その男の存在価値は何だ?と聞かれたら。
おそらく、大半の人間がこう言うだろう。あの男は殺すことと女を抱く事しか出来ないと。
なぜなら、それしか教えてもらってないから。
それが、あいつの存在理由だから――と。




Solitary Island―Fate(雅信編)




戦場跡は嫌いじゃない。
破壊されまくった街。折れた電柱。粉砕したコンクリートの壁に散乱した窓ガラスの破片。

「…………美恵」

雅信は大の字になって、そこに寝転んでいた。
誰も居ない。景色は凄惨だが、目の前に広がる空ははてしなく青く澄んでいる。

ここにきて二ヶ月ほどたっただろうか?

以前は戦場が好きだった。硝煙や爆薬、何より血の臭いが好きだった。
そして死と紙一重の緊張感が。全身がぞくぞくする、あの感じ。
獲物に止めをさしてやるときの、あの充実感。
全てが好きだった。なぜなら、雅信にとっては、それが全てだったから。
それなのに、今は戦場にいても心が躍らない。理由はわかっていた。

「……ここには美恵がいない」














「いい気なものだな。反政府組織の活動が活発になってきたというのにパーティーなんて」
「晶、口は慎め。たまには、こういうウザイ場所に出ることも必要なんだ」

晶は忌々しそうに「ああ、わかっている」と返事をしたが、やはり面白くない。
先日、テロ事件があった場所とは目と鼻の先で高級官僚主催のパーティーが繰り広げられているのだから。
戦場に赴くのは自分たち軍人で、そいつらは痛くも痒くもない。
つまり文官の高級官僚さんは他人の痛みなんて知ったことじゃないってことだ。


「これはこれは鬼龍院大佐」
男が一人近づいてきた。晶は一瞥しただけだ。
そのうさんくさい男のことは晶は気に入らなかった。
人間、本能的に気に食わない人間がいるというが、おそらくその男は晶にとってのそれに当たるのだろう。
白髪ではあるが老人というわけではない。
額から頬にかけてついている醜い傷跡が生々しい。杖をついているのは義足だからだ。
なぜなら、その男の職業上、それは名誉の負傷ということになるのだから。
晶がなぜ男が気に入らないかといえば、その男の胡散臭そうな目つきが嫌いだった。
温厚な口調だが、目が全く笑っていない。まるで鮫のように感情が全くない。
死んでいるような目なのに、怪しい光を放っている。


その男は政府の中でももっとも汚い仕事を専門にこなす人間だった。
表向きは諜報部の事務長だが、その正体は政府の殺し屋。
政府にとって邪魔な人間を非合法に処理する裏の人間。
任務中に負傷して片足を無くしてからは、第一線から退いて今は次世代の育成に回っているが。
そして雅信を殺し屋に育て上げた男でもある。




(……この男はどうも好きにはなれない)

晶はパーティー会場から抜け出した。ああいう場所はどうも好きにはなれない。
だから、外の空気を吸おうと思ったのだ。
中庭に出ると、「……ねえ」と女が囁く声が聞えた。
晶は途端に不機嫌になった。たった一言だが、あれは女が男を誘う下卑た口調。
どうやら先客がいて、さかりのついたメス猫のような女と、その相手がいちゃついているようだ。
お邪魔するのも無粋だから、相手に気づかれないように立ち去ろうと思った。
だが晶は、そのカップルの片割れを見ていったん足を止めた。
遠目だったが、目立つ髪形だったので誰なのか、すぐにわかった。
金髪フラッパーパーマの男がベンチに座っていて、その隣にはフェロモンむき出しの女が居た。


(……雅信じゃないか。相手の女は……確か……)

確か、テロリストとの黒い噂のある某企業の会長の秘書だ。
正確に言えば秘書兼愛人だったが。
とにかく、その女が、「最近は連絡くれなくて寂しかったわ」と甘えた声で雅信の腕にしがみついている。
雅信の上司がパーティーに来ている事もあって晶はすぐに察した。

(……あの女が雅信の今度のターゲットか。あいつも憐れなやつだな。
自分が抱く女すら、自分の勝手には決められないんだから)

雅信の上司は、雅信に殺し以外にも女を抱く事を教え込んでいた。
雅信が類稀な美貌の持ち主だったからだ。
利用できるものは何でも利用する。それが政府の裏のそのまた影に生きる連中のモットー。
卑怯もクソもない。もちろん、どんな汚いことにも拒否権は無い。




多分、今夜あたりに、ベッドの中であの女から企業秘密を聞きだせと上から厳命されたんだろう。
晶の想像は当たっていた。以前の雅信だったら、何の疑問も持たずに、それを実行していただろう。
でも、今は違った。雅信は自分に抱きついている女にあからさまに嫌悪感に満ちた目を向けたのだ。

「…………違う」
「え?」

何のことだかわからない女はきょとんとした。


「……そんな、こびた表情はしない……そんな、甘ったるい声じゃない……」
「ちょっと雅信……」
「……そんな濃い化粧はしない……そんな、きつい香水もつけてなかった……」
「何言ってるのよ?」
「……ただ……真っ直ぐな強い目をしていた……」
「……何の話?」
「化粧なんかしなくても綺麗だった。香水なんかつけなくても、いい匂いがしていた」
「さっきから何言ってるのよ?」
「……おまえじゃない……おまえは違う」

雅信は女の腕を振りほどくと立ち上がって、さっさと歩き出した。
女は呆気に取られていたが、すぐに「ちょっと待ってよ」と雅信に縋りつく。
しかし雅信は重い口調で「……二度とオレに近寄るな」と女を突き放した。
その様子を見ていた晶は、「……まさか、あいつ本気で美恵に惚れてたのか?」と呟いていた。














「…………美恵、美恵」

雅信はまるで呪文を唱えるように美恵の名前を呼びながら廊下を歩いていた。
長期任務のせいで、ずっと美恵と会ってない。
(なぜ長期任務で地方に飛ばされたのかといえば裏で徹が手を回していたからだが)
雅信は限界に来ていた。

「……美恵?」

廊下の先に女が立っていた。その後姿は求めていた相手だった。
雅信は走っていた。そして、その女を抱きしめた。


「……美恵、会いたかった」
「あ、あの……?」


女が驚いて振り向いてきた。その顔を見た途端、雅信の目の色が変わった。
似ていたのは後姿だけ。顔は違う、全くの別人。
雅信は瞬時に、その女を突き飛ばしクルッと向きを変える。
後ろのほうで、女の悲鳴と、何かが階段から転げ落ちる音。
そしてドサッと何かが落ちた音、それに大勢の人間が駆け寄る音がした。
でも雅信にはどうでもいいことだったので振り向きもしなかった。
しばらく歩いていると、「雅信!」と怒声が響いた。上司が恐ろしい形相で立っていた。




「どういうつもりだ!?やっとここまでこぎつけたのに!!
あと少しで、情報を聞きだせるというのに、今更手を引くとは!!」
「……あの女は違う。抱く気になれない」
「何だとっ!?」
上司は杖を振り上げると雅信を滅多打ちにした。
「おまえは自分の立場がまだわからないのか!?それがおまえの仕事だろうっ!?
このために、おまえを育ててやったというのに!!」
さらにぶってやろうと杖を高く上げたが、誰かが背後から腕を掴んできたので出来なかった。


「そのくらいにしたらどうですか?周囲の目もある」
晶だった。
「……おまえは大佐のところの」
「雅信の額から血が出ている。そいつの顔がキズモノになることは事務長も不本意なんだろう?」
確かに、雅信の顔をキズモノにするわけにはいかない。
「……ふん、今回はこれくらいで許してやる。さっさと医務室で手当てしろ。
いいか、おまえのとりえは、その顔だけなんだから、キズは残すなよ」
「…………」
雅信は無言で立ち上がるとフラフラと歩き出した。


「おい、どこに行く。医務室はこっちだ」
全く面倒な奴だな。晶は乗りかかった船だと思い医務室に連れて行った。
看護婦が二人いた。一人はいかにも美人なタイプ。
もう一人は平凡(と、言うよりむしろ人並み以下かもしれない)なタイプ。
美少年とあって美人の看護婦が「私が手当てしてあげるわ」と近づいてきた。
だが雅信は、「……そっちの女がいい」と、もう一人を指名した。
その美人看護婦はプライドが傷ついたのだろう。怒って出て行ってしまった。
反対に指名されたもう一人の看護婦は雅信の美貌にやや頬を赤らめながら手当てしだした。




「はい、これで大丈夫ですよ」
「…………手」
「え?」
雅信は、その看護婦の手を取ると、自分の頬にそっと当てた。
そして目を瞑ってうっとりと、その手の感触を味わっている。
「……え?……あ、あの……?」
突然の行為に看護婦は真っ赤になって途惑っている。
その様子を見ていた晶は「……バカめ。変な期待もたせるだけだ」と呟いた。
あいつには(薫と違って)全く裏はないだろうが、ああいう行為は相手を勘違いさせる。
現に、あの看護婦(男に免疫がないせいか、すでに恋に落ちたような目をしているが)。
もし今雅信が愛の言葉を囁けば簡単に落ちるような状態になっている。
雅信が美人看護婦ではなく、こっちを選んだ理由に晶は気づいていた。


(あの女の手。美恵の手によく似ている)

顔も雰囲気も全く美恵とは違う。でも、手が美恵に似ていたのだ。
つまり雅信が愛したのは、その手だけ。他のことは全く目に入ってない。
今も、頬を真っ赤にして自分に見惚れている女の顔なんか見ていない。

「……罪な奴だな」
その時、晶の携帯が鳴った。
「オレだ」
『……晶か』
「……どうした、珍しいな。おまえからオレに電話をくれるなんて。
何かあったのか?」
『……力をかしてほしい』
晶の顔色が変わった。隼人が自分に頼み事など初めてのことだ。




晶は場所を移した。
「何があったんだ?」
『今すぐに、こっちにこれるか?』
何があったんだ?隼人のこんな切羽詰った声は初めて聞いた。
『……助けてくれ』
「助ける?誰のことだ?」
隼人の事ではない。隼人は自分の為なら決して晶に助けを求めたりしない。


美恵だ』
美恵?」


『頼む、すぐにこっちに来てくれ。頼む、晶』
「……危ないのか?」

何があった?と晶は聞かなかった。ただ、隼人の様子から美恵に何か起きた事はわかる。
そして、美恵が今危険な状態だということも。


『かなり危ない。おまえが必要なんだ。助けてくれたら一生かけても借りは返す。だから晶……』
「…………」
『頼む、助けてくれ』
「…………」
晶は少し考えた。そして決断した。
「すぐに行く」
『感謝する』
「隼人」
『何だ?』
「おまえでも取り乱す事があるんだな」




医務室に戻ると雅信はまだ看護婦の手を握り締めていた。
(……あいつにも教えてやったほうがいいのか?)
いや……と、晶は、それを否定した。
(あいつは殺すことしか出来ない男だ。おそらく、それ以外は何も出来ない。
多少、憐れだが、今、美恵のそばに駆けつけても何も出来ないだろう)
晶はそう考え雅信には何も言わなかった。雅信にとって美恵は生まれて初めて愛した女。
その女が死に掛けているときですら何もできない男。憐れだが、それが現実だ。


(もし、あいつが美恵の為に何か出来ることがあるとしたら、せいぜい美恵を苦しめた連中を殺すことくらいだ)


晶は思い出していた。先ほどの隼人との会話を。
「それで誰が美恵をそんな目に合わせたんだ?
あいつは晃司や秀明の身内だ。その美恵に危害を加えることは晃司たちに宣戦布告したも同然。
そんなことを平気でするなんて、余程のバカか、余程自分に自信を持っているかどっちかだ」
『両方だ』
「まさか……あいつらなのか?」
『ああ、そうだ』
「……バカが。そこまでやるとは思わなかった。これで連中も終わりだ。晃司や秀明を完全に敵にまわした」
『晃司たちだけじゃない。徹が怒り狂っている。
おそらく、このまま黙ってはいないぞ。今のあいつは何をするかわからない。
もっとも、それを止めようとする奴は一人もいないが』














――数日後――

雅信の携帯に徹から電話が入った。
「…………珍しいな……何の用だ?」
『雅信、もし美恵が君の前に現れたらどうする?』
「…………」
雅信は妄想を駆け巡らせた。
「……く……くくく……」
『今、君が考えていることをやろうとした不届きな連中がいるんだ』
瞬間、雅信の顔が変わった。
「殺すっっ!!!八つ裂きにして下水道につっこんでやるっ!!」
『実にいい答だ。だったら、その思いをかなえてあげるよ。
今すぐ、オレが指定する場所に来い』
「……わかった。すぐに行く」


『あいつが美恵の為に何か出来ることがあるとしたら』


「オレはお願いするつもりはない!これはビジネスだ!!
一人、一千万円ある。奴等を殺せ、一人残らずだっ!!」

徹に呼び出された雅信の前に大金が積まれていた。
雅信だけではない。徹は雅信の他にも何人も集めていた。

「……金なんかいらない。オレの手で原型のない肉の塊にしてやる!!」

雅信の答えはすでに決まっていた。
金など拒否して雅信はもっとも血塗られた道を簡単に選択したのだ。


『せいぜい美恵を苦しめた連中を殺すことくらいだ』


――もしかしたら、それが、彼とっての、たった一つの愛情表現なのかもしれない。




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