「嫌だ、嫌だ!!」
いつもは大人しい志郎が珍しくかんしゃくを起していた。必死に美恵に縋りつき離れようとしない。
「志郎、もう決まった事だ」
「いずれ、また会える。だから、大人しく命令に従え」
晃司と秀明は淡々と志郎を諭す。幼い子供同士ではなく、もはや大人と子供だった。
志郎はいつもなら黙って晃司や秀明の言う事に従っていた。でも今回ばかりは、ただ『嫌だ』の繰り返し。


「志郎、何も会えなくなるわけではないのよ」


美恵は志郎の頭をなでながら、「すぐに会えるわ。志郎がイイコにしていれば」と付け加えた。
「本当か?」
「あら、私が嘘をついたことあった?」
「……ない」
「だから……わかるでしょ?」
志郎は黙って頷いた。
「晃司と秀明の言う事ちゃんときいてね」
「……わかった」
「今度会った時は、私より大きくなっているかもしれないわね」

そう言って、美恵は志郎を抱きしめた。
二人が再会するのは7年後だった――。




Solitary Island―Fate(志郎編)




「志郎、おまえ、また任務をさぼったな。一体、どうした?」
「……約束が違う」
志郎は部屋の隅で壁に向かって運動すわりをしていた。
「何が気に入らない?」
「晃司は我慢すれば美恵に会えるといった」
「会えただろう」
「でも!」
志郎はクルリと振り向くと、「半年もたたずにまた会えなくなった!」と叫んだ。


「仕方ないだろう。美恵にはしばらく軍の人間は係わらないほうがいいんだ」
「……なぜだ?」
美恵は病気だからだ」
「……何の病気だ?」
「心の病気だ」
「オレに会えない病気なのか!?納得できない!」
志郎はもう一年も美恵に会ってない。幼い頃に引き離され、やっと再会したと思ったら、また離別。
どうしてなのか説明もなかった。志郎でなくても納得できないだろう。




「晃司と秀明はいつもそうだ。いつもオレに隠し事をしている」
「何のことだ?」
美恵に何があったんだ?」
晃司は途端に無口になった。
「晃司と秀明は、いつもオレには何もいわない。美恵が入院した時も、風邪をこじらせただけだと言った。
美恵も、そうだと言った。でも、あれは風邪なんかじゃない。
それくらい、オレにだってわかる。美恵に何があった?誰が美恵を、あんな目に合わせた?」


志郎にとって、美恵は姉であり、母でもあった。
その大切な美恵がある日倒れたと聞いて会いに行った。聞けば、晃司や秀明はずっと前に知っていたらしい。
晃司や秀明だけではなく、科学省とは無関係なはずの隼人や徹たちでさえ。
美恵は志郎の前では笑っていたが、何だか元気がなかった。
随分とやつれて衰弱していた。それでも、志郎は何も聞かされなかった。
『ただ風邪をこじらせただけだ』、その繰り返し。


もしも、美恵に何かあったら、そして何かした奴がいるのなら、そいつを消してやるのに。
幼い日に、志郎はそれを実行していた。
相手は大学院を卒業して、科学省に配属されたばかりの若い科学者だった。
見た目は真面目、言動も真面目、文字通りのエリート。でも、その男は人に言えない性癖があった。
その男は、その年齢になるまで異性に関して浮いた噂がまるでないと評判だった。
誰もが、男の表面しか見てなかった。
その男は異性に真面目だったのではなく、年相応の女性に対して何も感じない人間だったのだ。
つまり――幼女にしか興味のない変態だった。
もちろん、本人は、その性癖を隠していたし、周囲もまるで気付かなかった。
その男が本性を現したのは、まだ五歳になったばかりの美恵と志郎と三人きりになったときだった。




『次は志郎の番よ』
『…………』
志郎は、ちょっと考えて、並べられているトランプの中から二枚選んだ。
クラブのキングとスペードのナイト。続いて、美恵がカードをめくった。
今度はキング同士。続いて三組連続して同じ数のカードをめくった。
『私の勝ちね』
美恵の勝ちだ』
『今度は何して遊ぶ?』
『何もいらない。膝枕』
そう言って、志郎は美恵の膝に頭を乗せ、そのまま横になる。


そこに、あの男が現れた。科学省の上の連中には評判の男だが、二人は嫌いだった。
理屈ではなく、何だか、そいつの目が嫌いだったから。
いつも優しい言葉をかけてくれるが、美恵を見る目が汚かった。
美恵ちゃん、ちょっといいかな?』
途端に志郎が、『美恵に近づくな!』と男を突き飛ばした。
『志郎くん、僕は何もしないよ。ちょっとお話したら、すぐに終わるから』
男はニコニコしていたが、志郎は引き下がらない。
『あんまり悪い子だと、もう美恵ちゃんに会えなくなるよ?』
志郎の目つきが変わった。
『大丈夫だよ。ほんの少し質問があるだけさ。十分くらいで戻ってくるから』
そう言うと、男は美恵の手を引いて、人気の無い部屋に連れ込んだ。




『……美恵ちゃん』
男のかけているメガネが鈍い光を放っているように見えた。
『こ、これから身体測定しようね……』
『身体測定?』
『そ、そうだよ……健康管理はちゃんとしないと……はぁはぁ』
男はやけに興奮して、息が荒い。
『さあ、服……脱ごうか?』
男の手が美恵のボタンにのびてきた。
『いや!』
美恵が男を突き飛ばした。
『な、何するんだ!』
『嫌だもん!』
『しょうがないだろ。悪い子だな、これも君の体のためなんだよ』
『身体測定なら、毎月、女の博士がやってくれてるもの!』
『あれはあれ、これはこれなんだよ……はぁはぁ』
『嫌!誰か、ここ開けて!』
美恵はドアに駆け寄るとドンドンと扉をたたき出し男はギョッとした。


『このクソガキ!他の人間に聞かれたらどうするんだ!』
それまでの温厚そうな声が嘘のように怒鳴りだした。
『大人しくするんだ!悪い子にはおしおきするよ!』
男は美恵を抱えると、その口を手で押さえた。
『ま、全く……こんなところを見られたら……やっぱり、眠らせておこうかな』
小心者の男は、顔面蒼白になり、ガタガタと震えだした。
『ぜ、全部、この子が悪いんだ。僕は仲良くしようと思っただけなのに……』
その時、男はガン!と頭に衝撃が走るのを感じた。
『……え?』
衝撃から数秒後に、今度はズキズキと痛みが走った。
メガネに何かがたれて汚れ、視界が遮られる。慌てて、顔に手を伸ばした。


『……血?』
男は美恵を放り出した。
『血!?……血、ちちちち……血だぁぁー!ぼ、僕……僕の頭から血が……血が流れてるぅー!!』
パニックになった男だったが、パニックだけに気をとられている暇などなかった。
頭に同じ衝撃がまた走ったからだ。最初は驚愕だったが、今度は恐怖だった。
誰かが自分を襲っている。男は倒れながら振り向いた。
志郎が消火器を持って立っていた。


『お、おまえ!!じ、自分のしていることがわかって……ひぃぃー!!』

ガンガンガン!!志郎は男の背中に馬乗りになると、何度も消火器を振り落とした。
男の悲鳴を聞きつけた職員達が志郎を取り押さえるのが、もう少し遅かったら男は死んでいたかもしれない。
意識不明の重傷を負った男だったが、結局命は助かった。
そして、意識を取り戻した途端に、志郎が理由も無く自分を襲ったと、わめき散らしたのだ。
一流大学院出のエリートの言葉を疑うものは誰もいなかった。
美恵は違うと異を唱えたが、子供の戯言だと誰も相手にしなかった。
志郎は、罰を受けて死んでもいいと思っていた。美恵を守る為にしたことだから、その結果処分されてもいいと思った。
幸いにも、子供の悪戯とみなされ、特別なお咎めはなかったが……。
(晃司と秀明には事情は話した。その数日後に、そのロリコン男は死んだ。
階段から転落して打ち所が悪くて死亡という謎の最後を遂げている)





あの時も、オレは美恵を守った。
あいつの息の根を止めたのは、晃司と秀明だが、オレだってやろうと思えばやれた。
でも、二人は、いつも、自分達でやって、オレには何か隠している。
そして、またオレに隠し事をしている。
どうして、オレには黙っている?
どうして、オレには何も話してくれない?
オレだって、美恵を守れるのに。守ってやりたいのに――。














志郎が、それを見たのは偶然だった。手を怪我して、保健室に赴いたときのこと。
保健室には先客が二人いた。一人はすぐにわかった。
派手な金髪フラッパーパーマ。遠目からでも鳴海雅信だと確信できる。
もう一人は、ベッドのカーテンに隠れて見えない。
志郎は、気配を消して二人の様子を伺った。なぜなら雅信=常に美恵に害をなす人物だったから。
「ほら、約束のものだよ」
雅信の相手の人間(どうやら男のようだ)が雅信に手を伸ばした。
その手には鍵が握られている。雅信は、それを奪い取るように手に取った。なんだか興奮している。
「……本当なんだな」
雅信を、その鍵を握り締め、じっと凝視していた。
「ああ、苦労したよ。彼女のマンションの鍵を無断で借りて合鍵つくるのは」
『彼女のマンション』『合鍵』それは、何だか嫌な単語だった。


「ほら、約束の金」
男は再び手を出している。雅信は懐から数十枚の万札を取り出すと、男の手の平にたたきつけるように渡した。
「オレもこういう仕事は本当はしたくないんだ。断っておくけど、オレのことは一切他言無用だよ。約束してくれるよね?」
「……これさえ手に入れば何度でも約束してやる」
「よかったよ。君は、こういう約束ごとは守ってくれそうだからね。
君は裏表のない人間だからこそ、オレもイヤイヤながら、この仕事を引き受けたんだ。
でもさぁ、あんまり悪いことするなよ。でないと彼女に嫌われるよ」
「……うるさい」
「これはクラスメイトとしての忠告だよ。こういう、やり方じゃあ天瀬みたいな女には逆効果……」
「うるさい!」
雅信は、ギラギラした目で立ち上がると、「もう、おまえに用は無い」と言い残し、その場から去っていった。




「やれやれ、あーあ、行っちゃったよ」
志郎は、その男をじっと見張っていた。
「さーて……次の商売相手のところに行こうかな」
カーテンがめくられた。その相手の顔を見た途端、志郎は飛び出していた。
「あれ?」
突然、志郎が保健室に駆け込んできて、自分に向かって鉄拳を繰り出したのだ。
男は、慌てて、ベッドを飛び越えていた。


「な、なんだ速水か。驚くじゃないか、いきなり何だよ。暴力反対」
「おまえ、あいつに……あいつに美恵を売ったな!」
「……人聞き悪いな」
男はクラスメイトの相馬洸だった。
美恵のマンションの合鍵を渡した!美恵を傷つける手伝いをした!殺してやる!」
「ストップ!それは誤解だよ。全く、人の話聞いてから怒って欲しいなぁ」
洸は、「大丈夫だよ。鳴海は、彼女に指一本触れることは出来ないから」と言った。
「嘘だ」
「本当だよ」
「だったら証拠を見せてあげるよ。ちょっとついておいでよ」
洸は歩き出した。志郎は後について行った。
行き着いた先は教室。何人かの生徒がいる。その中の一人に洸は近づいた。
そして、他の生徒には聞えないくらい小声で、その男にこう言った。


「ねえ、佐伯。オレから情報買わない?」

その相手は志郎もよく知っている佐伯徹だった。
徹は胡散臭そうな目で洸を見詰めた。どうせ、くだらない眉唾だとでも思ったんだろう。
だが、次の瞬間、徹は、その話に食らいついた。


天瀬の身に危険が迫ってるんだ。その情報買わない?」
「……場所を変えよう」




洸は徹を連れて校舎裏にやってきた。もちろん志郎も後をつけていた。
「で、その情報は本物なんだろうな?」
「勿論だよ。その前に」
洸はスッと手を差し出した。徹は財布を取り出すと万札を数十枚取り出したたきつけた。
「OK。あのさ、一つ約束してほしいけど、オレが密告したなんて鳴海には内緒だよ」
雅信の名前が出た途端に徹の表情は歪んだ。
「だって鳴海ってヤバイだろ?オレ、佐伯と鳴海の争いに巻き込まれるのは真っ平なんだ」
「いくらでも約束してやる。だから言うんだ」
「やっぱり佐伯は話がわかるよね。実はさ、鳴海が彼女のマンションの合鍵手に入れたんだ」
「なんだって!?」
「間違いないよ。鳴海は早退したし、もしかしたら、今から彼女のマンションに行って待ち伏せしているかも」
「……あの変態野郎」
「オレがこんな話するのも金のためだけじゃないんだ。彼女を守ってやってよ。いくらなんでもやばすぎるだろ、こんなこと」
「言われるまでもない」
徹は、「オレも早退する。早退届代わりに出しておいてくれ」と言うと風のように去っていった。


「うん、頑張ってね♪早退届くらい無償でやってあげるよ♪」
洸は札束を数えながら、ニコニコと手を振っていた。
そして、徹の姿が見えなくなると、「これで、わかっただろう?」と言った。
志郎が柱の陰から姿を現した。
「これで彼女の身は安全だよ」
「でも、おまえは美恵を危険な目に」
「大丈夫、大丈夫、どっちにしても、あの鍵じゃあマンション開かないから」
「?」
「彼女、鍵が一時的に無くなったことに気付いたらしくてさ。昨日、鍵変えたらしいんだよ。アハハ、しっかり者だよね」
「じゃあ雅信は……」
「そう、あの鍵は昨日を持って無効なんだよ。だから、鳴海の買い物は一日遅かったってこと」
「じゃあ、どうして徹に知らせた?」
「決まってるじゃないか。念には念をいれておかないと。オレはアフターサービスはきっちりやる律儀な性格なんだよ」
「…………」


「オレはこんなやり方でしか、天瀬を守ってやれない。きっと、誰にも理解してもらえないけど、それでもいいよ。
誰もわかってくれなくても、オレは納得しているから。
オレと神様だけはきっとわかっている。それだけで十分さ。これが、オレなりの守り方ってやつかな?」
「…………」
「じゃあね♪」
洸は万札を数えながら、去っていった。

「……自分なりの守り方」

あの男を殺そうとした時、美恵は泣きそうになりながらオレを止めようとした。
オレは美恵を守ってやりたかった。喜んでもらいたかっただけなのに……。
オレの守り方は間違っているのか?
だから、晃司も秀明も、いつもオレだけ置き去りにするのか?
オレがしていたことは自己満足で、本当は美恵を守ってやれてなかったのか?














「……秀明」
「なんだ?」
「オレ強くなる。今よりもっと」
「そうか、頑張る事だな」
美恵を本当に守ってやれるくらいに強くなる」
「ああ、期待している」
「だから、オレが強くなったら……」


「今度は、オレにも全てを話してほしい。二度と置いていかないでくれ」




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