手越純生(てごし・すみお)は久しぶりの国防省正門を前に複雑な感情を感じた。
特別許可証を提示すると守衛たちは一様に疑わしい目つきを一変させ低姿勢で門を開いた。
菊地春臣の権力は衰えていない。
その後も何度か中門をくぐったが、その度に菊地春臣の署名入り特別許可証は威力を発揮した。
局長執務室に案内されたが、菊地の部下からは「面会時間は五分だ」とドアをノックする前に事務的に告げられた。
鎮魂歌―直人過去(前編)―
「お久しぶりですね……局長」
「平凡な学生生活は楽しかったか?」
菊地は目線も合わせずに言った。
「局長の推測の範囲でなら」
「そうか。直人は訓練ルームだ、挨拶くらいしておけ」
そんな妙な会話をしただけで菊地との再会は終了した。
思った通り菊地の言葉には感情は籠もってなかった。相変わらず冷徹で淡々としている。
菊地の指示に従い訓練ルームに向かうと、直人とその部下たちの姿があった。
(『菊地』直人……か)
純生が知っている直人は『桜井』という苗字だった。
(俺はどうなるんだろう?)
親も頼りになる親類もいない天涯孤独の身。
純生は感情にこそ出さなかったが、今後の己の人生を考えると怖かった。
モヤモヤとした気持ちのまま訓練ルームに入室した。
扉の開閉音に反応して視線を向けてくる連中全てが、なぜか自分の事情を知っているような感覚すら覚える。
純生は、その居心地の悪さに反射的に視線を背けた。
「しばらくぶりだな。何か用か?」
桜井、いや菊地直人とは数ヶ月ぶりの再会だったが、まるで数年ぶりのような錯覚さえ覚えるほどに彼は変化していた。
以前より眼光が鋭く凛々しい顔立ちになっている。短期間で少年はこれほど成長するのかと思い知らされた。
(局長の目に狂いはなかった。俺なんかとは比較にならない。もう俺に未来はない)
純生は、がっくりと肩を落とした。
純生が知っている直人は、まだ年齢ゆえの未熟さが垣間見える荒削りな少年だった。
まだチャンスは残っていると心のどこかで期待していた。
純生は思い出した。一年前のことを――。
――1年前――
純生は国防省のとあるトレーニングルームにいた。
同室の一つ年上の滝遼助(たき・りょうすけ)、同い年の近藤梨亜(こんどう・りあ)とはライバル同士だ。
純生は半年前に、菊地春臣の部下に見込まれ孤児院から引き取られた。
「あの方のお眼鏡にかなえば、おまえの未来は明るくなる」
それは魅力のある言葉だったし、実際、純生はその淡々とした性格とは裏腹に多少なりとも野心があった。
菊地春臣は独身で子供がおらず、跡継ぎ候補を集めていた。
まずは里子として、しかし菊地家にふさわしいと判断されれば正式に養子になれる。
孤児が名門・菊地男爵家の跡取りになれるのだ。
当主の菊地晴臣が血筋にはこだわらない実力主義ゆえに候補者達は孤児院出身者も少なくなかった。
ただ数ヶ月もすると、その大半は姿を消し、なおかつ新しい跡継ぎ候補がやってきた。
まるでコンビニの客が入れ替わるのを見ているようだった。
そんな中、純生と遼助と梨亜は残った。他にも何人かいたが全員で1ダースにも満たない数になっていた。
ようやく候補者が数名に絞られた。
遼助と梨亜は一気にあがった合格率に素直に喜んでいた。
表情にこそ出さなかったが純生も同じだった。
ただ、純生は、心のどこかで不安も覚えていた。
それは決定権を持つ菊地が自分たちのことを部下任せにし、ほとんど接触してこなかったからだ。
その間にも脱落者は誕生していた。
ある日、久しぶりに菊地がやってきた。
10名の『仮の我が子たち』を一列に並べ、ゆっくりと品定めをするように、その表情を凝視しながら歩き出した。
そして全員の顔を見終えるなり、いきなりその顔面に鉄拳を繰り出したのだ。
突然の痛み、突然の衝撃、女の梨亜だけは平手打ちで勘弁してもらえたが、それでも突然の仕打ちによるショックは大きかった。
全員、恐怖で愕然となった。床に倒れ込み顔面蒼白になって菊地を見上げた。
いや、恐ろしさのあまり目を背ける者すらいた。
菊地は大きなため息をつくと純生達を連れてきた部下達を振り返り低い口調で言った。
「おまえたち、私はダイヤの原石を探して来いと厳命したはずだぞ。誰が石ころを拾ってこいとと言った?」
部下達は全員意気消沈して「言い訳もできません。申し訳ありません」と全員口をそろえて言った。
「前回より優秀な人材をそろえたつもりでしたが……」
後に知ったことだが二年前にやはり菊地は全国から優秀な子供を集めて訓練を施し、その中から養子を選択しようと計画を立てた事があるらしい。
だが、その計画は予定期間の半分も費やされず中止された。
なぜなら、休日に街に繰り出すことを許可された『養子候補たち』が、たまたまある男と喧嘩沙汰を起こし全員病院送りにされた。
その相手というのが菊地家とは犬猿の仲である水島家の御曹司だったらしい。
「水島克己1人に雁首そろえて負けただと!?
そんなクズ石どんなに磨こうとダイヤになるわけがない、菊地家にこんな連中必要ない!!」
彼らは未熟だったが、それを考慮しても菊地の切り捨ては躊躇なかった。必死に訓練に耐え成長すると泣いて訴える者もいた。
しかし菊地の決心は変わらなかった。
その容赦ない厳格さは何年たとうが変わることは無いだろう。
「今度もクズ石だったようだな。私に反論したいのなら結果で証明しろ」
菊地は部下たちに命令を出したが、その口調にはすでに諦めの含みがあった。
その後も部下たちは必死に純生達を鍛え続け、その結果を逐一菊地に連絡したが、菊地は成果を見に訪れるどころか連絡すらよこさなくなった。
自分たちの成長に興味がないのだろうか?
それとも、すでに跡継ぎ失格の烙印は決定しているのだろうか?
そんな疑問が脳裏を占めていた時だった。
菊地が突然純生たちの前に姿を現したのは。その傍らには一人の少年がいた。
「直人だ。純生や梨亜より4つ年下になる」
純生は嫌な予感がした。
「おまえたちの立場を脅かす小僧だ。直人のせいで追い出されたくなかったら遠慮なくやれ」
菊地は冷酷な言葉を発した。
そして直人と呼ばれた少年の両肩に手を置くと、少しかがみ目線をしっかり合わせた。
「いいか直人、私は簡単に蹴落とされるような子供だとわかった時点でおまえを切り捨てる。
私の目が節穴ではないことを証明しろ。それが、おまえの最初の使命だ」
直人は「努力する」とだけ言った。
それから「あんたのことは何て呼んだらいい?」と質問した。
「里親とはいえ一応親子だ。好きなように呼べ、『父上』でも『父さん』でもおまえの自由だ」
「わかったよ、親父」
たった、それだけの短い会話だった。菊地はすぐに背を向け歩き出した。
しかし純生は驚愕としていた。
なぜなら菊地は純生にも他の養子候補の誰にも、そんな許可を出してなかったからだ。
菊地家に引き取られる際、純生は菊地の部下に尋ねた。
「あの、俺の父親になるかもしれないひとですよね。
今は里親ですが、それでも一応父親だ……『お父さん』って呼んだ方がいいですか?」と。
その部下は「失敬だぞ小僧。局長、もしくは旦那様とお呼びしろ」と睨み付けただけだった。
菊地が姿を消すと、早速遼助の「いびり」が始まった。
「見ろよ、おまえら。今まで脱落していった奴らの誰よりもチビだ」
それは当然だった。純生をはじめ全員高校生以上の年齢だ。
しかし直人は幼い、まだ中学にあがってもいなかった。
遼助は体格に恵まれ腕力もあり積極的かつ勝ち気な性格だった。
ゆえに彼によって追い出されたライバルも多かった。
直人もその一人になると信じているようだ。
しかし純生は遼助のように「自分が格上」などとは思えなかった。
菊地が直接連れてきたのだ。自分も含め、そんな人間は一人もいなかった。
その上菊地は言ったのだ。「私の目が節穴ではないことを証明しろ」と。
(局長自ら見込んだってことか?俺たちとはスタートが違うじゃないか。
局長は……あの人は、俺たちに満足できなくて、部下ではなく自分自身で跡継ぎ候補を見いだしたってことなのか?)
不安だった。跡取り候補といえば聞こえはいいが脱落したら、元の惨めな生活が待っている。
輝かしい未来を夢見た後で孤児院に逆戻りはしたくない。
「いいかチビ、調子に乗るなよ」
「よしなよ。子供相手にさあ」
梨亜が非難がましい台詞を吐いたが、台詞とは裏腹に目には非難の色が見えない。
純生にはわかっていた。梨亜も直人を邪魔に思っている。
「俺たちは後がないんだ。ガキだろうが今のうちにしっぽ巻いて逃げ出すべきだって教えてやるのも親切ってもんだ」
遼助は、やたら屁理屈をこねて自分を正当化する。いつも、そうだった。
幼い少年が、その『親切』で、ここを去ることになるかと思うと、純生は同情した。
ほんの少しだが。
しかし、当の直人は相変わらず顔色一つ変えない。かなり気の強い性格なようだ。
だからこそ選ばれたのだろうが、純生はそんな理由では自分の中に芽生えた不安の説明にはならなかった。
(あの局長が連れてきたんだ……何かある)
その不安が、はっきりと形になるのに、そう時間はかからなかった。
「何度、言えばわかるんだ!」
射撃場に響きわたる菊地の怒号。
「その細腕では44マグナムの反動に耐えられん。筋力トレーニングの量を倍にしろ」
「し、しかし局長。それはハードすぎます」
すかさず部下が菊地に進言したが、菊地はさらに音量を上げた。
「私はボランティアで直人を連れてきたわけではない。
私の期待に応えることができないとわかった時は、すぐに私の前から消えてもらうだけだ!」
菊地は直人に厳しかった。
多忙な日々の合間をぬって訓練ルームに顔を出し強烈すぎるスパルタ教育を施した。
僅かな失敗で手を挙げるなど、もはやお馴染みの光景となっていたほどだ。
はたからみると壮絶な苛めにすらみえる。
「おい、あの新入り、また局長に殴られてるぞ」
遼助は嬉しそうに言った。
「局長に嫌われてるんだな。消えるのは時間の問題だ」
――遼助、おまえってさ、全く気づいてないんだな
「その感覚を忘れるな。二度と同じことを言わせたら承知しないぞ」
――局長は一度だって俺たちに自ら指導したことはない。
――会いにすら来てくれなかったのに、桜井の為に、二日とあけずに顔を出すようになったんだぞ
「私を失望させるなよ直人。おまえには、この意味がわかるはずだ」
――失望させることができるのは、『期待』されている人間だけだよ遼助
「私が必要としてるのはダイヤの原石なんだ、わかっているな直人」
――遼助。その意味に気づかない無神経なおまえがうらやましいよ。
一ヶ月がたった。菊地のハードな特訓に直人は潰されなかった。
バカにしていた遼助も、さすがに動揺した表情を見せるようになっていた。
直人は確実に成長していた。菊地のみならず、彼の部下達も純生達を無視して直人にばかり構うようになっていた。
さらに二ヶ月もたたないうちに、その評価は純生達など足下にも及ばないほどになった。まるで、それが必然だったかのように。
さらに菊地は直人を名門中学の入学手続きを済ませていた。
まだ里子にすぎない立場であるにもかかわらず、エリートコースが定められた。
さすがの遼助も、その意味に気づき焦りを隠さなくなっていた。
「嫌だ!」
遼助は半狂乱になって取り乱した。
「ここを追い出されるのは嫌だ!
俺は何のためにがんばってきたんだ、何のために耐えてきたんだ!?」
泣き叫びこそしなかったものの、梨亜も同じ気持ちだったろう。
「菊地男爵家をあんなガキに横取りされるなんて!!」
遼助が育った場所はは国立孤児院の中でも悪名高く有名だった。
地獄から天国に引き上げられたがえゆえに誰よりも逆戻りを恐れていた。
純生は悪い予感がした。数日後、その予感が的中した。
なんと遼助が直人を闇討ちしたのだ。
詳細はわからない。
しかし姿を現さなくなった遼助のその後を尋ねると、「局長はあいつを切った」と教官は言放った。
直人はというと何事もなかったかのように相変わらず淡々としていた。
誰も教えてくれなかったが、遼助が返り討ちにされたことは明らかだった。
さらに遼助の考えに半ば賛同していた梨亜が、その二ヶ月後に突然消えた。
教官はまたしても「局長はあいつを切った」としか言わなかった。
二人がどうなったのか純生は知らない。
ただ、梨亜がいなくなって一週間もしないうちに教官がこう言った。
「おまえは、ほぼ完成されている。ここでの訓練で、これ以上、劇的な進化はないだろうと局長は判断なされた。
新しい訓練法を考えてやる。その間は休養するがいい。
普通の学生としてすごさせてやれとの局長のお言葉だ」
それは、実に穏やかな口調からでた暖かな言葉に思えたが、純生は得体の知れない予感がした。
「……どのくらいですか?」
「それは局長のお心次第だ。期限がいつかなどと考えず、思い切り羽を伸ばしてこい。
ただ、その間、おまえは国防省の関係者ではなくなる。IDカードは返還してもらうぞ」
「……桜井直人も……ですか?」
「余計なことは考えなくていい」
純生は悟った。菊地春臣の心は、ほぼ決定したのだと。
そして遼助や梨亜のように不届きな考えを持つ前に直人から純生を遠ざけるつもりなのだと。
(……あの時の予感は的中だったわけだ)
市井に放り出されている間、国防省の情報は、ほとんど入手できなかった。
それでも必死になって調べた結果は残酷だった。
桜井直人は、純生が不在の間に『菊地直人』になっていた。
その事実を知って二日もたたないうちに菊地から呼び出しを受けたのだ。
完全に用無しになった純生に引導をわたすつもりなのは火をみるより明らかだった。
――そして今――
「おい」
呼びかけられて純生は俯いていた顔をあげた。
「何……でしょうか?」
『何だ』と言ってしまうところだった。
「おまえは他の二人より自分の立場がわかってるようだな」
直人は淡々と言った。
「遼助と梨亜を追い出したのは、やはり、あんたでしたか」
少しばかり嫌みを含ませたのは、かつてのライバルたちに同情したからではない。
同じ運命が待ちかまえている自分の気を少しでも晴らしたかったから。
もっとも直人は眉一つ動かさない。
この程度の嫌みなど彼には全く通用しなかったようだ。
「一つだけ言っておく」
「俺が今死んでも、おまえに可能性は残らない。親父が甘い人間じゃあないことは俺が一番知っている」
純生は言葉もなかった。
「……それは、どういう……意味、ですか?」
「自分で考えろ」
背中を見せ歩き出した直人に純生は思わず声を張り上げた。
「おまえが消えたところで、局長は次を探してくるだけってことなのか!
局長が俺を選ぶことはない。俺はそんな器じゃないって言いたいのかよ!!」
誰もが振り返るほどの音量だった。
近くにいた者など「局長の息子さんに何て口のきき方を」を非難めいた声をあげた。
しまったと思った。今や正式に菊地家の御曹司となった直人に無礼を働いたのだ。
だが振り返った直人は相変わらず無愛想な表情のまま一言だけいった。
「わかっているじゃないか」
もう終わりだ。おそらく本日呼び出されたのも菊地から暇を出されるためだろう。
(……孤児院に逆戻りか。それとも他に里子に出されるのか?)
どちらにしても、灰色の未来しか見えなかった。
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