『よっ俊彦、元気か?』
スマホの向こう側の声は相変わらず明るさの塊だった。
「……不自由はないか?俺にできることはないのかよ?」
『ばーか、そんな声出すなよ、田舎も慣れればいいもんだぜ。
空気は澄んでるし食い物は美味いしガラの悪い連中も少ないしな』
「ははっ、相変わらずだな」
俊彦の心配を余所にスローライフを楽しんでいるらしい直輝。
かつては特選兵士の候補にまでなった大友直輝が海軍の辺境支部に飛ばされてから一ヶ月がたった。
文字通りの左遷である。
確かに直輝は兵士としては色々と問題があった。
一言でえば素行不良という奴だ。
上官には逆らう、その場のノリで行動する、任務はすっぽかすets……。
左遷されるには十分過ぎる理由だろう。
その戦闘力の高さを持ってしても補いきれるものではなかった、ついに大友直輝に天誅が下されたと誰もが思っていた。
しかし事実は違う。彼の今の不遇はある男の差し金だったのだ。

『なあ、俊彦。おまえの事だから変な責任感じてるだろうが、そんなもん一切無用だぞ。
こんな事で負けるんじゃねえぞ。彼女のこと諦めるなんて言ったら絶交だからな』
「……たくっ、おまえほど馬鹿な男はそうはいないぜ」


――俺なんかに脈があるわけねえだろ。良恵の周りには俺なんか敵わない野郎が揃ってんだぞ
――それなのに余計な事しやがって、ほんと馬鹿だぜ、おまえは




鎮魂歌―大友直輝(前編)―




「おい直輝、おまえ、また任務を途中で投げ出したんだって?いい加減にしろよ、今に痛い目に合うぜ」
俊彦は額に手を添えながら溜息をついた。
「ははっ、大袈裟だな。俺みたいな優秀な兵士、軍が簡単に手放すわけねえじゃないか」
肝心の直輝は俊彦とは反対に現金なものだった。
「……おまえは手柄も立ててるから、その程度で済んでるんだぞ。
でもなぁ、それだって限界ってもんがあるんだよ。いつまでもガキくせえことしてないで少しは大人になれよ」
「俊彦~、おまえ、いつから、そんな分別臭いこというようになったんだよ。
人生、もっとエンジョイしないと、せっかくこの世に生まれてきた甲斐てもんがねえじゃないか」
直輝は軍の人間からの評判は最悪の部類にはいるが、反して人間性の悪い男ではなかった。
むしろ彼を知っている人間からは、明るくて屈託のない人柄の直輝は親しまれ好感度は決して低くなかった。




「そんなことより、おまえこそ、いい加減にしろよ」
「は?何の事だよ」
「何って決まってるだろ~、彼女だよ、カ・ノ・ジョ」
直輝は俊彦の頭部を拳でぐりぐりしながら、ニヤニヤと笑みを浮かべた。
俊彦は赤面しながら「な、何言ってんだよ」と目をそらした。
「おまえ、いつになったら彼女に告白するんだよ。
男なら、さっさと玉砕覚悟で言えよ、でないと他の男に横からかっさらわれるぜ」
他の男……直輝が誰のことを言っているのか考えなくてもわかる。
今月号の軍専用のゴシップ誌でも海軍一のモテモテ男・佐伯徹の話題で持ちきりだった。

『海軍きっての美少年・佐伯大尉に熱愛発覚』
『佐伯大尉のハートを射止めた謎の美少女の正体は?!』

そんな見出しを何度目にした事か。
良恵がXシリーズの女という複雑な立場ゆえ実名や顔写真こそ公表されていないが、すでに一部には知れ渡っている。
(美男美女のカップル、しかも相手は科学省の秘蔵娘なんて、障害がデカすぎて大衆のハートをめちゃくちゃ刺激するネタじゃねえか)
目にモザイクこそかかっているが、良恵の顔を激写しSNSにアップした馬鹿な俗物兵士もいた。
ちなみに、その兵士は次の日、軍に居場所を無くしていた。
高尾晃司か堀川秀明に消されたんじゃないのか?という物騒な噂さえたったほどだ。
マスコミや馬鹿な俗物にも腹が立つが、一番頭にくるのは噂の恋愛劇のもう一人の主人公である徹だ。
ゴシップ記者が良恵の事を嗅ぎつけた時、きっぱり否定してくれたら、こんな騒ぎになることはなかったのだ。




華やかにモテすぎる男・徹をターゲットにしたゴシップ記事は、これが初めてでは無い。
名家の令嬢で美人の誉れ高い女性が今まで何人も徹の恋の相手して名が上がった。
しかし実際は女性側の一方的な恋慕であり、徹にとっては迷惑千万な話でしかなかった。
フェミニストを気取っているものの、徹は実は大の女嫌いだということは一部の軍人には知れ渡っている。
その一部の軍人の中に俊彦も入っている。
愛想が良く外面のいい徹の裏の顔を知っているだけに、女性にどれだけもてようと内心俊彦は同情すらしていたものだ。
ただ、ゴシップ記者が、さらなるネタを求めて徹に突撃取材する度に徹は軽くあしらっていた。




「そんな捏造された噂がはびこってるなんて知らなかったな。
彼女とは単なる顔見知りで、ろくに会話もしたことない関係なんだ。
それなのに、そんな邪推されてたなんて俺自身が一番驚いているよ」
と、笑っていたものだ。
もちろん、その笑顔の下で修羅が火を噴いていたことは言うまでもない。
その嘘からでたスキャンダルを真にしようと、さらに食い下がった記者がいつの間にか姿を消したのも一度や二度ではない。
今回の良恵との噂も徹の胸一つで簡単に収束されただろう。
だが、徹を囲いマイクを向けた記者達に放たれた言葉はそれまでのものとは違った。




良恵と俺が大恋愛の仲だって?」
今までの相手は名字にさん付けだったのに、いきなり呼び捨てにしたのだ。
それだけで今までの相手とは何かが違うと記者達の質問は熱を帯びた。
「それで天瀬良恵さん……いえ、例の女性と交際していらっしゃるんでしょうか?」
「すでに結婚の約束をしているという話も出てますが事実ですか?」
その様子を軍専用チャンネルで視聴していた俊彦は「さっさと否定しろよ!」と心の中で叫んでいた。
返答を今か今かと待つ記者に徹はたった一言だけを放った。


「君達の想像におまかせするよ」


一斉に記者達はざわついた。テレビを視ていた軍人達も同様だ。
もちろん俊彦も例外ではない。
いや、ショックの度合いは他の連中など比較にもならなかったと言ってもいいだろう。
特選兵士という立場ゆえに、公共の施設で一番良い席でテレビを視聴していた俊彦(つまりテレビの真ん前)
他の連中が一斉に驚く中、俊彦は思わずモニターに駆け寄った。
「何、言ってんだ徹!!」とモニターをがたがたと揺らしながら盛大に絶叫。
「瀬名さん、テレビが壊れますよ!」と周囲が注意しなかったら器物破損の現行犯になっていたかもしれない。




否定も肯定もしなかった徹、いや、あの返答は肯定も同然。
記者たちは色めき立ち、その後、 良恵は佐伯徹の大本命としてゴシップ記事のターゲットとしてなったのだ。
密かに良恵に恋心を抱いていた俊彦としては当然面白くない。
良恵に熱烈な求愛をしている特選兵士は徹だけではない、国防省のプレイボーイ・立花薫も同様だ。
ただし、俊彦は薫に腹を立てながらも徹ほど脅威は感じてなかった。
なぜなら、二人の美少年は非常にモテて嫌味ったらしい性格という共通点こそ多いが決定的に違う点があったからだ。
徹は心から良恵を愛しているが、薫は美人をモノにしたい、徹に吠え面かかせたいという不純な動機でアプローチしている。
良恵自身、その事を承知しているので薫の求愛は常に撥ね付けているからだ。




先日も特選兵士が集まった場所で薫は恥も外聞もなく良恵に愛を囁いた。
良恵の手を握り、「どうして僕の真心をわかってくれないんだい?いい加減に僕の愛を受け止めて欲しい」と。
「僕のどこが不満なんだい?容姿、性格、知性、将来性、経済力、どれも完璧、僕ほど優良物件はいないと思うよ」
俊彦は呆れながら小声で「性格は悪いだろ」と呟いた。
「薫、そういう問題じゃ無いの。ただ、あなたは私のタイプに合わない、それだけなの」
薫の口の端が僅かに引きつった。




「だったら、君のタイプを聞かせてくれないか?」
「浮気しない人」
「……は?」
「聞こえなかったの?浮気しない人よ」
シーンと静まりかえった。常にぺらぺらと口説き文句を口にする薫が言葉を失っている。
「あーはははっ、良かったじゃないか薫、難しい事ではないだろう!」
静寂を破ったのは晶の大爆笑だった。
薫が悔しそうに晶を睨み付けたが、笑ってやりたいのは俊彦も同じだった。




良恵、俺は絶対に浮気なんてしないぞ!!」
薫を押しのけ、攻介が身を乗り出して大アピールした。
恋愛に奥手な俊彦もさすがに触発され、「俺だって彼女だけを大事にするぞ!」と主張した。
良恵は微笑みながら、「そうね。あなた達と付き合ってる女性は絶対に幸せになれるわ」と言った。
半分嬉しいが半分がっかりした。全然、良恵に伝わってない。
「どきなよ」
攻介と俊彦を背後からどつき倒し徹が登場した。
良恵、俺が愛してるのは永遠に君だけだ。だから浮気なんて心配しなくていいよ。
はっきり言って君以外の女は殺意の対象でしかないんだ」
隼人が溜息交じりに「徹、それも問題だと思うぞ」と言った。
良恵は赤面しながら、「……何を言うのよ」と呟くように言った。
俊彦は焦った。明らかに良恵の反応が自分や攻介の時と違う――。














「はぁ?俊彦、おまえ馬鹿じゃねえの?」
その話を聞いた直輝は心底呆れた。
「おまえさぁ、自分の過ちに全っ然気付いてないだろ?」
「……何だよ、過ちって」
「おまえと蛯名って本当に馬鹿だよ。
何で佐伯みたいにそこで彼女を名指ししないんだよ。そういうところで差がつくんだぜ。
おまえと蛯名のやり方じゃ、単なる『誠実な男』アピールだろ。佐伯のは、まんま愛の告白じゃねえか。
おまえ達は誰が相手でも恋人なら大事にするって事だろ。
それはそれでいいけどさ、佐伯は特定の一人だけ、つまり彼女だけを大事にするってほざいたんだぜ。
後者の方が断然インパクト強いし、天瀬だって悪い気起きないだろ」
俊彦はしょぼんとしている。ちょっと、言い過ぎたかな。
「だから、さ。なあ、俊彦」
直輝は俊彦の肩に腕を回し「挽回するために、ここは一発言っちまえよ」と煽った。




「言うって何を?」
「おまえ、本気で言ってるのか?決まってんだろ、告白だよ、告白。
『好きだ、愛してる、付き合ってくれ』たったの三語だ。ほら、明日にでも言っちまえ」
「ば、馬鹿言うなよ、おまえ!」
俊彦は真っ赤になって立ち上がった。
「そんなこと出来るわけねえだろ!」
「はぁ、何でだよ?おまえ、彼女の事好きなんだろ?」
「それとこれとは……」
「自信無いなんて情けないことは言うなよ。
告白しなきゃ絶対に彼女と一緒になれないぞ、可能性に賭けて当たって砕けるのが男だろ?」
「他人事だと思って簡単に言いやがって。良恵は晃司や秀明を見て育ったんだぞ。
良恵にとって男の基本はあいつらなんだ。そんな女が俺みたいな凡人に惚れてくれるわけないじゃないか。
おまけに良恵は優しい上にこういうことには慣れてない。
友達だと信じてる俺に告白なんてされてみろ。気まずくなって今の友人関係すら壊れるかもしれねえだろうが。
俺は友達でもいいから、あいつとはこれからも親しい間柄でいたいんだ。余計な事言わないでくれ」
直輝は「はぁぁ~」と、わざとらしいくらい大きな溜息をついた。
これほど頭にきたのは久しぶりだ。
俊彦は良い奴だが、恋愛沙汰に関しては奥手すぎて優柔不断にしか見えない。




「じゃあ聞くが、佐伯はどうなるんだよ」
「徹?」
「噂じゃ、天瀬の顔を見る度に好きだの愛してるだの結婚しようだのって盛大に求愛してるっていうじゃないか」
「……合ってるぜ、その噂」
「で、彼女と佐伯の仲は気まずくなってるのか?」
俊彦は、ハッとした。
そして、しばらく固まった後で「……なってない。全然気まずくなってないぞ」と言った。
「じゃあ、おまえだって言えるだろ。仮に断られたってさ、これからも友達でいれるじゃねえか。ほら、言っちまえ」
「……でもなあ、俺と徹とじゃあキャラが違い過ぎるだろ」
「かぁぁー!情けねえ!!こんな小心者とガキの頃からダチやってたなんて俺自身が情けねえよ!!」
俊彦はむっとして「そこまで言うことないだろ!」と反撃してくる。




「ただでさえ佐伯に差をつけられてるってわかってんのか!?
こういっちゃあ何だが、あいつは出世のスピードも顔もおまえより上なんだぞ。
その上、押しの強さで負けたら、おまえが佐伯に勝てる要素なんかねえじゃねえか!」
「あのなぁ、問題は徹だけじゃ無く――」
「高尾か?堀川か?それこそ、俺に言わせりゃへそで茶をわかすぜ、あいつら彼女にとっちゃあ兄貴みたいなもんなんだろ?
兄貴に劣等感持ってるから自分の気持ちを封印とか、そんなにてめえのつまらねえプライドが大事かよ。
惚れた女より自分の気持ち優先って、それでも男か、玉ついてるのかよ!?」
「だったら聞くが、おまえだったら言えるのかよ!
一生、晃司や秀明と比較されて劣ることは許されないなんてプレッシャー、想像したことあるのか!?
晃司や秀明に匹敵するような男でないと、良恵にとっちゃあ男として認識されるかも怪しいくらいなんだぜ!
あいつらと同じレベルじゃねえと良恵とは釣り合わねえんだよ……」
「だったら、あいつらのレベルまで上がればいいじゃねえか!」
「……簡単に言ってくれるぜ。俺はトレーニングで相手してもらったことあるが74戦0勝だぞ。
しかも、あいつら全然本気だしてなかったんだ。勝てるわけねえだろ」
「ああ、もういい!おまえの事、心底見損なったぜ!!」
直輝は乱暴に椅子から立ち上がると俊彦に背を向け歩き出した。
「おい、直輝」
「俺達は家族なんて顔も知らない人間だ。俺は無茶苦茶な性格で家庭持つなんてタイプじゃない。
だから、ダチのおまえには俺の分まで幸せになって欲しかった」














直輝は海辺にいた。広がる水平線に青い空に蒼い海。
むしゃくしゃした時は絶景を観るに限る。
「……俊彦の大馬鹿野郎」

俺なら言うぜ、望みなんかなくっても絶対に言う。
勿体ないじゃねえか、俺達みたいに身内に縁が無い人間が心底惚れることができる女にせっかく巡り会えたのに黙ってるなんてよ。
彼女の周りにいる男が格上だからって何だよ。
もしかしたら彼女が悪趣味で、おまえの方がタイプかもしれないってポジティブに考えられねえのかよ。
あー、じれったい!

いつもなら、どんな喧嘩しても数日もたてば元通りになる二人だったが、この時は違った。
(……こうなったら俺が人肌脱いでやるしかねえな)
直輝は良い奴なのだが、お節介すぎる性分だった。




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