男には二種類いるという。

自分がトップにならなければ気が済まないタイプ。
そういう男に惚れて全てを賭けてもついていくタイプ。


――俺は間違いなく後者だ。


彼、周藤輪也は、ふと思った。




鎮魂歌―周藤輪也―




――輪也、当時、小学五年生だった。


その日の国語の課題は作文。テーマは『家族』だった。
輪也が書いたのは勿論兄のこと。
母はすでに死亡、父は消息不明。だから輪也には兄しかいない。
だからと言って仕方なく兄を作文に書いたわけではない。
輪也は心の底から兄が好きだった。尊敬していた。
輪也にとって兄は単に兄弟だから好きというレベルではない。
輪也にとって兄はヒーロー、いや英雄だったのだ。


そんな兄を輪也は作文でべた褒めした。偉大な兄を級友達に自慢したい気持ちもあったのだろう。
三枚の原稿用紙には、兄を賛美する言葉で埋め尽くされていた。

「――と、いうわけで僕の兄ちゃんは世界一強くてハンサムでカッコいい最高の男です」

輪也は自慢げに作文を読み終えた。パチパチと拍手が聞こえる。
それは輪也にとって最高の瞬間だったが、その時間は長く続かなかった。


「嘘つくなよ、馬鹿野郎!!」


級友達の視線が一瞬で輪也から、その声の主に移動した。
「お、小椋君……落ち着いて」
担任がおろおろしながら、その声の主をなだめ出した。
その少年は、なぜか普段から担任を始め教師達にちやほやされていた。
実力主義の兄から多大の影響を受けている輪也にとっては何となく気に入らない存在だった。
それが自分の兄への賛美を侮辱したのだ。当然、輪也は頭にきた。


「俺がいつ嘘をついた!」
「ついたじゃねえか。嘘つき、嘘つき、大嘘つき野郎!!」


小椋は立ち上がった。

「世界一強くてハンサムでカッコいいのは俺の兄ちゃんなんだよ。ばーか!」
「な、何だって!?」
「うちの兄ちゃんは男の中の男なんだ。それに比べたら、おまえの兄貴なんか下の下に決まってらあ!」
輪也の怒りの導火線に火がついた。

「おまえみたいな馬鹿を井の中の蛙っていうんだぞ!世界一は俺の兄ちゃんだって知らないんだからな!」
「ふ、ふざけるな!俺の兄ちゃんの方が上に決まってる。俺の兄ちゃんは本当に凄いんだぞ!」
「だから、おまえは無知なんだよ!上には上がいるんだ、覚えとけ!」

輪也にとっては許しがたい言葉だった。
さらに2人のやり取りを聞いていた女子児童達が、とんでもない事を言い出した。


「……うーん、確かに小椋君のお兄さんって凄くかっこいいよね。目が蒼くって」
「美形っていうんだよ。周藤君のお兄ちゃんもかっこいいけど……でも」
「小椋君のお兄ちゃんの方がずっとハンサムだよね」

小椋は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「これでわかっただろ。おまえの兄貴とうちの兄ちゃんとはレベルが違うんだよ」
「……こ、この……くそったれ!!」


ついに輪也の怒りは一気に臨界点を突破した。
輪也は小椋に飛び掛り暴力に訴えたのだ。
しかし小椋も殴られて黙っているような可愛い性格ではない。
授業中にもかかわらず、2人は盛大に殴り合いの喧嘩をした。
担任は顔面蒼白になって2人を引き離した。
そして担任、学年主任、はては教頭にまで盛大に叱られたのは輪也だけだったのだ。














「お、小椋君に怪我をさせてしまうなんて……彼の叔父様に何ていい訳したらいいか」
教頭はバーコードのような頭を両手で抱え、倒れそうなほど蒼白い顔をしていた。
「……せ、せっかく小椋君のおかげで新しいプールを寄付してもらえることになっていたのに。
たった一人の粗暴な児童のおかげでプールどころか、お咎めをこうむることになったら……」
「教頭、小椋君の父兄様が見えましたよ!」
教頭は「ひっ」と小さな声をあげながら直立した。胃が痛むのか腹部を押さえている。


「す、すぐに応接室にお通して……最高級のお茶と和菓子を……痛っ」
小椋は生徒達には身分を偽っているが、その正体は超名門の息子という肩書き持ちだった。
帝王教育の一環として、一般人が通う公立小学校に通学している。
それゆえ校長を筆頭に小椋が入学して以来、盛大に媚びへつらってきたのだ。
その苦労を台無しにしてくれた輪也に対する処遇は、すでに緊急職員会議で非情な決定がなされていた。




「教頭先生、お久しぶりです」
「こ、これはこれは季秋様」
相手はまだ高校生だったが、教頭は必死になって何度も頭を下げた。
「こ、この度は、うちの児童が弟君に無礼なマネを……どうか、どうかお許し下さい」
「先生、頭を上げてください。聞けばうちの春樹が迷惑をかけたというだけの話じゃないですか。
本来なら父がお詫び申し上げるのが筋ですが、父は仕事で外遊いたしておりますので代わりに僕が」
ちなみに仕事というのは真っ赤な嘘だった。
まさか息子の自分と五歳ほどしか違わない新しい恋人と旅に出ているとは口が裂けてもいえない。


「そ、そんな!恐れ多くも秋澄様にご足労頂いただけでも……本当に弟君には申し訳ないことを」
「そんなかすり傷程度で大袈裟な。それで相手の生徒は?」
「は、はい!季秋様のご子息に暴力をふるった問題児は即退学処分にします。
事を大きくするわけにはいかないので表向きは転校という形で鹿之砦小学校に……」
秋澄は目を丸くした。


「先生、馬鹿な事はしないでください。子供同士の喧嘩じゃないですか、穏便に済ませて下さい」
「しかし春樹様をあんな目に合せて何の処分も下さないわけにはいきません」
「心配しなくても祖父や叔父はそんな小さい人間ではありませんよ。
僕はただ、弟は乱暴者なので、先方に怪我でもさせてないかということが気がかりなだけで」
そこにトントンとノックの音がして、担任教師が春樹を連れて入室してきた。




「お兄ちゃん!」
春樹は秋澄に駆け寄る。秋澄は春樹の目線まで屈むと両肩に手をおいた。
「春樹、お友達とは仲良くしないといけないじゃないか」
「あんな嘘つき友達じゃないよ。ねえ、お兄ちゃん、あいつ県外追放にしてよ」
秋澄は眩暈がした。秋澄にとっては可愛い弟なだけに過激な発言はショックなものなのだ。


「春樹、何て事を言うんだ!」
「だって秋彦兄ちゃん言ってたぞ。季秋は東海の絶対君主だ、庶民が逆らったら処刑か追放の二者択一だって」


「秋彦兄さんの言う事は真に受けるじゃない。兄さんには良識ってものがないんだから。
おまえは自分のした事がわかってないみたいだな。先生達に謝りなさい」
「何で?秋彦兄ちゃん言ってたぞ。季秋と庶民の関係は神と奴隷だって」
「……もう兄さんを基本に考えるのはやめなさい。第一、どうして授業中に喧嘩なんかしたんだ?」
「だって、あいつ嘘ついたんだもん。世界一いい男は俺の兄ちゃんなのに、あいつは自分の兄貴だって」
「春樹、おまえの気持ちは嬉しいけど、兄さんは褒められるより、おまえが友達と仲良くしてくれた方が嬉しいよ」
「俺がいい男だって思ってるのは夏樹兄ちゃんや冬也兄ちゃんや秋利兄ちゃんだよ」
「……そ、そうか」
秋澄はちょっぴり悲しかった。

「と、とにかく、二度と喧嘩なんか――」




バン!と凄い音がして盛大に扉が開かれた。
突然の来訪者は招かざる客だった。

「よう聞いたぜ春樹、やるじゃねえか授業中にクソガキを痛めつけるなんて」
「に、兄さん!」

こともあろうに前髪を赤く染め、特殊な服装をした兄の登場に秋澄の神経は一気に崩壊寸前までいった。

「な、何なんですか、その格好は!」
「ああ、これか?いかしてるって評判よくてよ」
「それはいかれてるの間違いでしょう!」
「うるせえ、てめえは黙ってろ。俺は春樹に用があるんだ」


「よくやったぞ春樹、それでこそ季秋の人間だ」
「うん」


「に、兄さん!春樹に変な事を吹き込むのはやめて下さい!!」
「ああ?てめえは俺の躾が間違ってるっていいてえのか!」
「に、兄さんの教育は特殊なんですよ!!」
応接室は父兄面談から家族の内輪揉めに変貌していた。


「ところで春樹、相手のクソガキにはきっちりとどめさしたんだろうなあ?」
「ううん。まだ」
「何い?」
秋彦の目つきが変わった。


「ふざけんじゃねえ、平民のガキに舐められて。てめえはそれでも季秋の人間か!!」
秋彦はいきなり春樹を殴った。
「兄さん、何をするんですか!」
「うるせえ!!ここでしっかり教育してやらねえと春樹がろくでもない大人になるだろうが!!」
「兄さんの教育が成功したら春樹は極道になってしまいますよ!!」
「優等生きどるんじゃねえ、てめえは黙ってろ!春樹、今すぐ、そのガキを再起不能にしてこい!
何だったら、俺の獲物を特別にかしてやってもいいぞ」

秋彦は懐から拳銃を取り出した。
黒光りする銃口に秋澄は頭が痛くなった。

「兄さん、いい加減にして下さい。春樹はまだ小学生なんですよ!!」














「兄ちゃん、俺、悔しいよ!」

輪也は季秋家の温情でお咎めなしとなった。しかし、それは屈辱に満ちたものだった。
喧嘩両成敗なんて通用しない不平等な扱いを受けたのだ。輪也は深く傷ついていた。

「何で、俺が一方的に悪者になるんだよ!」

小学生にとっては尚更納得できなかったに違いない。
そんな輪也に、兄・晶は冷静に、その事情を話してきかせた。


「おまえの同級生の小椋って奴な。あれは偽名だ、本名は季秋っていうらしいぜ」


「季秋?」
「大貴族様ってわけだ。俺達、平民とは身分が違うんだよ。今回の事は当然だ」

その言葉は輪也にとって衝撃だった。
自分達兄弟にはコネも財産も、一番必要な親すらいない。
だからこそ兄は何者にも頼らず実力でのし上がろうとしている輪也にとってヒーローだった。
その実力至上主義の兄が、春樹が何の苦労もなく生まれながらに持っている権力や家柄なんてものを肯定したのだ。




「だって兄ちゃん……いつも言ってるじゃないか。人間の価値は本人の実力だって」
「ああ、そうだ」
「あれは嘘だったの?」
「俺は自分の信念だけは嘘は言わないぜ」
「じゃあ……じゃあ、何で!」
「俺は理想主義者じゃない。現実を見ているだけさ」

兄の目線ははるか遠くの何かを見ているようだった。


「どんなに理不尽な事だろうが、人間には運って奴がある。おまえの相手は運が良かったんだ。
人間の価値を決めるのは実力だ。俺は昔も今もそう思っている。
だが、これが現実だ。人間は決して平等に生まれてくるわけじゃない。
どんなに悔しくても、スタート地点で大きく差があるのは事実なんだ。大人しく認めるしかない」


「じゃあ……じゃあ、泣き寝入りしろっていうのかよ?」
「ああ、そうだ。悔しかったら自分の実力でのし上がれ。
そして、いつかそいつの上に登って見返してやれ。それが最大の復讐だ」


兄の言葉は厳しく、そして納得できないものだった。
今、戦わなければ意味がない。輪也はそう思っていたのだ。
相手が東海地区の絶対君主の息子で、自分が親もいない平民だから引き下がれというのは輪也には不可能だった。
同じ人間なのに。輪也はそう思い悔しくてたまらなかった。


「どんなにわめいても向こうは雲の上の人間だ。
地上を這いずり回っている俺達の所まで降りてきてくれるわけがない。
同じレベルで考えても無駄なんだ。だから、こっちが上るしかない」

兄は将来越えてやればいいと思っている。でも輪也にはそんな考え我慢できなかった。














「……どこだよ入り口は」

数日後、輪也は兄に内緒に季秋邸にやって来た。
泣き寝入りするなんて輪也にはできなかった。だから春樹と決着をつけるために決闘を叩き込むために。
だが季秋邸は輪也の想像をはるかに超える広大な敷地だった。
門の入り口を探し、もう随分歩いているのだが、見えるのは堀や外壁ばかり。

「……これが人間の住む家なのかよ」

一軒屋で育った輪也には信じられないスケールだった。
それだけで輪也は圧倒されていた。春樹をぶちのめしてやるという決意すら揺らぐほどだ。
ふと見るとガードマンらしきひとが巡回しているのが見えた。


「おじさん」
「ん、何だい坊や?」
「俺、この家の春樹って奴に用があるんだけど」
「春樹坊ちゃまに?アポはとっているのかい?」
「……ア、アポ?」
「そうだよ。春樹坊ちゃまに怪しい人間が近付かないように、面会するにも許可がいるんだ。知らないのかい?」
輪也にとっては、それは別世界だった。


「……えっととってないけど、俺、同級生だから……門の入り口ってどこ?」
「正門はまだ三キロ先だよ」
「三キロ!?」
「そうだよ。子供にはちょっときついんじゃないかな」

輪也は思わずその場にへなへなと座り込んだ。
小学生にとっては短い距離ではない。しかし春樹に対する怒りの方が勝っていた。
もう一度奮起して立ち上がると歩き出した。
やがて、ようやく辿り着いた正門を見て春樹は再び圧倒された。




(……で、でかい)
正門は壮麗雄大な様相を誇っていた。しかも立派な黒塗りの高級車が何台も入っていくのが見える。
(あ、あれは確か陸軍の……!)
その中には見覚えある顔があった。鬼龍院の私室で見かけた軍報に大きく載っていた写真の男。
陸軍の将軍だ。そんな男がわざわざ季秋家に出向いているのだ。

「あ、あいつは!」

輪也の標的である春樹と、その兄の秋澄が乗った白いリムジンがやって来るのが見えた。
将軍の乗った黒塗りの高級車と鉢合わせの図。
将軍は鬼龍院ですら頭が上らない人間、当然、道を譲るべき相手のはずだった。
ところが停車したのは将軍の車の方だった。
そして何と将軍自ら下車し、リムジンに向かって一礼したのだ。
リムジンの車窓が下がり秋澄は軽く会釈しただけ、その隣では春樹がゲーム機に夢中になっていた。


それは輪也にとって衝撃的なシーンだった。
輪也にとって絶対的カリスマである兄・晶の上官である鬼龍院ですら頭が上らない将軍。
その将軍が青二才や幼子相手に頭を下げたのだから。
一連の将軍の行為は自動的に輪也と春樹の差を思い知らせてくれた。


(……俺なんかじゃ手が出せない)


季秋邸の広大さ、壮麗さ、それにつりあうだけの季秋家の権力。
確かに春樹の才覚で得たものなどではない。
しかし現実は非情だ。兄が言ったとおり、自分と春樹の差は歴然としている。
輪也は重い足取りで、その場を後にした――。














「満足したか?」

帰宅した輪也に兄は投げかけた言葉はそれだけった。
こんな時間まで、どこに行っていたのか、何をしていたのかは一言も尋ねなかった。


「……俺、強くなるよ」

輪也も詳しくは言わなかった。しかし兄は全てお見通しだったようだ。

「わかればそれでいい。わからなければ、おまえはそれだけの器だったということだ。
現実を直視する事ができただけ無駄ではなかったな」


輪也は黙って頷いた。

「輪也、俺はこの国の頂点を目指す」

兄は静かにそう言った。

「おまえに舐めたマネをした季秋家もいつか俺の足元に跪かせてやる」


輪也は悟った。兄は本気だ――と。
そして決意した。兄に一生ついていこうと。


輪也が大人への階段を昇り始めた少年の日の出来事だった――。




END




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