久しぶりに科学省の門をくぐった。いつ来ても居心地が悪い。
真っ白な壁、真っ白な天井。必要以上に衛生には注意しているためか、とても奇麗だ。
でも……とても冷たい場所。ここには嫌な思い出ばかり。だから帰って来たくなかった。
それでも月に一度は健康診断で戻らなければならない。
「どうした?おまえは、ここに来るといつも沈んでいるな」
美恵が科学省に帰るときは、いつも秀明が付き添ってくれる。
美恵の面倒を見てやる責任が秀明にはあるからだろう。


秀明が立ち止まった。
「どうしたの?」
「客が来ている。それも、かなり高位の人間だ」
黒塗りの高級車。先導車を始め、他にも護衛の車などが何台も付き従っている。
玄関から大勢のSPに囲まれた男が出てきた。
科学省長官・宇佐美が頭を低くして「またのお越しをお待ちしています」と、ぺこぺこしている。
「……あの男は」
「知っているの?」
「ああ。義久殿下、総統陛下の甥だ」
「総統陛下の?」
「以前、護衛をしたことがある」
美恵にとっては雲の上の人間。その総統の甥とやらは秀明を見た瞬間、まるで敵を見るかのような目で射抜いた。


(……え?)

その視線を美恵は見逃さなかった。


(あの目は……憎悪の視線……。どうして?)




Solitary Island―Fate(秀明編)




(……どうして秀明をあんな目でみるの?まるで怨みでもあるみたいに)

美恵、どうした?」
隼人が声を掛けてきた。様子がおかしい美恵を気にしたのだろう。
「隼人……あの、義久殿下って知ってる?」
「ああ、以前、秀明と晃司が護衛をして命を守ってやった事がある」
「命を?」
「二人がいなかったらテロリストに誘拐されたか殺害されたか、どちらかだったらしい」
「…………」
「それがどうした?」


どういこと?おかしいじゃない。それなら、秀明には感謝こそすれ、怨む筋合いなんかない。
それなのに、あの目は……どうして、秀明を憎むの?


「何があった?」
「……秀明は殿下を怒らせるようなことを何かした?」
「どういうことだ?オレは二人が殿下を守ったということしか知らない。
そのことで二人は総統から恩賞まで貰っている」
「…………」
「殿下が何かしたのか?」
「……この前、科学省に来てたの。秀明の事を凄い目で睨んでいたわ」
隼人も解せない表情をした。でも隼人も、それ以上何も知らないので答えようがない。














気にはなったが、相手は雲の上の人間。会う事もないから忘れよう。美恵はそう思っていた。
ところが運命の皮肉か、その相手にばったり出会ってしまったのだ。
美恵は隼人に会ったついでに同じ海軍の俊彦に挨拶しようと思った。
俊彦は軍の幼年部にいると彼の同僚から聞いた。
孤児院で育った俊彦は同じ境遇の幼い後輩たちに何かと目をかけてやっている。
時々、遊びに行ってやっているということだ。
まだ小学生くらいの子供たちが軍の中で駆け回っているなんて、この部署くらいだろう。
本当に元気。それに明るい。同じような境遇でも、私や晃司たちとは全く違う。
美恵は思わず笑みを浮かべていた。
その幼い子供が戦闘機のおもちゃを持って廊下を走っていたとき、それは起きた。
廊下を曲がった途端に、男にぶつかって転んだのだ。
持っていたおもちゃは床に落ち壊れてしまった。泣き声があたりに響く。振り向いた美恵は驚愕した。
子供がぶつかった相手が、先日みかけた総統の甥とやらだったからだ。


「無礼者!!殿下に対して何と言うことを……例え子供といえど」
おつきの者が途端に怒鳴りだした。ぶつかった子供はそれだけでわんわんと泣き出している。
総統の身内に礼を失するということはそういうことだ。
晶の話では、総統の息子の宗徳という最低男が全く同じことをした子供をお付の次官に暴行させたことがあるとか。
あの男は秀明に対する態度からして、温厚な人間とは思えない。
美恵は思わず駆け寄った。
科学省で物心ついた頃から人間扱いされずに育った美恵には、その子供に自分の姿がダブったのだ。




「……待って、その子は」

美恵が言葉を言いかけると同時に義久が怒鳴っていた。


「たかがぶつかってきたくらいでガタガタ言うな!」
「……は、しかし殿下。周囲の目もございますので」
体面を重んじるおつきが意見を言うと、さらに義久の機嫌が悪くなった。
「オレがいいと言っているんだ。おまえも将来軍人になるんなら、こんなことくらいでビービー泣くな!」
泣くなと言っても、子供というものはすぐに泣き止むものじゃない。
「たかが、おもちゃ一つで……だからガキは嫌いなんだ」
義久は財布を取り出すと、その子供の手前に金を投げつけた。
「それで新しいのを買え」
それから周囲の人間達に「何見てんだ、うすらバカどもが!」と暴言を吐いた。
全員慌てて目をそらしている。その中で、美恵だけが驚いた表情で義久を見ていた。
てっきり、相手が子供だろうと容赦なく制裁にでると思ったのに。
そんな美恵に気づいたらしく、義久は「……おまえ、さっきオレに何か言いかけたな」と言いだした。


「何の用だ?」
「…………」
美恵が黙っていると、おつきが「こら殿下が質問なさっているんだ。さっさとお答えしろ」と小声で言ってきた。
「……おまえ」
義久は美恵の顔を見て、突然ぴんと何かを思い出したような表情をした。
「……あの人形野郎と一緒にいた女だな」
人形野郎……秀明のことだ。途端に美恵は不機嫌な顔になった。
「……秀明は人形じゃあありません」
「……何だと?」
「取り消してください」
義久は美恵に近づくといきなり胸倉を掴んだ。




「人形を人形呼ばわりしてどこが悪い!?オレはあいつらは大嫌いなんだ!!」
「……どうして?晃司と秀明は殿下を守ったのに」
「叔父上の命令に従っただけだ。オレは頼んだ覚えは無い!」
「……殿下にはご兄弟がいますか?」
「……何だと?」
突然、話題を変えられ義久は返答に一瞬詰まった。
もっとも一瞬で、「姉が二人いるが、それがどうした?」と言った。
「その二人を悪し様に言われたら……黙っていられますか?」
「何?」
「二人は私にとっては兄妹も同然です。だから……」
総統の一族に口答えするということは自殺行為も同然。
しかも、ここまで逆らったのだ。おつきの者たちも皆青ざめている。


美恵」
背後から声がした。美恵は青くなった。なぜなら、その声は慣れしたんだ秀明の声だったから。
「どうした?なぜ殿下と?」
秀明の顔を見た途端に義久は機嫌悪そうに美恵を突き放した。
倒れかけた美恵を秀明は受け止めた。
「大丈夫か?」
「……ええ」
「何があった?」
「…………」
美恵は言いたくないようだった。だから秀明は義久のほうに聞いた。


美恵が何か?」
「……おまえなんかには関係ない!」


「行くぞ!」
義久は向きを変えると歩き出した。おつきも護衛も慌てて後を追う。
「一体何があったんだ美恵。オレには言えないことなのか?」
秀明は相変わらず無表情で美恵の顔を覗き込んだ。
「何でもないわ」
「そうか。しかし解せないな。今の光景はなんだ?どう見ても、殿下がおまえに危害を加えようとしていた。
もしくは、そうとられてもおかしくないくらいの行為をしている状況にしか見えなかった。
だからオレは当事者のおまえに事情を聞いたのだが、おまえは何でもないという。
何でもないなら、さっきの場面とは矛盾点がいくつもある。まず、第一の矛盾だが……」
「……まって、秀明」
「何だ?」
「……あなたが気にすることじゃないのよ。私を信じて」
「そうか、わかった。だったら帰ろう」
秀明は美恵の肩を抱いて、その場を後にしようとした。


「堀川!」


美恵は頭を抱えたくなった。秀明に何か用があるのだろうか?
「何ですか殿下?」
「その女はおまえの身内らしいな」
「そうですが」
「は!その女が殺されそうになっても、おまえは任務なら簡単に見捨てるのか?!」

(……え?何のこと?)

「そうだろうな。おまえは任務しか頭にない人形野郎だ。
例え、大事な女でも関係なく見殺しにするんだろう?!あの時のようになあっ!!」














――数日後――

「大変だったな」
「心配かけたようね。ごめんなさい」
「オレに謝ることじゃないだろ?」
美恵はまた海軍に来ていた。先日はあんな事があって俊彦に挨拶も出来なかったから。
「……俊彦、あのひとは時々ここに来るの?」
「ああ……母方の一族が海軍の人間だからな。よく来るぜ。
教育を終えたら海軍に入るつもりなんだろう。実は今日も来てるんだよ」
「本当?」
「ああ、何ていうか気性の荒い方でこっちも色々と疲れる……って、美恵?!」
俊彦が止めるのを聞かずに美恵は歩き出していた。
あの時の最後の言葉だけは絶対に聞き逃す事が出来ない。




「なんだ、部屋の外が騒がしいな?」
「注意してきましょうか?」
おつきがドアを開け、「何事だ?」と叫んだ。
「すみません。この小娘が」
「私はほんの少し、殿下にお話を聞きたいだけです」
「なんだと?なんて無礼な小娘だ!すぐに管轄の部署に連絡して、しかるべき処罰を……」
「誰が来たって?」
貴賓室の部屋の奥のソファで座っていた義久が部屋の外に出てきた。
そして、「あの人形の女か」と面白くなさそうに呟いた。


「どういうことなんですか!?」
「何がだ?」
「あの時、言ったことはどういうことですか?秀明が見殺しにしたと」
「…………」
「秀明は……秀明と晃司は寡黙で不器用だけど、そんな人間では」
「……知りたいのか?だったら教えてやる。入れ」
義久は他の人間を全員人払いして美恵だけを部屋に入れた。




「おまえ、先日オレにガキがぶつかってきたとき、駆け寄ってきただろう?」
「それが?」
「少し驚いた。そんなことする女がいるなんて。
まして、あの人形野郎の身内なら平気で見て見ぬふりをすると思ったのに」
「……どうして、そんなに嫌うんですか?二人は殿下を守ったのに」


「三ヶ月前のことだ。オレはある場所にいた、お忍びでだ。
護衛は大勢いたが、お忍びということで通常よりずっと手薄だった。
建物から出たとき、いきなり銃声と爆音が響いて火の手が上がった。
オレには突然の事で何のことかわからなかったが、後でテロリストの仕業だと聞いた。
総統の身内のオレが手薄の警備という情報聞きつけて襲ってきたらしい。
で、護衛連中と撃ち合いになって、切れた連中が周囲に爆弾撒き散らしたんだ」

義久は立ち上がると美恵に背を向けて窓の外を見詰めた。


「テロリストがオレを狙っているという情報を政府も掴んで、慌ててあの二人を寄こしてきた。
炎と爆音と煙……おまけに爆風でオレは頭部を負傷して、その場に倒れた。
そこに、あいつらが軍用ヘリで駆けつけ、攻撃を仕掛けてきたテロリストたちを一斉射撃。
オレをヘリに連れ込んで、すぐにその場から離れた。
テロリストは他にも大勢いて、オレをその場から連れ出し保護しろ、それが最優先の任務だとよ」

美恵はわけがわからなくなった。どうして、それで二人を嫌うのか?


「……オレはヘリの上から見たんだ。あの辺り一帯が炎に包まれるのを。
ざまあないぜ。あの人形たちが来なければオレも焼け死んでいたってわけだ」
「……どうして?」
「ああ?」
「どうして、二人を嫌うんですか?殿下の命を助けたのに……」
「……オレはヘリに連れ込まれる時に奴等に言ったんだ」




『おまえたちは……?』
『軍の命令で救出に来ました。すぐに脱出します』
『ま……待て!!近くに……隣の敷地に民間の孤児院があるんだ……!!
赤ん坊もいる、すぐにあそこの人間を……!!おまえたちなら助けてやれるだろう、これは命令だっ!!』
『秀明、殿下をヘリに』
『ああ』
『おまえたち、何を!オレにかまうなっ!!オレが命令しているんだ、あそこの子供たちを助けに行け!!』





「……オレは見たんだ!」
ダンっ!と窓ガラスが叩かれた。
「……炎が一気に拡大するのをヘリから見た。……あそこの住人は全滅だ」
「…………」
「Ⅹシリーズなら……助けてやれたはずだ」
「……晃司と秀明は」
美恵は震えながらも二人を庇おうとした。
でも上手く言葉がでない。理屈では何を言っても通じない雰囲気がそこにはあった。


「……ああ、そうだ。奴等は『オレを最優先に保護しろ』と命令を受けていた。
オレが総統の甥で、反逆者どものターゲットだったからだ。
反対に、孤児院にいた七人の子どもを守れなんて命令は一切受けてない。
だがな!あそこにいたのは、まだ小学校も卒業してない子供だけだった!!
まだ歩けないガキだっていたんだっ!それが全てだ!!
オレが総統の甥なんてことは何の問題でもない!!人間なら、それがわかるだろう?!
だが、奴等にはわからなかった!全てが終わったとき、オレが理由を聞いたら奴等は平然と言ったんだ!!
そんな命令は受けていないってなぁっ!!
人間なら助けていた、だが奴等は違ったっ!あいつらには人間の心が無いんだ!!
何が至高だ、何が芸術品だ、ただ人間の入れ物をしただけの人形なんだ!!
オレはあいつらなんか認めない!!絶対に……認めるものか……!!」


「…………」
「……これで納得しただろう?わかったら、さっさと出て行け!!」




美恵は何も言い返せなかった。

『人間なら、それがわかるだろう?!』

その言葉が胸に突き刺さった。
同時に、先日、やはり義久が放った『大事な女でも関係なく見殺しにするんだろう?!』という言葉も。


「……殿下のいう通り」
「…………」
ただ、これだけは言っておきたかった。
「相手が私であっても見殺しにするかもしれません。でも……」
「…………」

「……でも、私は彼等のことが好きです。とても大事な人間なんです。
例え、どんな結果になろうと、二人を怨む事は絶対にありません」

部屋を出ると俊彦が心配そうに待っていた。あの怒鳴り声だ。筒抜けだっただろう。
俊彦は美恵の肩に手をおいて、「送っていくから」と言ってくれた。
しばらく廊下を歩いていると、「……気にするな」と言われた。


「殿下は士官学校に入ったばかりの学生だ。まだ世の中の仕組みがわかってないんだよ。
だから甘い考えを持っているだけで……その、ほんと気にするなよな。
オレが晃司たちの立場なら、きっと同じ事したと思うぜ」
「……ありがとう」
「もしもテロリストに拉致でもされていたら、きっと殿下をたてに政府に無茶な要求してきただろうぜ。
そうなったら、政府が莫大な費用や大勢の人間を動かしていた。
そういう立場の人間だってことに気付いてないんだよ。所詮、苦労知らずにおぼっちゃんだからな」




「……第一、おまえが気にすること」
建物の外に出ると俊彦はいったん会話を止めた。
「ほら、見てみろよ」
俊彦が指差した先に秀明がいた。
美恵を見ると、近づいてきてヘルメットをほうり投げてきた。
「帰るぞ」
「……迎えに来てくれたの?」
「ああ、そうだ。おまえの面倒を見てやるのもオレの仕事だからな」
「仕事だから?」
「ああ。いや違うな……義務からか、この場合はわからないな」
秀明はバイクにまたがると、「早く乗れ」と言った。
美恵が後部座席に乗ると、「しっかり掴まっていろ」と忠告し発進。あっと言う間に、猛スピードで走り出した。


「秀明!」
「何だ?」
「義務だから頼んでもないのに私を迎えに来てくれるの?あなたも忙しいんだから、そんなに気を使うことないのよ!」
風圧に声が消されないように、大声で叫ぶようにして話す美恵。
それとは裏腹にいつもと同じように喋っている秀明。
「別に気を使ってない。おまえを守ってやるのはオレの……」
「だから上からの命令なら、こんなことまで命令されて無いでしょう?!」
「……そうだな。詳細なことまで命令されてない」
赤信号。いったん停止した。
「私も、もう子供じゃないから、だから」
「別にいいだろう。上の命令に反しない限り、オレはオレのやり方でおまえを守ってやる」


「それがオレの任務だからな」


「そう……ありがとう」
美恵は苦笑した。素直に喜んでいいのかわからない。
でも……すぐに答がでる問題でもない。だから、今は少しだけ素直に甘えよう。
昔……ただ、何も考えずに純粋に秀明を兄のように慕っていた頃のように――。


――任務に反しない限り守ってやる。


その言葉通り、ずっと守ってきた。そして、これからも守っていくつもりだった。
任務に反しない限りは――。
秀明が、任務か美恵か、そのどちらかを選択しなければならない日は
――そう遠い未来ではない。




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