵じゃないと思っていたが、念には念を入れておいた方がいいな)














――数日後――

「徹っー!!」
海軍の士官専用の食堂に響き渡る怒号。温厚だと定評のある俊彦のものであることに誰もが驚いていた。
名指しされた佐伯徹、ただ一人を除いて。
徹はナプキンで口元を拭きながら「食事中になんだい。失礼じゃ無いか」と立ち上がった。
「てめえ、やりやがったなぁー!!」
俊彦は怒りで握りしめている紙切れを徹に投げつけた。
「なんだい、これは?」
「ふざけるな、てめえが裏で手を回したんだろ!?」
徹は溜息をつきながら、くしゃくしゃの紙切れを広げた。


『大友直輝異動令状』


「異動先は……ふーん、辺境の田舎じゃないか。まあ、当然だろうね。君のお友達は海軍きっての問題児だから」
「ふざけるな、おまえがやったんだろ!!」
「証拠でもあるのかい?逆に言わせてもらうけど、今まで左遷されなかったのが不思議なくらいじゃないか」
「うるさい、てめえのダチをコケにされて黙ってへらへらしてるほど俺は意気地なしじゃあねえぞ!!」
俊彦は白い絹の手袋を取り出すと徹に投げつけた。
それは海軍では『決闘の申し込み』を意味する。
「……本気かい俊彦。俺を敵に回すなんて愚の骨頂だよ。お友達どころか君自身、海軍では生きにくくなるんだよ」
「上等だ、ダチを見捨てるような生き方、俺には真っ平ご免なんだ!さっさと表に出ろ!!」
「いいだろう。受けて立つよ」














「あーあ、田舎だなぁ……まあ、たまにはいいか」
直輝は路肩に置かれた古ぼけたベンチに座り込んだ。荷物はボンサック一つだけ。
「俊彦……しばらく会えないけど元気でやれよ」
青い空に白い雲、見渡す限りの田園風景。
「俺達が育ったところに比べたら、まるで天国だな」
俊彦の忠告を何度も無視したのだ、今の自分の状況に直輝は納得していた。
不満も無い、自業自得というやつだ。
ただ、俊彦のことだけが心配だった。
謀には疎い直輝でも、今回の左遷のカラクリには薄々気付いている。
だからこそ、友情に厚い俊彦が感情的になるのは容易に想像できた。
(俊彦、俺は、こんなこと何ともおもっちゃいねえよ)

――もし、少しでも俺の為を思うなら、おまえ自身が幸せになってくれよ
――それが一番、俺には嬉しい事なんだからさ

遠くからバスがゆっくりと走ってくるのが見えた――。




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