長く艶のある黒髪に象牙のような肌。そして愛らしい微笑みを持つ母親。
そして、そんな母親に似てこれまた愛らしい息子。
彼は素晴らしくイイコでした。
とても正直で、素直で、愛想が良くて、誰に対しても分け隔てのない優しい少年だったのです。
ただ一つ残念なのは、この家庭には父親がいないことでした。
でも、そんな寂しさを微塵も感じさせないほど、いつも明るい笑い声が聞こえてきます。
こんな素敵な母と子はきっと世界中どこを探してもいないでしょう。
Solitary Island―相馬家の人々Ⅲ―
洸はメモ帳を見ながら街中を歩いていた。
「……さて、と。そろそろ今月の集金始めないとね」
すると前方から、原宿でたむろしていそうな今時の若者が走ってきた。
洸にぶつかり、「バカ野郎、気をつけろ!」と怒鳴り、そのまま走り去ろうとする。
が、洸が、その男の腕を掴んだ。
「な、なんだ、てめえ!!」
「返しなよ」
「……な、なんだと?」
「すっただろ、オレの財布。返せよ、オレ、そういうの大嫌いなんだ。
何の努力もせずに他人のお金横からかっさらおうなんて図々しいんだよ」
「な、何を証拠に……」
「証拠?」
洸は男の懐に手を入れて財布を抜き取った。
「なんでオレの財布がおまえの懐にはいってるのさ?
これって立派な物的証拠だよね。警察に引き渡されたくなかったら慰謝料払いなよ」
「て、てめえ!!」
男は逆ギレしてナイフを取り出した。
遠巻きに二人の様子を見ていた周囲の人々は叫び声を上げて後ずさる。
「ぶっ殺してやる!!」
「……あー、やだやだ。最近、多すぎるよ。切れた若者の凶行って」
洸はスッと屈みナイフを避けると、反対にその男の腕を取ってねじ伏せた。
「ぎゃぁぁー!!」
腕の骨が折れるのでは?と、いうくらいの痛みに男は絶叫した。
「よりにもよってオレからお金とろうだなんて……覚悟は出来ているんだろうね?」
「そのくらいにしたらどうですか?」
「ん?」
ふいに声を掛けられ、洸はその人物を見上げた。
「…………」
「……スリを取り押さえるなんて、今時どこの勇ましい男の子かと思いましたよ」
上品そうな男性が立っている。その後ろにはさらに三人の男が立っていた。
「久しぶりですね。洸くん」
「……北條のおじさん?」
「良かった。覚えていてくれたんだ」
「どうして、ここに?偶然だなぁ。何?仕事の都合でここに来たの?」
「話してもいいですが、その前に彼を放してやったら?
もう、そのくらいでいいでしょう?いくらなんでも制裁の域を超えている」
「そうだね」
洸は腕を放してやった。男は叫びながら全速力で逃げていった。
「何年ぶりかな?本当、久しぶりだね、おじさん」
「光子さんは……お母さんは元気ですか?」
「ああ、元気元気。とっくに三十路超えたのに、今だに二十代にしか見えないんだ」
「はは、確かに。ふけた彼女は想像も出来ないからね」
北條は笑った。
「ここじゃあ、何だから、どこかでお茶でも飲みながら話をしませんか?」
「うんいいよ。もちろん、おじさんたちの驕りだよね?」
「わーい、ほらほら見てよ。ちゃんと的に当たったよ」
穴が空いた的を指差して無邪気に喜ぶ洸。周囲の大人たちは皆口をそろえて洸を褒めた。
「凄いな洸くんは。将来は一流のスナイパーになれますよ」
「おじさんよりも?」
「もちろん」
「銃の腕だけじゃないぜ。洸は飲み込みが早くてな。爆弾とか無線機とか、あっと言う間に作っちまう」
「本当に教えがいあるぜ。洸は頭も腕もいい」
洸が、この『おじさん』たちに教え込まれていることは、およそ普通とは言えなかった。
それもそうだろう。彼等は反政府ゲリラだったのだらから。
だが、幼い洸にそれがわかるわけがなく、ただ褒められる事が嬉しかった。
皆、頭をなでて褒めてくれる。
洸は物心付いた時から、彼等に色々なことを教わった。
サバイバルゲームなんて可愛いものじゃなかった。
幼児に教えるような内容ではないが、それでも彼等なりの愛情表現だったのだろう。
とにかく、洸は本当に可愛がってもらっていたのだ。
ただ母親の光子には、それが面白くなかったらしい。
理由は簡単。光子は不安だったのだ。
このまま、ここにいては洸も反政府の人間として武器を取って戦うようになるかもしれない。
そんなことはごめんだった。どんなに卑怯な人生送ろうとも生き残った方が勝ち。
死んだら負け。それが光子の人生哲学。
だから光子は洸が大きくなると、世話になった彼等に別れを告げたのだ。
「……アレから何年たったかなぁ。学校ではイイコにしてるか?」
「もちろん。オレ、これでも優等生なんだよ」
洸は「あ、おかわりしていい?」と、催促しながら、そう言った。
「優等生……か。成績いいんだな。まあ、おまえは賢い子供だったからなぁ」
「そうそう。賢くて優しい子供だったよね。もちろん、今も」
「ガールフレンドくらい出来たんだろうな?」
「うん、いっぱいいるよ。ミツグちゃん」
「……ミツグちゃん?」
何だか、気になる単語だが、洸が元気でやっているようで皆安心したようだ。
「実を言うと心配していたんですよ。あなたたち母子のことだけが気がかりで。
光子さんは気丈な女性だけど、それでも子供かかえて誰の助けも借りずに生きるのは難しいから。
……だから、本当に安心しましたよ」
「北條さんたちも元気そうでオレも嬉しかったよ。そうだ、ママにも会っていく?きっと喜ぶよ」
「いえ、それはやめておくよ」
「なんで?」
「オレたちが姿を見せたら、きっと彼女は不安になるからです。
彼女は君がオレたちのような人間になることを一番恐れていたから……」
「ああ、そうだね。そうだ、言い忘れてたけど」
「なんですか?」
「久しぶりに会ったんだから、お小遣いちょうだいよ。もちろん一人万単位でね」
全員、言葉を失っていた。やがて一人が震えながら言った。
「……洸、おまえって奴は」
「くれないとオレにも考えがあるよ」
「考え?」
「今ここで大声で叫ぶよ。『みなさーん、反政府ゲリラのお尋ね者がいますよ』ってね」
その言葉に、またしても全員呆気に取られた。
「……それって脅迫ですか洸くん?」
「北條さん、それは違うよ。昔、慕っていた皆にそんなことするわけないじゃないか。
オレはただ、ほんの少し、心ばかりのお小遣いが欲しいだけなんだよ」
北條は苦笑いしていたが、他の三人は真っ青になっていた。
洸が赤ん坊の頃から色々と世話をしてやった。
まるで息子のように面倒を見てやってきたつもりだ。
その洸が脅迫まがいのマネをしてきたのだからショックも大きい。
ただ北條だけは、懐かしそうに昔のことをふと思い出していた。
洸がまだ生まれて数ヶ月の赤ん坊だったときの頃だ。
洸はとても可愛い赤ん坊だった。少なくても見かけは。
そして、その出自ゆえか、洸は皆にとても可愛がられていた。
ある日、光子が用事が出来て半日出掛けることになった時のことだ。
洸はベビーベットの上で静かに寝ていたのだ、その内にぱちりと目を開けた。
そして、おぎゃーと大声で泣き出したのだ。
ミルクの時間でもないし、おしめも濡れていないのに。
「北條、北條。おい、どうするよ?洸が泣きやまねえよ」
洸を抱き上げて、よしよしとあやすも泣き止むj気配は無い。
「抱き方が悪いんじゃないですか?ほら、オレにかして」
今度は北條が洸を抱いてあやしてみた。
「ほら、イイコだ。だから泣き止んで」
ところが洸はさらにボリュームを出して泣き出した。
周囲は慌ててガラガラを鳴らしたりして洸の機嫌をとろうとするが効果は無い。
「まいりましたね……しょうがない、ズボンのポケットに入ってる財布をとってください」
洸を抱き上げている為に両手がふさがっている北條は財布をとれといった。
こんな時になぜ?と皆は不思議に思ったが、とにかく言われた通りにした。
「小銭をだして、何か袋に入れてください。早く」
ますます意味不明だが言われた通り袋に小銭を入れて、それを北條に渡した。
「ほら洸くん、泣き止んで」
北條はその袋をふった。お金の音が鳴り響く。
すると洸は、笑顔で笑い出したのだ。
即席の小銭ガラガラだったが、洸には効果てきめん。
三つ子の魂百までというが、思えば、この頃から洸の人格は、すでに形成されていたのかもしれない。
もちろん洸は覚えていないが、北條は昨日の事のように覚えていた。
あの時、たかが小銭程度で喜んでいた赤ん坊が、脅迫できるくらい大きくなって今目の前にいる。
――成長したな洸。これでもう、何も思い残す事はない。
北條は安心したのか、少しだけ笑みを浮かべていた。
「で、くれるの?くれないの?」
北條は「しょうがないですね。ほら、皆も観念して出したらどうですか?」と笑って言った。
皆は、「……たく、末恐ろしいガキだぜ」と渋々財布を取り出す。
そして、「ほらよ」と、それぞれ一万円札を差し出した。
「ありがとう♪オレ、すごく嬉しいよ。で、北條さんは?」
「はいはい。大事に使ってくださいよ」
北條は財布から万札を10枚ほど取り出すとポンと渡した。
「じゃあ、そろそろオレたちは失礼するよ」
「え?もう帰るの?久しぶりだから、もっと話したいことあったのに」
「オレたちも暇じゃないんですよ」
「そっか、なら仕方ないね」
「洸くん、昔のよしみで一つ約束してくれますか?」
「いいよ。お金のかからないことなら」
「光子さんを……ママを大事にしてあげてくださいね」
――二日後――
「おはよう、皆。今日もいい天気だね」
洸は学校につくなり元気よくクラスメイトに挨拶した。クラスメイトたちもつられて元気に挨拶を返してくる。
もっとも、洸の本性を知っている(と、いうより脅された経験がある)生徒たちは少々青ざめて小声で挨拶してきたが。
「……本当、怖いわよねえ。自爆テロなんて」
ふと教室の一番後ろのほうが、そんな声が聞えてきた。
「ずっと地下で反政府ゲリラやっていた連中なんですって」
「昔、政府の主要ビル破壊してから、ずっとマークされていたんでしょ?」
洸の顔色が少しだけ変わった。いつもの半分ふざけた表情ではない。
「……ねえ」
洸は、その会話をしている委員長グループに近づいた。
「何の話?」
「今朝、ニュース速報でやってたのよ。反政府組織が自爆テロやったって。
代議士が何人も死んだらしいわ。本当に物騒よね」
「その組織って?」
「確か……『HOPE』っていう名前だって」
「…………」
それだけ聞くと、突然洸は乱暴にドアを開けて教室を出て行った。
クラスメイトたちは何事かとひそひそと小声で話した。
そして、その日は洸は一日中授業をボイコットしたのだ。
「……あーあ」
洸は屋上にいた。昇降口の真上に寝そべって、大空を眺めていた。
「……こんなことなら、もっとお金とっておくんだったな」
空……か。あの頃は毎日地下にいた。
でも、それが嫌だなんて思ったことは無い。
本当に可愛がってもらったから。
銃も格闘技も皆彼等から教わった。思えば、悪い事ばかり教わったな……。
政府のコンピュータに不法侵入する方法とか。
クリップ程度のもので簡単に鍵を開ける方法とか……。
「……でも楽しかったな」
いつの間にか洸は眠っていた。
そして、昔の夢を見ていた。海岸で母と手をつないで歩いている。
母は言った。
「ママはおまえには将来財産も地位もある人間になってほしいと思っているわ。
でも、もしも、おまえが大金持ちになれなかったら、それも仕方ないと思っているのよ。
何でもいいのよ。本屋でもパン屋でも会社員でも公務員でも。
おまえがなりたいものになりなさい。でもね……」
洸を抱きしめて言った。
「でも、絶対にゲリラにだけはなってはダメよ」
「どんなに信念貫いたって……死んだら終わりなの。
どんなにずるい生き方したって最後は生き残った奴の勝ちなのよ」
オレは死なないよママ。オレもママと同じ考えだから。
どんなにずるい生き方したって最後は生き残った奴の勝ちだから。
生き残った奴だけが笑うことができるんだから。
だから、オレは最後まで負けない。
絶対に死なない。
例え、どんなことが起きても……絶対に生き残って見せるよ。
あの日、ママがどうしてゲリラにだけはなるなと言ったのか、当時のオレにはわからなかった。
でも、今日わかったよ。
ママの言葉が頭でじゃなく心でわかった。
さよなら皆……オレ、皆の事好きだったけど同じ道は絶対に歩まない。
オレは最後まで生き残る。生き残って人生の勝利者になるよ。
オレを一人で生んで育ててくれたママの為にも――。
――光子さんを……ママを大事にしてあげてくださいね
~完~
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