そして、普通とは違うかもしれない女性がいました。
二人は、ごく普通の出会いをし
ごく普通の恋愛をし
ごく普通の結婚をしました
唯一、普通でなかったのは……
お子様が、傲慢・高飛車・我侭身勝手・傍若無人なオレ様野郎・貴弘君だったことです。
Solitary Island―杉村家の人々Ⅲ―
これは貴弘が、まだあどけない可愛いさかりの年頃の話でした。
ある夜のこと……。
「……なあ」
貴弘の父は隣で寝ている妻に話しかけた。
「何?」
と!いきなり上になったかと思いきや「オレ、二人目は女の子が欲しいんだ」と要求してきたのです。
「ちょっと何言ってるのよ」
「いいだろう?ここ、しばらく御無沙汰だったし……」
「……全く、仕方ないわね」
と、ここで夫婦の営みに突入するはずでした。
が!
ジィー……視線を感じる。二人は同時に横を向いた。
貴弘(当時四歳)が不思議そうな顔をして二人を見詰めていたのです。
「うわぁぁぁぁー!」
貴弘の父は余程びびったのか、飛び上がり壁に背中からぶつかったのです。
「た、たたたた……貴弘!どうしてここにっ?!」
「……トイレ」
貴弘は眠たそうに目をこすりながら、そう答えました。
「……そ、そうか。だったら早く行ってきなさい」
「もう行ってきた。お父さんとお母さん何しようとしてたの?」
「え”?」
父の顔は、これ以上ないくらい歪んでいやがりましたが貴弘は再度質問しました。
「何してたの?」
「……そ、それはだな……プ、プロレスだよ」
「どうして目をそらすの?」
「な、なんでもない。それより早く部屋に戻って寝なさい」
「今日はお父さんたちと寝てもいい?」
「え”?」
普段は貴弘をこれでもかというほど溺愛している父だったが、さすがに今夜ばかりは!!
「た、貴弘……お父さんたちは今から忙しいんだ」
「なんで?」
「……なんでって……」
言える道理がありません。
「そ、それはだな……つまり……」
そのやり取りを見ていた母は溜息をつくと布団を持ち上げ「早く入りなさい」と貴弘に促した。
「うん」
貴弘は両親の間に収まるとスヤスヤと早速眠りにつきました。
「お、おい」
「バカね。今だけなのよ。こうして川の字になって寝てくれるのも。
後数年もしたら、親となんて一緒に寝てくれなくなるわ」
「……そう…だよな」
父は急にしんみりとなって貴弘の寝顔を見詰めた。
「可愛いな」
「当たり前でしょ。あたしたちの子供なんだから」
「将来はきっとすごいハンサムになるぞ」
「当然でしょ。この子はあたしにそっくりなんだから」
「きっと女の子にモテモテになるだろうな」
「そうね」
「……その内に恋人もできるだろうなぁ」
「ちょっと、何涙ぐんでるのよ?」
「……いや、どこの馬の骨ともわからない女の子に貴弘を奪われる日が来るかと思うと、つい……」
「あきれた。あんたにはあたしがいるでしょ」
「……わかっているけど……貴弘が女の子に囲まれる日が来るかと思うと……。
こんなに顔が良くて、頭も性格もいいんだ。絶対にモテまくるだろうな……ハァ…」
――10年後――
「なあ」
「何よ」
「貴弘が通っている空手教室……確か岩城空手教室止めて他に移ったって言ってただろう?
今はどこに通っているんだ?」
「確かコブラ会って言ってたわよ」
「ふーん、コブラ会か……はぁ!!?」
ガッシャーんッッ!!
「ちょっと何お茶碗落としてるのよ」
「な、なんだ…そのあからさまに怪しいネーミングは?」
不安になった父は上着をとり立ち上がった。
「ちょっと、出掛けてくる」
「いいか、コブラ会に敗北は存在しない!」
「はいッ先生!!」
「コブラ会に痛みは存在しない!」
「はいッ先生!!」
「コブラ会に屈辱は存在しない!」
「はいッ先生!!」
「よーし、杉村ァ!!こいつらに言ってやれ!!」
どうやら次の大会に向けて気合を入れているようだチャンピオンの貴弘が激励の言葉をかける。
「オレが許す。ぶちのめして来い」
「はいッ、杉村さんッ!!」
「………もしかして貴弘の教育上よくないんじゃ」
窓から中の様子を伺っていた貴弘の父は眩暈がした。
息子は…貴弘はとてもイイコだ。とても誠実で立派で心から信頼出来る人間。
まるで絵に描いたような優しいイイコだが、もしかして……危険な人間に育っているんじゃ?
いや!何を言っているんだ。貴弘に限ってそんなことあるわけがない(超断言!)
全くオレも心配性だ。たとえ世界中の聖人君子がヤクザになる日が来ても貴弘が道を誤る日は永遠に来ない(超確信!)
それは父親としての勘だ。
貴弘の父は自分の勘を信じることにした。
「おーい、ビッグニュース、ビッグニュース!!」
純平が両手を広げ、まるでお菓子のお城を見つけた幼稚園児のような純粋な瞳で教室に走りこんできた。
こいつがこういう表情をするときは大抵女が絡んでいる。
クラス中の誰もがそう思った。
「聞いて驚け!!今日、転校生が来るぞ、しかも女だぞ女女ぁぁ!!」
「そうか、けどおまえに関係ないだろ?」
拓海が眠たそうな顔でそういった。
「……それが関係あるんだよ。いいか?さっき職員室のぞいてきたんだが……。
超ー美人なんだよ。び・じ・んー!!」
「ますます、おまえには関係ない」
「……吉田、おまえオレに恨みでもあるのか?」
とにかく純平ほどではないが、美人の転校生とあってクラス中の男子の大半は大喜びだった。
何しろ、この中学校は男子中学じゃないのか?というほど男だらけ。
ただでさえ女が少ない。美人は貴重な存在だ。
「美人?スカリーくらい美人なのか?」
隆文は美人といえばダナ・スカリーらしい。筋金入りのⅩファイルおたくなのだ。
「ミラ・ジョヴォヴィッチみたいなセクシーでカッコいい女か?」
真一も興味津々に話の輪に入ってきた。
「ねえねえ、お金もっていそう?」
洸など、まるで関係のないことまで言い出している。
「フッフッフ…まあ、見てのお楽しみだが……」
と、そこに「おい、おまえたち席につけ」と担任の渡辺先生の声が響いた。
「やれやれ、どうやらもう知れ渡ったらしいな。転校生を一人紹介する」
そこに一人の少女が入ってきた。
「みんなに挨拶をしなさい」
「はい」
「天瀬美恵です。宜しくお願いします」
次の瞬間、男子生徒たちから「おぉ~~ッッ!!!!!」と歓声が上がった。
それが貴弘と美恵の運命的な出会いだった。少なくても貴弘にとっては。
しかし、貴弘は生憎と美少女の美しさ清らかさに心打たれるような可愛い少年ではない。
だから、このときは何も感じなかった。
渡辺が「杉村の隣が空いていたな。杉村、親切にしてやれよ」と言っても特に興味もなかった。
美恵は悪くない性格だった。控えめで、しかし自分というものはしっかり持っている。
だが、このとき貴弘は、美恵は他のクラスメイトの女生徒たちと同様、大人しい普通の女の子だ、そう思っていた。
もちろん何の恋愛感情もなかった。あの時までは――。
「よー、オレたちと付き合えよ」
「いいじゃん。ちょっと遊ぶだけだろぉ?」
同級生の小林静香と西村小夜子がいかにもガラの悪そうな連中に絡まれていた。
二人は怖いのか「……あ、あの…困ります」と言うのが精一杯。
それも、聞こえるのかどうかさえ怪しい小さい声だった。
貴弘はたまたま通りかかってしまったのだ。
二人は貴弘を見た途端、縋るような目で貴弘を見詰めた。
それに気付いたチンピラたちが一斉に貴弘を見る。
人数は5人。あきらかに多勢に無勢。しかし、それでも貴弘の敵ではなかった。
問題があるとすれば貴弘には助けてやろうなんてお優しい気持ちがなかったことだ。
「なんだ、てめぇ。文句があるのか?」
「別に」
「だったら、さっさと行けよ」
「す、杉村くん!」
ここで小夜子が勇気を出して声を上げた。
「あ、あの杉村くん……た…たす……」
しかし大人しくて気の弱い小夜子は『助けて』の一言がいえない。
(……全く)
貴弘はチンピラにもいい感情はなかったが、それと同じくらい小夜子や静香に対していい感情を持てなかった。
「嫌なら嫌とはっきり言えばいいだろう。それとも、こいつらと付き合うのか?」
「……え…あの……」
「言え、はっきりとな」
「……す、杉村くん」
貴弘は心の中で舌打ちした。こういうのは貴弘は大嫌いだったのだ。
逆らった上で、酷い目に合わされそうになっているのなら助けを求められなくても助けてやっていい。
しかし、自分の意思すらはっきりと言わないから、こういう連中につけ込まれるんじゃないか。
全く、バカバカしい。母さんとは大違いだ。
「やめなさいよ!!」
その時だった。美恵が現れたのは。
(転校生じゃないか)
意外な人物の登場に貴弘は、もう少しこの三文劇を見ることにした。
「お、こっちの方がずっと美人じゃないか!!」
一瞬にチンピラたちの興味が小夜子と静香から美恵に移った。
「おまえたちにはもう用はねえよ」
そう言って、何と二人を突き飛ばしたのだ。
「あなたたち何するのよ!!」
貴弘は少し目を丸くした。大人しいと思っていた女が平手打ちをしたのだ。
チンピラたちも少々びっくりしていたが、次の瞬間には驚きは怒りに変貌していた。
「このアマ何しやがる!!」
ぶたれた男が拳を握って振り上げていた。
「……な?」
しかし、その拳が美恵に振り落とされることはなかった。
貴弘が背後から、その手首をグッと掴み動きを止めたからだ。
「そのくらいにしておけよ。おまえたちもさっさと帰るんだな、妙な因縁つけられる前に」
貴弘はチンピラから手を離すとさっさとその場を後にしようとした。
「てめぇ逃げる気か!!?」
「ふざけるな、この臆病野郎!!」
貴弘の後姿に向ってほえまくるチンピラたち。
しかし、奴等はこの時とんでもないミスを犯した。最後の一人がこう叫んだのだ。
「フン、負け犬め。おまえの母さんデーベーソ」
――貴弘の足が止まった。
「ひっ…」
貴弘の仁科殴打事件を目撃したことのある静香と小夜子は真っ青になっている。
「……今何て言った?」
――かなり低い声だった。
「……え?」
その低い声にチンピラたちは言葉を詰まらせた。
「今…何て言った?」
「…へ?…あの…その……」
「……オレの母さんが何だって?」
「……あ、あの……」
「ぶっ殺してやるっ!!」
その後は壮絶だった――。
5人のチンピラは……あっという間に地面とキスする有様に……。
「いいか、今度だけは許してやる。二度とオレの前に現れるなよ!!」
「ひぃぃー!肝に銘じますっ!!」
この時、貴弘は頭に血が昇っていた。
だから気付かなかった。最初の一撃で倒した相手が気絶したフリをしてチャンスをうかがっていたのを。
貴弘が母の悪口を言った奴の襟首を掴み尚も脅している背後……そっと起き上がったのだ。
その手にはナイフが握られていた。
「……!」
格闘家としての本能。瞬間的に殺気を感じた貴弘は振り向き身構えた。
しかし、その必要は無かった。
「…ウゲェ!!!!!」
貴弘に飛び掛る前に、男は鈍い悲鳴をあげていたのだ。
何と、美恵がその男の頬を殴っていた。平手ではなく拳で。
「あなた、さっき小林さんと西村さんのことも突き飛ばしたわね」
奥歯が軋むのか頬に手を添えて痛がる男に美恵はスッと手を上げた。
今度は平手だ。男が再度倒れこんでいた。
「痛いでしょう?自分が相手を傷つけたら、その分いつか自分に跳ね返ってくるのよ」
男はおどおどした目で美恵を見上げている。
「今度やったらもっと酷いしっぺ返しがくるわよ。わかった?」
男はコクコクと何度もうなずくと「おい逃げるぞ」と仲間を立たせて風のように去っていった。
「杉村くん」
美恵はハンカチを取り出すと貴弘の右手にそれをまいた。
「ごめんなさい。私の為に怪我させて」
怪我というほどのことじゃない。相手の顔を殴ったときに拳に歯が当たって少々かすっただけだ。
「それから、ありがとう助けてくれて」
「……驚いたな」
「何が?」
「天瀬はもっと大人しくて控えめな女だと思っていた」
「……呆れた?」
「……そうじゃない」
むしろ反対だ。貴弘の目には、あのクズを殴った時の美恵の雄姿が焼きついていた。
あの気の強さ。そう、あれはまるで……。
「……母さんみたいだ」
「え?」
――次の日――
「おっはよー美恵さん」
今日も純平の馴れ馴れしいくらい愛想のいい声が響く。
「おはよう根岸くん」
席につくと貴弘が教室に入ってきた。
「おはよう杉村くん」
美恵は毎日、隣の席の貴弘に挨拶していた。それに対し貴弘は「ああ」と無愛想な返事をしていた。
だが……「おはよう天瀬」。笑顔でそう答えていた。
クラス中に激震が走った。あの貴弘が笑顔で挨拶!?
「これ、返すよ」
そう言って綺麗に選択したハンカチを差し出してきた。
「ありがとう」
「お礼なんていい。それから昨日の連中だが、ああいう奴等はまた来るかもしれないが安心してくれ。
これからは天瀬のことはオレ守る。誓ってもいい」
「……?。……あ、ありがとう」
とりあえずお礼を言った美恵だったが、妙な予感がした。
(……この感じ、以前どこかで……)
――美恵に新たな苦悩の種が増えた、ある日の朝だった。
TOP