理由は考えなくともわかった。
家族や恋人を人質に取られ、殺人許可証を悪用されることを防ぐ為だろう。
「佐竹さん、家族は?」
「女房と息子がいたが……」
佐竹は直人から目をそらした。
「こいつを受け取った時に別れた。何も言わず、弁護士に離婚届けをもたせてそれっきりだ」
「じゃあ家族には……?」
「ありがたいことに何度か息子から電話や手紙がきたが……俺は冷たい親父だ。会ってやることもできん」
佐竹は少し疲れたような表情を見せた。
しかし、その目は不思議と穏やかなものだった。
「おまえとそう変わらん年の孫がいる。写真でしかみたことはねえが、結構ハンサムだぞ」
つまり佐竹が自分に構うのは会いたくても会えない孫の代わりなのだろうか?
鎮魂歌―菊地直人Ⅱ―
「そんなもの辞退しようとか思わなかったんですか?」
佐竹は渋い表情を見せた。
「最初にこれの存在を知ったときは、もしも俺に回ってきたら即座に蹴ってやるつもりだった。
もともと国家に対する忠誠心で国防省に入ったわけじゃあないしなあ」
それは直人も同じだった。生きるために義父の養子になるしかなかった。
それは同時に、いずれ国防省に入省するということでもあった。
強い意志をもって国防省の門をくぐったわけではない。他に選択肢がなかったからに過ぎない。
「だが、こんな仕事をしているうちに気づいた。俺にはこの水があってるんだってな。
常に危険と隣り合わせの嫌な仕事だが、これが俺の世界だ。この緊張感がどうにも好きなんだ。おまえも同じだろう?」
「……俺は」
直人は台詞が続かなかった。肯定したいわけでもないのに、否定する言葉がでない。
「まだ中学生のおまえに人生を語るには難しすぎたかな?」
玉がはじかれ次々に穴に吸い込まれていく。
それは直人が今まで歩んできた道、いやこれからも歩み続ける人生の縮図にも見えた。
「男ってやつは何かに夢中になる生き物だ。仕事か趣味か欲望かは、ひとそれぞれ。
俺の場合は仕事だった、おまえもそういう種類の人間だ。
いいか坊主、仕事ができる男ってのはチビだろうがハゲだろうが、いい男なんだぞ」
「そういうのはよくわからない」
佐竹は「まだまだガキだなボーイ」とからかうように言ってきた。
「でも俺は仕事のできる人間になるつもりですよ。親父もそうするつもりでいる」
「春臣か……あいつはおまえを菊地家にふさわしい人間にするために躍起になっている」
佐竹は「そろそろ移動するぞ」と言った。
「春臣は血眼になって俺達を探している。心当たりを片っ端から当たっているはずだ」
佐竹は裏口に向かって歩きだし、直人は後について行った。
窓の外をみると黒塗りの車が二台乱暴な停車をし、スーツでびしっと決めた男達が飛び降りてくるのが見えた。
全員、知っている顔だ。佐竹の勘はぴたりと当たったのだ。
「あれは、尾崎」
おまけに父の側近中の側近までいるじゃないか。
たかが息子探しに彼を使うなんて、義父が相当頭にきている証拠だ。
正面玄関から出ていたら、義父の部下達と鉢合わせになっていただろう。
「本部長、そろそろ戻らないと本当にやばいぞ。親父を怒らせたら――」
「あいつを怒らせた程度でどうにかなるか。なーに、いちゃもんつけられて左遷でもくらったら、その時はその時だ。
デスクワークばかりでなまっていたんだ。現場復帰もいいもんだぞ坊主」
佐竹は義父をまるで恐れていない。
弟分だからと思って甘くみていると痛い目に合うということをわかっているんだろうか?
「昔馴染みという関係に頼って、親父の情に期待しているのなら、とんだ期待はずれになりますよ本部長」
一応忠告してやったが佐竹は笑っているばかりだった。
非常用の裏口から路地にでると撃鉄を起こす音がした。
直人は反射的に懐から銃を取り出すと相手を確認する余裕もなく銃口を向けた。
「ちょっとタンマ!俺ですよ、俺!」
「尾崎」
尾崎美紀彦、父の側近の息子で直人の部下。彼が手にしている銃は佐竹に向けられていた。
「何のまねだ坊や?」
「申し訳ありませんが脅しですよ本部長。
局長がどんな手段を使ってでも直人様を奪い返せといきり立っていますので」
「相当焦っているようだな。カルシウム不足なんじゃねえのか?」
「怒鳴られるこっちの身にもなって下さい。
とにかく俺は引きませんよ、おめおめと戻れるわけもないでしょう」
「そうか。だったら、おまえも来い」
佐竹の予想外の言葉に美紀彦はぽかんと口を開けた。
「おまえもたまには羽目を外せ。でないと、こんな仕事長続きしねえぞ」
「し、しかし……」
「後のことは俺が責任とってやる。尾崎に文句なんか俺がいわせないから安心しろ。
息子のおまえと義理の兄弟になるようなヘマするような男だ、安心しろ」
美紀彦は愕然となっていた。
「……なぜ、それを?」
「あいつは酒が入ると口が軽くなるんだよ」
結局、美紀彦も結果的に佐竹に拉致された形になってしまった。
「おまえ、何やったんだ?」
車の後部座席に並んで座るなり、直人は先ほどの佐竹の意味深な言葉の意味を美紀彦に問いつめた。
「……つきあった女が敵の組織のスパイだったんですよ」
「よくあることだ」
国防省では本当に珍しいことではない。
もっとも水島や薫の場合は相手の女が本気になってしまい組織を裏切るという事がよくあるらしい。
奴らがその手の組織に特に標的とされている理由がそれだった。
「……任務で民間人のある専門家に協力を要請したんです。
ところが彼女はリベラルな人間で、その手の組織と通じていた。父と一緒に捕まって危うく殺されているところでした。
覚えてますか、半年前の事件。直人様も作戦には参加していましたよ」
「あれか」
確かに直人が駆けつけるのが後少し遅かったら尾崎父子はセットされた時限爆弾の餌食となっていた。
「あの女、現場から去る時にいったんです。『あなた最高だったわ。もっと違う場所で会いたかったわね』と。
俺は『こっちは二度とごめんだ』と悪態ついてやろうと思いました。
ですが父が先に言ったんです。『私もだよダーリン』……と」
そのまま美紀彦は溜息をついてうなだれた。
「……唖然として父を見つめていたら『ジュニア、おまえもか?』と」
「……その女、二股スパイだったのか災難だったな」
女スパイが複数の国防省関係者と関係を持つことはよくある。
しかし親子でとなると、本人達は、さすがに気まずいものがあるだろう。
「だが相手の素性も調べずなかったおまえも間抜けだ。俺なら、そんなヘマはしない」
「……おっしゃる通りですよ。今後の教訓にします。親父のおさがりは二度と御免だ」
直人は色恋沙汰に関しては厳しかった。
自分自身が義父の鬼のような指導に耐えているからこそ、他人とはいえ妙な失敗は我慢ならない。
それすらも佐竹にとっては滑稽なネタだったようだ。
「いいじゃないか。国防省じゃあよくあることだ」
佐竹は笑っている。直人たち若者には、まだ慣れない話だが、佐竹くらいになると笑い話でしかないらしい。
「007だってプレイボーイじゃないか。これは国防省で生きている男の宿命ってやつだ」
「……親父に聞かれたら怒鳴られますよ本部長」
その後、二人は散々佐竹に引きずり回され、夕方四時にようやく親元に帰された。
「逃げようとは思わなかったのか直人!」
直人の顔を見るなり、義父は盛大な怒鳴り声をあげた。
「上官命令は絶対だからな」
直人は悪びれずに言った。
美紀彦など青ざめているが、義父の激高に慣れている直人は平然としたものだった。
また、そうでなければ菊地家の養子などつとまらないだる。
「そうだぞ春臣、おまえ堅すぎるんだ。久しぶりに飲みに行くか?」
「本部長!今後、一切うちの息子に余計な事を教えないでいただきたい!
直人は今が一番伸びる時期なんだ。今のうちに叩き込まなければならない事が山ほどある。
あなたに付き合って遊んでいる暇など一秒もない!!」
元凶である佐竹は全く堪えておらず、義父だけが熱くなっている。
その様子は実に滑稽だった。
しかし佐竹は、そんな空気を一変させる言葉を吐いた。
「俺はな春臣、直人は将来殺人許可証を手にできる人間に成長すると思うぞ」
「殺人許可証……!」
義父の顔がさっと曇った。
それは義父の冷徹さを知り尽くしたつもりの直人が、初めて目にする表情だった。
厳格で仕事の事しか頭にない人間である義父ですら、殺人許可証をとらせるのは躊躇するのだろうか?
「上が決めることだから俺はとやかくいわねえが……もし、そうなったら遊べるのは今のうちだけだ」
義父が直人を見つめてきた。
いつものきつい視線とは違い、何か感情を押し殺したような目だった。
「……直人、もういい。下がってろ」
義父のお叱りはそこで終わりだった。殴られるのを覚悟していた直人は半ば拍子抜けすらした。
廊下に出ると美紀彦が心配そうに尋ねてきた。
「……後で懲罰なんて事にならないでしょうか?」
「お咎めは無しだ」
直人は簡潔に言った。義父の性格上、後から判断を覆すことはまずない。
「俺はいい。俺の親父なんかちっとも怖くないですから叱られてもかまわないですよ。
でも直人様を前にしてこんな事をいうのはなんですが……」
美紀彦は躊躇いがちに言葉を紡いだ。
「……局長は怖いおひとだ」
そんなこと、言われるまでもなく直人は知っている。
義父は養父で上官であると共に命の恩人だ。
幼い身で理不尽な処刑により露と消えるはずだった直人を救ってくれた。
だが、それ以上に恐ろしい存在だった。
「あいつは弟と部下をテロリストに皆殺しにされたからなあ」
いつの間に退室していたのか、佐竹が背後に立っていた。
「仕事の鬼というより復讐の鬼だ。直人、おまえは春臣にとってかけがえのない復讐道具なんだろうぜ」
美紀彦が非難がましい目で佐竹を見つめている。
「父親らしい感情ってもんが全くない」
そんなことは言われなくてもわかっている。
義父の直人に対する教育方針は仕事の域をはるかに越えていた。
「昔のあいつはもっと柔軟性のある奴だった。国防省を辞めて小説家を目指した事もあったくらいだ」
(お、親父が……?)
直人は愕然とした。こんなに驚いたのは養子縁組をしてから初めてかもしれない。
「もっとも、あいつが書いたハードボイルド小説は内容が内容だけに……なあ」
佐竹は葉巻を取り出して火をつけた。
「創造とは名ばかりで、半自伝小説だ。一般人が読む分にはありふれた活劇ですむ。
だが国家関係者がみたら顔面蒼白になる諜報活動暴露本。
本人はあくまで参考にしただけのつもりだろうが、上にこっぴどく叱られたよ。
そこであいつの創作活動は終わった。
その時、初めて思い知ったんだろう。自分が国防省という巨塔に軟禁された住人だってことを」
あの義父にそんな人間らしい一面があったとは。
直人にとっては新鮮すぎて信じ難い事だった。
「国防省の人間は生涯そうだ。自分の為には生きられねえ」
簡単な言葉だが、それだけに直人は重みを感じた。
「ロック、アレックス、変わりはないか?」
久しぶりに自宅に帰ると愛犬達が駆け寄ってきた。
どちらも精悍な表情に、引き締まった体型を合わせ持ったシェパードだ。
普通のペットではない。国防省で訓練を受けた警備犬で、菊地邸配属の名犬ときている。
犬ですら菊地の者は任務とは無縁でいられない。
直人は自分の姿と重ね合わせ苦笑した。
「何だ、これは?」
ロックの様子がいつもと少し違うので、注意深く見てみると首筋に傷跡がある。
「何かあったのか?」
警備官に尋ねると「喧嘩で負けたんですよ」と溜息混じりの返事が返ってきた。
ロックは菊地邸配属の警備犬のリーダーだ。
そのロックに喧嘩を売るなんて無謀だが、同時に自信家でもある。
「新しく配属された奴なんですけどね。大型の凶暴な奴なんですよ。
若いくせに自分がボスでないと納得できないらしく、到着早々ロックに向かってきたんです。
人間の命令も無視するような駄犬ですが喧嘩だけは強いとあってロックはねじ伏せられてこれです」
つまり、ただの喧嘩ではなくロックは無惨な敗北を経験させられたということらしい。
「可哀想に、それ以来小さくなっているんです」
ロックは縋るような目で直人を見つめている。
直人が帰宅すれば、犬同士の権力闘争にも終焉が訪れると思っていたのだろうか?
「そいつにきつい体罰をくれてやってもいいが、俺がいなくなったらすぐに同じ事をやられるぞ」
直人の言葉がわかっているのかいないのか、ロックは、ただじっと見つめてくる。
「最後に自分を守るのは自分自身だけなんだ」
(もうすぐクリスマスか)
世間ではすでに百貨店などに大きなツリーが飾られ、どこに行ってもクリスマスソングを耳にする。
直人にとってもクリスマスは特に多忙な時期だった。
だがサンタなどにうつつをぬかすわけでは勿論ない。
人々が浮き足立っている、この時期が、テロリストの大きな活動をする時でもあるのだ。
その為、直人は国防省のコンピューターと直結している自宅パソコンから、テロの標的となりやすい場所を特定していた。
将来のために勉強しておけという義父の命令だったからだ。
去年は直人の予想が専門家のものとぴったり一致しており、義父は満足げに笑っていた。
だが、その前年は経験値のない直人の予測は完全な落第点だった。
義父は鬼のように興奮して直人を叱った。数発、鉄拳制裁もあった。
二度と同じヘマはしないと直人は己に誓い、次の年ではそれを実現してきた。
それが毎年の恒例行事ともなっていた。
(……このペナントビルが怪しいな)
大手企業の持ちビルだが老朽化が進み、来年には改装するため今年いっぱいの営業らしい。
だが歴史のあるビルだけあって、その規模といい立地条件といい、最高だった。
何よりも隣接しているビルは国防省の支部、それが問題だ。
(こいつを盛大に破壊されたら国防省ビルはおろか半径数十メートル区域も全滅だ)
明日、少し出掛けてみようと直人は考えた。
例のビルは近くに大型百貨店があり、通りは行き交う人々で溢れ返っていた。
並木道はイルミネーションで飾りたてられている。
「うるせえ連中だ」
直人は不愉快そうに言った。
クリスチャンでもないのに、どうして外国の祭りなんかにこれほど便乗できるのか、さっぱりわからない。
「直人様にとってはそうかもしれませんが、世間の人間にとっては一大イベントなんですよ」
美紀彦が擁護ともいえる発言をしてきた。
「おまえ、こんなくだらないものに興味があるのか?」
「クリスマスそのものには特に。ただ、何かにつけて騒ぎたいって気持ちは少々理解できますよ。
それでなくてさえ、俺達みたいのは普段ギリギリの生活を送っていますからね」
そんなものなのか、と思いながらも、やはり直人にはいまいちわからない。
自分は他人から見たら、きっとつまらない人間なんだろうと思わずにはいられなかった。
「ここだ」
例のペナントビルは多少壁面が剥がれているものの、まだまだ十分すぎるほど壮大な姿だった。
「俺がテロリストなら、この区域をつぶす為に、このビルに爆弾を仕掛ける」
位置的にも、警備面でも、それが最適だ。
「じゃあ点検させましょうか?局長に申請すれば、すぐにでも許可をだしてもらえますよ」
「いや、おおっぴらに事を起こせば気づかれる可能性が高い」
テロリストも馬鹿じゃない。こちらの動きを察して計画を変更もしくは中止するだろう。
「しばらく様子を見る」
内密にこっそりと動かなくては意味がない。
しかし直人は自宅に戻るなり、それが叶わない事を知った。
「何だと、薫が!?」
立花薫が例の区域の調査を開始したという情報が入った。
いつも女とのデートに勤しんでおり、与えられた任務以上の事では動かない仕事嫌いの薫が自主的にだ。
考えられる事は一つ。直人の極秘調査を嗅ぎつけ、手柄を横取りできると計算したのだろう。
「迂闊でしたね直人様、あの区域はカップル連れ御用達の店が多い。つまり」
「……奴の女がごろごろいるって事か」
「ねえ薫様ぁ、どうして、そんなにご機嫌なの?」
「君が可愛いからかな。ふふふ」
直人の推理は当たっていた。彼女という名の金づるの一人が、薫に送ってきた写真付きメール。
『可愛いお店見つけたの。今度一緒にお食事してぇ、ねえねえねえvv』
そんな出だしで始まる文章などはどうでもよかった。
そろそろ切れ時だと思っていた女だ。
その女がピースで決めている姿の背景、歩く人々の間に偶然直人が写っていた。
その瞬間、薫のハイエナ顔負けの直感が痺れるほどにピンときたのだ。
(あの直人が部下を連れて、こんな場所に任務以外で徘徊するなんてありえない。これは何かある)
そう思った後の薫の行動は早かった。そして推測は確信に変わった。
(直人は近いうちに任務で動けなくなる。これはチャンスだ。
その間に僕が全てを解決してあげるよ直人、ふふふふ)
「どうします?」
直人は返事もせずに、そばにあった物を乱暴に壁に向かって投げつけた。
こんな事は今までにもあった。だからこそ、ひそかに行動していたのだ。
にもかかわらず、テロリストという大ネズミを捕らえるチャンスだと教えてやってしまった。
薫の情報網を甘くみていた自分のミスだ。
「……薫にしてやられた。俺が今まで調べた事は来週には奴の手柄だ」
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