隼人は一人で墓参りにきていた。姉と、もう一人のある人の墓に。
姉の遺骨は氷室家代々の墓に葬られている。氷室家の土地の中にある見るからに立派な墓。
姉のみならず隼人の父も母もここに眠っている。
その墓に姉が好きだった白百合を供えると隼人はもう一人の大切な人の墓に行った。
氷室家の荘厳な墓と違う質素な無縁仏。

「彼女は元気だ。何も心配はない……」

ただ風が微かに吹いていた。


「……いつか彼女を連れてくる」




Solitary Island―Fate(隼人編)―




「あの……私、あなたのこと好きです。付き合ってください」
夕日がさす放課後の音楽室での出来事だった。


(……まさか、あんなシーン目撃してしまうなんて。気付かれてなければいいけど)

は早足で廊下を歩いていた。
音楽室の前でふいにそんな台詞を耳にしてしまったのだ。
少しだけ開いていたドアの隙間から見えた。
告白している女生徒とされている男子生徒の顔が。
不可抗力だったとはいえ盗み聞きと覗きをしてしまった気まずさから、すぐにその場を逃げるように去った。
しかし、逃げだした本当の理由は男子生徒にあった。


が親しくしている人間だったのだ。親しい相手の自分の知らない一面を見てしまうとなんだか寂しい。
一人ぼっちで育ったにとっては普通の人にはなんでもないことでも、ついそう感じてしまうのだ。
女生徒は隣のクラスの子だった。
背が小さくて、いつも大きめのリボンを頭につけている評判の美人。
女のから見ても、とても可愛いい子だった。
(まるで砂糖菓子みたいな子だったわね)
そんな可愛いい子が頬を真っ赤に染めて俯き加減に必死に愛を告白してきたのだ。
(きっと男なら誰でも嬉しいわよね。あんな子が相手ならすぐに好きになるわ。
男の人はみんな、ああいう子が好きでしょうね。本当に私とは正反対だわ……)
は思い出していた。転校して、しばらくしてから起きた出来事を。














「オレと付き合ってほしいんだ」

呼出しを受けて学校の裏庭で聞いた言葉は告白。
その人は生徒会の役員をしていたことから顔と名前だけは知っていた。
ただ名前と顔だけで人格も知らなければ、会話どころか挨拶もかわしたことのない相手。
学年も違うので卒業までずっと話をすることもないような人だ。
世間的には二枚目にあたる容姿からそれなりにモテてはいたがは全く興味がなかった。
少なくても晃司や秀明たちに較べたらハンサムには見えない。
第一、は自由恋愛など許されない立場。だから即座に「ごめんなさい」と即答した。
その人は今まで余程モテたのだろう。
よもや断られるなんて思っていなかったらしく随分とショックを受けていた。
それから数日後、今度は同じクラスの女生徒に呼び出された。




さん、どうしてお兄ちゃんをふったの?お兄ちゃんのどこが不満なの?」
クラスメイトの兄妹とは知らなかった。
「不満とか、そういう問題じゃないの。お兄さんとは話をしたこともないのよ」
「だったら友達からでもいいじゃない。何も結婚しろって言ってるんじゃないし。
試しに付き合ってよ。お兄ちゃん、すごくモテるのよ。断るなんてもったいないよ。
付き合ったらきっとさんもお兄ちゃんのこと好きになるわ。あたしが保証してあげる」


友達からのお付き合いと言われても、結局は恋人になることを前提にした強引さを彼女に感じた。
クラスメイトなのだし、これからの付き合いのことを考えたら、普通の女の子ならもっと上手な断り方をしただろう。
でも白い壁に囲まれた特殊な空間で育ち、世間や社会を知らずに育ったにはそれが出来なかった。
は正直に「私、お兄さんのこと好きじゃないの。だから付き合えないわ、ごめんなさい」と言った。
彼女は少しだけムッとした表情を見せたがすぐに笑顔でこういった。


「だから何も結婚してって言ってるんじゃないし、もっと軽い気持ちで考えて見て。
まず付き合ってみて、それでもダメだったら別れればいいんだし」
「私、そんな付き合い出来ないわ。最初に言った通り、お兄さんとは付き合わない。
悪いけどダメなの。だからもう帰ってもいいでしょ?」
が強情に拒否したものだから彼女は今度はカッとなった。
「そう、わかった!何もそこまで言うことないじゃない!!」
そう言って行ってしまった。




それから、またしばらくたった頃だった。
は忘れ物を取りに学校に戻った。教室の前まで来た時のことだ。
「……と、言うわけなのよ。さんって人を馬鹿にしてると思わない?」
ドアを開けようとしたの耳にそんな声が聞こえてきたのは。
「酷いでしょ?何様のつもりよ」
「そんなこと言われたの?」
「あの人ちょっと美人だからっていい気になってるんじゃない?」
「でしょ?だって普段から私たちとも距離おいてるもの。いくら他のことはよくてもあんなに可愛いげがなかったら欠陥人間よ」
はドアにかけた手を止めたまま動けなかった。
『欠陥人間』という言葉がの心臓にナイフのように突き刺さった。


「おい陰口なんてやめろよ」
たまた教室にいた男子生徒が口を出してきた。
「何よ。あんただって、あの人みたいな冷たそうな美人は苦手だっていってたじゃない」
「まあ……確かに近寄りがたいものはあるよな」
「何て言うか人間味がないのよね。だってあの人……」
ガラッとドアが開きその場にいた者は全員固まった。
はスタスタと自分の机まで来るとノートを取出しさっさと教室を後にした。


(……私はそんなに普通の人間とは違うのかしら)


ずっと白衣の人間だけに囲まれて育った。
あれほど憧れた学校にやっと入ったのに上手に人間関係を築くことができない。
今まで作った友達といえば軍人の隼人たち以外では海斗だけ。
隼人たちもほどではないが普通の一般人とは全然違う。
だからこそ、上手くやってこれたのだろう。海斗は例外中の例外。
それ以外の人間とは友達にすらなれない。普通の人間と上手くいかないのは自分が普通ではないからだ。
は溜息をつきながら、そう感じた。進級してクラスメイトが変わってもそれは変わらなかった。
一年生の頃よりはマシだったが、それでもクラスメイトたちと特別親しくなるということはなかった。
連続してやって来た転校生の一部にに対して熱烈なアプローチをする為に周囲の生徒が距離を置くようになったのも原因だが。
そんな、ある日のことだった。














それは偶然だった。音楽室からジョン・レノンのイマジンが流れてきたのは。
(……この曲)
覚えがあった。友人が好きな曲だ。
何より、そのピアノの旋律は、その友人のものに酷似していた。
引き寄せられるようにドアを開けた。ピアノの音色が夕日の差し込む部屋に溶け込んでいる。
(……やっぱり)
グランドピアノの前に座っていたのはの友人だった。
こちらに視線を向けてはいないが、には気付いている。はピアノのそばに来た。
そして久しぶりに聞くその曲に耳を傾ける。やがて曲が終わるとは懐かしそうに言った。


「初めて会った時も、あなたはこの曲を弾いていたわね」
「よく覚えている。秀明が女連れなんて珍しい光景だったからな」

『隼人、だ。オレの家族だ。だから、おまえには紹介しておく』

そう言って秀明は大切そうにを隼人に見せた。それからというもの隼人はにとてもよくしてくれた。
晃司や秀明には不可能な一般常識の指導をしてくれたのも隼人だった。
にとって最初の友人、それは隼人だ。


「この前もここに来ただろう。それなのに入室しようとして引き返したな。
何故だ?用があったから来たんだろう」
「入りづらかったのよだって……」
「告白のことか?」
「ごめんなさい。盗み聞きするつもりはなかったんだけど」
「気にするな」
この場合『可愛い人だったわね』とか『付き合うの?』などの言葉が普通はでるだろうが、は何も言わなかった。
隼人が断ったことは容易に想像できたからだ。
表向きは普通の学生である隼人の本職は軍人。暢気に女と付き合っている暇などない。




「返事はゆっくり考えてからでいいからと言われたんだが、すぐに断ったら泣かれた」
「泣いたの……?」

それが普通の女の子の反応なの?

「隼人には立場があるもの仕方ないわ」
「それもあるが、仮にオレが軍の人間でなくても断っていた」
「あんなに可愛い子なのに?男の人はあの子みたいなタイプが好きだと思ってた」
「確かにああいう守ってやりたくなるタイプがいいという奴も世の中多いが人それぞれだろ」
「そうだけど少なくても私みたいな可愛いげのない女よりはいいでしょう?」
「どうしてそんなことを考えるんだ?何かあったのか?オレでよかったら話してみろ」


は話した。こんなことは残念ながら隼人にしか話せない。他にはいないのだ。
海斗は気心知れた親友だがの素性を知らない。
晃司や秀明はがもっとも頼りにしている相手だが、このような問題に関しては論外。
徹に言えば「君にはオレがいるからいいじゃないか」で終わりだ。
隼人は黙って話を聞いてくれた。


「私にはやっぱり普通の生活は無理なのかもしれないわ」
、誰だって最初はそうだ。家族以外の人間と初めから親しくなるわけじゃない。
幼稚園、小学校と通っていくうちに他人と接することを覚えていくんだ。
おまえは他の人間が10年前に始めたことを、その歳になってやっと経験したんだ。
増して民間人相手に上手くコミュニケーションがとれるわけがない。気にするな」
「ありがとう」
「それに……」
「それに何?」
「オレはおまえが可愛いげのない女とは思わない。さっきも言った通り人それぞれだ。
少なくてもオレは守ってやりたくなるタイプには興味はない。オレの好みは一緒に戦うことができる女だからな」
隼人は「オレたちみたいな男は大半がそうだ。だから、皆おまえのことを大切にするんだ」と、付け加えることも忘れなかった。

「それより、今度の日曜日あいているか?」
「特に予定はないけど」
「だったら付き合ってくれないか?一緒に行ってほしい所があるんだ」














「一緒に行ってほしい所って、ここなの?」
「ああ、そうだ」

は少々驚いた。何故なら、この場所は墓地。それも隼人が手を合わせている墓は無縁仏なのだ。
一体誰の墓なのか見当もつかないが、隼人にとっては大事な人に違いないだろう。
そう思ったは隼人の隣に立つと静かに目を閉じ両手を合わせた。


「あなたとはどういう関係の方なの?」
「……美也子が生前世話になった人だ」
「お姉さんが?」
は知っていた。隼人が自らの手で姉を殺した過去を。そのせいか隼人の笑顔を見たことはほとんどない。
「美也子はこの人のことが好きだったんだ」
「お姉さんの恋人なの?」
「……いや、この人には他に愛している人がいた。もっとも、その女には」
隼人は少し躊躇ったが静かに言った。
「その女には……親が決めた婚約者がいたんだ」
世の中上手くいかないものだな、と隼人は苦笑した。


「いい人だったのね……」
「何故そう思う?」
「あなたを見ていればわかるわ。あなたが大事に思っている人だもの」
「ああ、そうだな。いい人だった。強くて誇り高い人だった。ただ……何かが間違っていただけなんだ」

最後の言葉はには意味がわからなかった。
おそらく隼人にしかわからないことなんだろう。

「私なんかが一緒でよかったの」
隼人にとって大切な人。そしてには伺い知れないような事情がある人。
そんな人の墓に無関係な自分が来ていいのだろうか?は不安げに隼人に言った。
「いいんだ。……おまえにはどうしても来て欲しかった」
「……それ、どういうこと?」
「……本当はこの人が愛した女に来て欲しかったが、そういうわけにはいかない。
でも、この人は彼女のことを本気で愛していたんだ」




『おまえたちに何がわかるっ?!』




「オレが知っている限り誰よりも深く愛していた」
「……隼人?」
「……誰よりも、な。でも、どうしてもとどかない女だった」




『オレはどうしても欲しかった。……たとえどんな手段を使ってでも』




「たとえ……」

たとえ、それがどんなに醜く歪んだ形だったとしても……。

「オレはこの人に誓ったんだ。もしも彼女に何かあった時は彼の分まで守ってやろうと。
にはその証人になってほしくて来てもらった」
証人?どうして私なの?隼人と親しくしている人間は他にもいるのに。
自分に心を許しているからという考えもないわけではなかったが、何か他に理由があるようにも思えた。
気にならないと言えば嘘になるがは聞こうとは思わなかった。
もしもが知るべきことならば、隼人はに質問されなくても言ってくれただろう。
しかし何も言わないということは聞いてほしくないのだ。
そして隼人は言いたくないことは、どんなに迫っても口を割らない性格だということをは知っていた。


「……もう帰ろうか」
「……ええ」
隼人は、もう一度墓を振り返り、何か呟いたような気がしたがには聞えなかった。
「ねえ隼人」
「なんだ?」
「あなたが守ろうとしている女性は海軍の方?」
「ああ、そうだ」
この日、隼人は嘘をついた。
一つ目は彼女の婚約者は『親』が決めたこと。
二つ目は、彼女は『海軍』の人間だということ。


『また来年の命日に来ます。……彼女も一緒に』


隼人は、そう呟いた。

『氷室――ありがとう』
「!」


「どうしたの隼人?」
「……いや、なんでもない」

一瞬、あの人の声が聞えたような気がした――。

「付き合ってくれたお礼だ。何かご馳走する」
「ありがとう」

……彼女は何があってもオレが守るから安心してください。


――命に代えても必ず守ってみせる。




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