木下は冷たいコンクリートの床の上に体を横たわらせ鉄格子に背を向けていた。
菊地直人によって痛めつけられた肉体は今だに悲鳴を上げている。
意識は朦朧としているにもかかわらず、痛みだけははっきりとわかる。
いつの頃からか、背後に人が立っていた。
気配は感じるが振り向かなかったので、男か女か、若者か年寄りかさえもわからない。
ただ、只者ではない何かを感じる。
やがて、カツーン、カツーンと足音が近付いてきた。


「何の用だ、隼人」

足音の主は声で男だとわかった。その台詞から気配の主も男だ。

「木下大悟、海原の組織の幹部だ。晶、覚えているか?」
「どういう意味だ。名前だけは聞いたことがあるが、直接会った覚えは無いぞ」
「直人の話では、奴は俺とおまえを2人まとめて倒した戦歴があると放言したそうだ」
「俺に勝った?」
明らかに不愉快そうな口調だった。


「そんな記憶は無いな。それとも隼人、おまえにはあるのか?」
「5年前の事、覚えてないか?」
「5年前?」

数秒後の沈黙の後。


「――あの時の高校生か」




鎮魂歌―木下大悟―




――5年前――


木下は妹・加奈と供に父の旧友を頼り鹿児島に身を寄せていた。
人権派弁護士だった父が3年前に他界し、すでに母も無い身の上の彼らを親戚も煙たがった。
父は正義感厚い弁護士だったが、それが災いしてトラブルも多かった。
政府のやり方にも批判を繰り返した結果、親戚からも絶縁状態だった。
父の旧友もやはり、その手の危険な運動活動家だったというわけだ。


父の事故死が実は暗殺らしいと知った時から、木下は父以上に危険な活動に身を投じるようになっていた。
活動家の里親を介して知り合った組織は規模こそ小さいが過激な反政府活動をしていた。
木下はそこであらゆる事を学んだ。
学校が教えてくれないこの国の理不尽な仕組み。
そして、そんな不条理な国家に対抗するためのための犯罪行為の手段を。
育ち盛りの少年が勉学ではなく、大人でも知らないような破壊工作の習得に情熱を注いだ。
元々素質があったのか、実戦にも参加するようになっていた。
鹿児島第三軍事基地。木下は組織の若者達と、その基地への侵入を試みることにした。




木下は夜中にそっと自室の窓を開けた。
里親は自分を組織に紹介しておきながら、反政府活動はまだ早いと言う。
今夜の事は秘密だった。窓枠に足をかけると背後からカタッと音がした。


「お兄ちゃん、どこに行くの?」
寝ていたはずの妹が瞼をこすりながら尋ねてくる。
「ちょっと出掛けてくる。内緒だぞ」
念を押したが幼い妹は納得できないらしく、しきりに首をかしげている。
「いいか加奈。兄さんは大事な仕事があるんだ、秘密の仕事なんだよ」
「何の?」
「それは言えない。戦隊のヒーローだって自分の職業は秘密にしてるだろ」


幼い子供に正義の味方は一番効果的な魅力ある言葉らしく加奈は大人しく引き下がりベッドに戻ってくれた。
木下はホッとして外に出た。仲間と合流し、そのまま基地に向かった。
辺境の基地だったためか警備が甘く、壊れかけたフェンスも今だ修理されてない。
木下達はそこから侵入を試みた。


「誰もいないな。よし、行こう!」
今回の目的は基地の青写真を盗む事だ。特に武器庫の位置を把握する事が重要だった。
木下達は難なく基地の奥まで侵入する事に成功した。
今のところは順調。呆気ないくらい簡単だったので、半ばいい気になっていた。
その時だった。ぱっとライトが幾重にも付き、一瞬で木下達は眩しい光に包まれた。
しまったと思ったが遅かった。


「何者だ、武器を捨て大人しくしろ!」

光の向こうに兵士のシルエットが見え木下達はぞっとした。
逃げられない。逃亡をはかれば背中に鉛の玉が食い込むことになる。
すぐに両手を挙げ無条件降伏をすることにした。
ドンパチする予定ではなかったので銃器は持参してない。

「何だ、まだ子供じゃないか。おまえら、ここに何しに来た!」

組織の上の人間からは、よく「おまえ達はまだ青二才だ」と言われていた。
その年齢が今回は役に立った。しかし、それはすぐに殺されずに済んだというだけに過ぎない。
軍事基地に不法侵入なんて未成年だろうと保護観察処分では済むまい。
いや、これをきっかけに組織を壊滅させられるかもしれない。
木下はこれから起きるであろう軍の報復を思い唇を噛んだ。


「おまえは……木下だろ、近所の弁護士に引き取られた小僧の」

聞き覚えのある声だった。近所に住む軍人だ。
木下の里親は政府に強い反感を持っていたが、かといって保身を考えないほど表立った批判活動もしていない。
国家にとっては善良な一市民を演じきっているため、警察に睨まれることもなかった。
その為、近隣の軍人ともそれなりに良好な近所付き合いをしている。
木下自身、孤児という同情心からか、何かと親身になってもらっていた。
その近所の軍人――岩城という陸軍軍曹だ――は、兵士達に銃口を下げるように指示した。


「おまえ達、どういうつもりだ。ここがどんな場所か知らないわけじゃないだろう!」
大人がいなかった事、銃火器を所持していない事から、岩城は愚かな若者が集団でバカな冒険心を起こしたと考えた。
木下にとっては幸運な展開だったろう。
「軍曹、知り合いですか?」
「近所に住むガキだ。後は俺がやるから、持ち場に戻れ」
「しかし不法侵入者ですよ。未成年とはいえ、このままにはできないでしょう。
上に報告してしかるべき処置をするべきです」
子供の悪戯ではすまない。運がよくて少年院行き、いやもっと最悪の事態も考えられる。


「上には黙っておいてくれ。俺の友人が預かってる子なんだ。
ルールを踏み外したい年頃だからバカな行動を起こしてしまっただけだろう。
普段は夜歩きもしない真面目な子なんだ。俺に免じて大目に見てやってくれ」
「ですが……」
「もし上にばれたら俺が全責任をとる」
責任をとるといった岩城の言葉に、兵士達はようやく引き下がったが、それは明らかに法律違反の行為だった。
木下達は岩城にこってりと絞られ解放された。


「いいか、二度とするなよ」
「すみませんでした」

岩城は木下の命の恩人となったのだ。














その後、木下は半年ほど大人しくしていた。
怖気づいたわけではない。命の恩人に対して迷惑をかけたくなかったからだ。
岩城は妻を亡くしていたが実家に預けていた娘が1人いた。
その娘の為に除隊し田舎で農業でもしながら平穏に暮らすさと、言っていたのだ。
事を起こすなら岩城が引退してから。木下は、そう決意していた。
そして、その日が来た。木下は再び仲間と供に基地に侵入したのだ。




「やったな木下。基地の情報さえ入手できれば、奴等をぶっつぶせる」
「そうだな。おい、待て!」

番兵の交替時間はしっかり事前調査した。その僅かな合間を縫って侵入したのだから。
ところが、その交替時間に僅かなずれが生じていた。いるはずのない兵士がいる。

やばい!見付かったら非常にまずいことになる!

「誰だ、貴様ら!」
計画のほつれは、すぐに結果となって現れた。見付かったのだ。
「畜生!」
反射的に仲間が銃を構えていた。
「ばか、よすんだ!」
銃声が空を切っていた。次の瞬間見たのは兵士が仰向けに地面に転倒した様だ。
慌てて駆け寄りそばに屈むと首に触れた。脈がない、死んでいる。


「……まずいことになったぞ」

殺しまでするつもりはなかった。手を下した仲間も敵とはいえ予定外の殺人にショックを受けている。
遠くからざわめきが聞こえていた。銃声を聞きつけて兵士が此方にやってくる。
立ち止まっている時間はない。木下は仲間を引き連れフェンスを越えた。
公道に出ると殺害に使用した銃を川に投げ捨て車に乗り込み早々と発車した。
騒ぎになる前に街に出なければ厄介なことになる。
死人が死んだ以上、今回はつかまれば見逃してはもらえないだろう。




「おい検問だぞ!」

仲間が叫んでいた。前方に光が見える。
予想以上に軍の動きは速すぎる。もう検問が敷かれているとは。

「強行突破するか?!」
「それこそ、まずいだろ。俺達は深夜のドライブをしてた、証拠は無いんだ。落ち着くんだ」

光が大きくなってくる。木下は様子がおかしいことに気づいた。
光は2つだけ。車のヘッドライト1台分だ。
その光の向こうから現れたのはたった1人の人間だった。


「岩城さん……!」


木下の心臓の鼓動はドクンと大きく脈打った。
引退したはずの岩城がなぜこんなタイミングで自分達の行く手を阻むのか。
木下は緊張しながらも停車した。おそらく岩城は深夜のドライブでもしていたのだろう、そう思うことにした。
だが岩城は自分の顔をみた瞬間、鋭い眼光で睨みつけてきた。




「……おまえ、おまえだったのか」
木下の鼓動はさらに大きく速くなった。
「俺の教え子が殺されたと連絡があった」
引退していたはずの岩城がなぜ逃走ルートにいたのかわかった。
岩城は基地に向かう途中、この道を走行している怪しい車を発見し停車、待ち構えていたというわけだ。


「……そういう事だったのか」

岩城は全てを悟ったようだ。自分達が、ただの愚かな若者の集団ではない事に。
二度目はいい訳など通用しないとわかっていても木下は慌てて弁解した。

「俺達、ドライブを――」
「そんな出まかせが通ると思っているのか!!」

万事休すだった。岩城は携帯電話を取り出している。


(……連絡されたら)


自分達だけでなく組織そのものがつぶれてしまう。
父の仇である国、いや父の為だけでない、全ての不幸な国民のために国家を潰すのは正義だ。
ここで捕まれば全てが終わる。聖戦を初戦で終わらせるわけにはいかない。


『岩城さん、どうしたんですか?』
「容疑者を発見した。今すぐ連れて行く」
『容疑者?どんな奴です?』


――今なら俺達の存在を知っているのはこの人だけだ。


「驚くだろうが、実は――」
岩城はガクッと膝をアスファルトの道路についた。携帯電話が乾いた音をたて落ちる。
『岩城さん、どうしたんですか?』
携帯電話が鈍い音を出し通話が途切れた。


「木下……!」
「……逃げるぞ。急げ!」

木下は血のついた石を投げ捨てると車に飛び乗った。

(仕方なかったんだ……!)

木下は心の中で何度も同じ言葉を繰り返した。




猛スピードで車をとばし、予定より早く帰宅できた。
二階の窓からこっそりと部屋に戻った。

(何もなかった。今夜は何もなかったんだ)

「お兄ちゃん」
凄い形相で振り返ったのか妹がびくっと反応して目に涙を浮かべた。
しまったと思い、すぐに優しい口調で話しかけた。
「こんな時間まで起きてちゃ駄目だろう」
「ごめんなさい。でも起きたらお兄ちゃんいなくて……」
木下は渋そうに顔をしかめた。


「先生も知っているのか?」
「ううん」
「そうか。いいか、お兄ちゃんが外出してた事は内緒だぞ。ずっとこの部屋にいた。
誰かに聞かれたら、そう答えるんだ」
「どうして?」
「どうしてもだ。もしも、おまえが本当の事を誰かに言ったら、お兄ちゃんとおまえは離ればなれになってしまうかもしれないんだ」
「そんなの嫌!」
「だったら約束してくれ。誰にも言わないと」
「うん」


加奈は約束を守った。次の日、事件をしった里親が加奈に木下の動向を尋ねたが真実は決して言わなかった。
幸いにも木下の元に憲兵が現れることはなく、犯人不明のまま事件は幕を閉じた。
木下は岩城の葬式の数週間後に妹を連れ中国地方に移り住んだ。
妹と同じくらいの女の子を孤児にした。殺したのは恩人だ。
その罪の意識から逃げたかったのかもしれない。


中国地方で木下は鹿児島の組織よりはるかに大きい革命組織に出会った。
リーダーの海原の元、木下は腕を磨き幹部にまでなった。

「この子達は?」
「親を失った孤児です」

鉄平と泰三に出会ったのも、その頃だった。

「俺が面倒をみよう。いい面構えだ、きっといい戦士になってくれる」

自分と同じ孤児。何より、自分が孤児にしてしまった少女と同じくらいの年齢ということが心にひっかかった。
同情だけでなく罪滅ぼしの気持ちもあったのだろう。














「軍事施設に侵入する?」
海原から受けた任務は嫌な過去を連想させた。
「幼い子供を洗脳して国家に忠誠を捧げる兵器に作るための施設だ。
破壊して子供達を解放するんだ」
「今は使える戦士が少ないだろう海原?」
「東北の都丸好晃(とまる・よしあき)が右腕の安仁屋を連れてきている。作戦に参加してくれるそうだ」
「都丸……あの都丸か。西園寺紀康が鍛え上げたという」


東北地方で超過激派として名を馳せている都丸は、木下から見ても恐ろしい存在だった。
17才の木下より3才も年下の14才でありながら、すでに政府にブラックリストに上げられている人間だからだ。
ただ最近は病気のせいで大人しくしていると聞いている。
あの生きた伝説・西園寺紀康の直弟子で、将来的には彼の後継者になるだろうと目されているくらいの逸材。
どんな男だろうと木下は大いに好奇心を刺激された。


ところが都丸は屈強な男どころか少女のような容貌の少年だったのだ。
病のせいか心なしかやつれているようにすら見える。
彼の片腕と言う安仁屋は見るからに頑強そうな肉体の持ち主で、比較しても都丸は脆弱にしか見えなかった。
とにかく、木下は海原の命令に忠実に従い作戦を開始した。




そこで出会ったのだ。2人の恐るべき戦闘力を持った少年に。
木下達は、高校生の見学集団に紛れて施設に潜入した。
国家に自由を奪われている子供を助けにきたつもりだった。
だが少年達を連れ出すどころか、その2人の少年が激しく抗戦してきたのだ。

「ここをどこだと思っている!」

彼らはほんの子供だった。妹・加奈と同じくらいの年齢だろう。
つまり小学生だ。そんな子供が猛然と攻撃を仕掛けてきた。

(早い!)

木下にとっては衝撃だった。思わず本気で攻撃を避けたのだ。
手加減して押さえつけるには、あまりにもその子供達の戦闘力は常識を超えていた。
(本気で戦わなければ俺は負けるかもしれない)
木下は全力で戦った。その少年達が床に倒れるまでに、かなりの時間と体力を費やした。


「……くそっ」
少年が悔しそうに顔を上げた。ボロボロのはずなのに、その目からは戦闘意欲は消えてない。

「まだだ、まだ俺は負けてない……!」

少年は袖をまくり上げた。その手首にはパワーリフトが巻かれている。


「晶、外す気か。それは大佐に禁止されているだろう!」
「非常事態だ。隼人、おまえも外せ。それともこのまま無様に負けたいのか!」


――な、何だ……この子供達は?


「俺は負けな――」

その台詞を最後に少年達は今度こそ床に這いつくばった。
「都丸……!?」
いつの間にか、少年達の背後にあの華奢な都丸が立っていた。
都丸の手刀によって後ろ首に衝撃を与えられたのだろう。

「忠告しておくよ木下」

都丸は恐ろしい言葉を吐いた。




「この2人、今すぐ、この場で殺すんだ」




「……なっ!」
「この国を本気で潰したいのなら、大勢の罪のない市民を守りたいなら」
「まだ子供だぞ!小学生じゃないか!!」
「だから今のうちに息の根を止めろと言っているんだよ」




「断言しよう。この坊や達は3年も待たずに、おまえなんか足元にも及ばなくなる。
恐るべき敵となって、俺達の前に立ちはだかる。後悔したくはないだろう?」




木下は2人の少年を見詰めた。
「……駄目だ。まだ子供じゃないか」
都丸は「俺に逆らうんだ」と冷たい口調で言った。
しかし「いいさ。この坊や達を倒したのは君だ。君が殺す権利を放棄するなら、俺は何も言わないよ」と、あっさり引き下がった。
都丸は踵を翻すと歩き出した。


「待て……!」

晶と呼ばれた少年が立ち上がろうとしていた。だが、すぐにまた床に崩れる。
鋭い目つきで都丸を睨みつける。その殺気は子供のものではなかった。


「おまえ……名前は?」
「感心な坊やだね。俺の名前を聞いてどうするんだい?」
「いつか、おまえを殺しに行く」
「ふふ、それは楽しみだね。待ってるよ」

都丸は再び歩き出した。二度と振り返らなかった――。














「あの時、俺達は11才だった。晶、俺達の初めての実戦は苦い敗北だったな」
「そうだったな。しばらくは、こいつに負けた事が悔しくてしょうがなかった」
「だが、しばらくすると忘れていた。再会しなくてもわかったさ、俺はもうこいつを越えたと。
だから存在自体忘れていた。あの敗北も今では悔しいとすら思っていない」
「そうか。実におまえらしい」
木下の耳に聞こえた彼等の談話。しばらくすると立ち去る足音が聞こえ、やがて静かになった。




『断言しよう。この坊や達は3年も待たずに、おまえなんか足元にも及ばなくなる。
恐るべき敵となって、俺達の前に立ちはだかる。後悔したくはないだろう?』




都丸は正しかった。自分のつまらない感傷が、全国の反政府組織に大きな被害をもたらしたのだ。
あの時の少年は今や特選兵士という恐るべき存在として、彼らの命を脅かしている。
もし、木下に予知能力があったら都丸の言葉に従い、あの時、彼らを殺しただろうか?


――いや。

木下は否定も肯定もできなかった。
幼い子供を殺せただろうか。たとえ未来を知っていても。


――俺は中途半端だ。俺では、この国を救えない。
――俺は非情になりきれない。


牢獄の床は冷たい。
木下は静かに目を閉じた。




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