かつて自分のことをそう言った男がいた。
あれから一年以上たつが何も変わっていないだろう。
むしろ、拍車をかけているだけに違いない――。
Solitary Island―Fate(晶編)―
「よし……あとは、この書類に捺印しろ」
「ええ」
美恵は某基地の科学省出張所に来ていた。
民間人の社会で普通の生活を送るのにも手続きがいる。
三ヶ月に一度はその面倒な作業をしなければいけなかった。
その帰りだった。駐車場を歩いていると学校では挨拶以外滅多には話さない晶に会ったのは。
大勢の少年たちに囲まれて何か話をしている。
晶の弟の輪也も晶の隣にいる。一目で晶の手下連中だとわかった。
「あれ?周藤さん、あのひと」
少年の一人が美恵を指差してきた。
「なんだ美恵か」
美恵はそばに来ると軽く会釈をした。
「こんにちわ大尉」
「よせよ。しおらしいマネは」
「一応、軍の中では士官に礼儀を尽くさないと。あなた、そういうことは人一倍うるさそうだし」
「オレはこいつらの様子を見に寄っただけだ。士官としてじゃない」
晶は鬼龍院に引き取られ戦闘のイロハを教わった。
鬼龍院は他にも大勢の孤児を孤児院から引き取っている。
必然的に鬼龍院の秘蔵っ子である晶はリーダー的存在になったわけだ。
民間人の真似事をする為にしばらくはなれていても、時々は様子見に帰っている。
冷酷で厳しいこの男をそれでも彼らが慕っているのは、晶がなんだかんだ言って部下の面倒見がいいからだろう。
そこに一台の高級車が走ってきた。暴走に近い運転で。
「美恵、こっちに来い」
晶が美恵の腕を掴んで引っ張った。その横をすり抜けるように車が走る。
バシャっ!と泥が跳ね上がって、こともあろうに美恵の服を台無しにした。
晶もお気に入りのジーンズに何箇所か泥がついた。
それを見た晶の部下達は一斉に車に向かって怒鳴りだす。
「周藤さんになんてことするんだバカ野郎!!」
「出てきて謝れっ!!」
聞えたのだろう。車は停車してバックで戻ってきた。男3人、女が1人乗っていた。
「僕達に何か用かい?」
「用かいじゃねーだろ!!てめえら周藤さんになんてことしやがるんだ!!」
すると助手席に座っていた男が降りてきた。どうやら、この男がリーダー格らしい。
「失礼。ほら、これで文句はないだろう?」
財布からお札を数枚取り出して、その場に放り投げた。
途端に輪也がカッとなって「ふざけるなっ!」と飛び掛る。
もっとも、飛び掛る前に晶が輪也の肩を掴んで「相手にするな」と止めたのだが。
「僕達は先日大学を卒業して士官養成短期コースを無事終了したんだ。
これがどういうことだかわかるかい?つまり、僕達ははれて少尉になったんだよ。
君たちも軍にかかわっているのなら、それがどういうことかわかるだろう?
見たところ、君たちは孤児院上がりの歩兵見習いってところ……か。
歩兵が士官相手にケンカ売ろうなんて、そんなバカなこと許されるはずがない」
「あなたたち、断っておくけど晶は歩兵なんかじゃないわ。今すぐ、謝っておいたほうが身のためよ」
美恵は忠告した。晶を怒らせたらどうなるか……考えただけでぞっとする。
しかし、忠告も無視して「見たところ、君はこの歩兵の女なのか?」だ。
せっかくひとが忠告してあげたのに。もう庇う気にもなれない。
しかも車に乗っていた他の連中も出てきた。
「あーあ、彼女の服泥まみれじゃん。かわいそうに、新しい服買ってやるよ。
ほら、車に乗れよ。オレたちがいい服選んでやるからさ」
軽そうな男が美恵の腕を掴んで車に中に引きずり込もうとした。
「おい。オレの連れだ。勝手なマネするな」
晶が美恵の腕を掴んでいたその男の手を掴み握りあげた。
「……痛っ!」
「何てことするのよ!歩兵が士官相手に!第一、こんな小娘相手に本気になるはずないじゃない。
そのくらいのことわからないなんて、どうかしてるわ!!」
連中の中で唯一の女がギャーギャーとヒステリックに叫んだ。
「は、離せっ!!」
晶がやっと手を離した。その男の手首にはアザが残っている。
「……士官相手によくも舐めたマネを。覚えてろ!!」
連中はさっさと車に乗り込むとあっと言う間に消えてしまった。
「なんだったんだ、あの連中は」
「周藤さんにあんな口きくなんてバカじゃないのか?」
特別選抜兵士である周藤晶の顔と名前を知らないのだからバカ呼ばわりされても無理はない。
「あいつら言っていただろう大学出で士官養成コース出身者だと。
士官学校出身者と違って民間人から進路を変えて軍にきた連中だ。軍のことをよく知らないんだろう」
それから晶は美恵を見た。
「随分な目に合わされたな」
「……本当。このスカート気に入っていたのに」
「おまえ、明後日の晩空いているか?」
唐突に、そんな話が出た。
「予定はないけど、どうして?」
「軍主催の社交パーティーがあるから、おまえも来い。
ああいう場所はパートナーがいないと上官から女士官をダンスに誘えとうるさく言われるんだ」
つまり晶のパートナーとして出席しろと?
以前、晶の頼みをきいて、そのせいでテロリストの冬樹に付きまとわれる羽目になった美恵は正直乗り気じゃなかった。
「いいから来い。面白いものが見られるぞ」
「面白いもの?」
「ああ、面白いものだ」
「……やっぱり来なければ良かった」
このドレス……(晶が用意してくれたものだ)真っ赤で目立つ。
おまけにちょっと胸元開きすぎてない?
(なぜなら晶が女同伴ということをきいた鬼龍院が張り切って選んだものだから)
それにしても晶が士官という立場上、軍のパーティーに出席することは多いけど面白いことってなんだろう?
盛装用の軍服に身を纏った晶が「なに仏頂面しているんだ」と手を差し出してきた。
「陸軍の将官が若い軍人を対象に開いたパーティーなんだ笑え」
本当に尊大な人。徹や薫ならひたすら優しい態度で接してくれるのに。
(でも、そういうひとだから、私は今こうして元気でいられる。厳しいひとでなかったら、きっと私はあの時死んでいたわ)
美恵は昔晶に命を助けられた為、晶の頼みはあまり無下には断れない。
だから冬樹の時も晶に協力して、その挙句冬樹に付きまとわれることになったのだ。
会場に到着した美恵は、ある人物をみてギョッとなった。
「晶、あのひとたち」
「ああ、先日のバカたちのようだな」
晶は全く驚いていない。きっとわかっていたんだろう。あの連中が今日のパーティーに出席することを。
パーティーが始まってしばらくすると、あの連中がこちらに気づいた。
「あいつ、あの時の歩兵じゃないのか?なんで士官でもないあいつがこんな場所にいるんだ、目障りだ」
晶が出席していることに不審に思った連中は主催者の陸軍少将に質問した。
「閣下、あそこにいる男はどうしてこのような場所にいるんですか?」
「ああ周藤のことか。あいつは将来有望な奴でな。私の護衛をして命を守ってもらったことがある。
だから招待したんだが、こういう場所はあまり好きではないらしいが」
その答を聞いて連中はまたしても勘違いをした。
「少将閣下をお守りしたお礼に特例で呼ばれたらしいな」
「まあ、そうだったの。でも、いくら閣下に借りがあるからってやっぱり嫌だわ」
「いくら将来有望といっても歩兵は下士官止まりが関の山じゃないか」
「そうね。歩兵なんて、こんなパーティーとは一生縁がないからマナーも知らないでしょう。ちょっとからかってくるわ。ふふ」
女が晶のそばまで来てスッと右手を差し出してきた。
「先日はどうも。あの時のことは水に流して今夜は踊ってくださらない?
それとも士官でもないあなたには無粋なダンスすら出来ないかしら?」
「…………」
(何言ってるのこのひと?本当に晶を怒らせたらどうなるか……)
晶は笑みを浮かべると「無粋なダンスでよろしければ」と、女の手を取った。
(笑っているけど、きっと心の中は反対よ)
心配する美恵を余所に晶は女と行ってしまった。
「おい理沙のやつ、あの歩兵と踊るみたいだぞ」
「まったく意地の悪い奴だな。歩兵にワルツが踊れるものか」
しかし音楽が始まると、ほくそ笑んでいた連中は笑いを止めた。
(何よ、こいつ上手いじゃない。どうして歩兵風情が?)
大恥かかせてやろうと思っていた女はあてが外れた。
しかも、自分のほうが晶の動きについていくのがやっとなのだから。
「顔色が悪いな」
晶が意地悪そうに笑った。
「驚いただけよ。あなた、ダンス教室にでも通っているの?
さっきの彼女もそうなのかしら?とても、そんなマネできそうに見えなかったけど。
あなたも彼女も単なる場違いだもの。特に私から見たら、あの程度の女はね」
「こういう場所にくることは多いから出来て当然なだけだ。もっとも相手がグズだと踊りづらいが」
「何ですって!?」
女はカッとなって思わず手を挙げた。
しかし、晶に平手をかます前に晶が女の足を引っ掛けたので女は見事に転倒してしまった。
「きゃぁ!な、何するのよ!!」
「悪かったな。足が長いから下手なやつが相手だといつもこうなるんだ。
それにオレは生憎相手のレベルに落として踊るような器用なマネもできないしな」
「な……なんてことを、私は士官よ!先週、任官したばかりとはいえ少尉なのよ!!」
「それは失礼少尉殿」
晶は美恵の元に戻る。美恵がワインを差し出してきた。
「あなたが言ってた面白いことってコレなの?」
「まさか。この後、新少尉たちは、それぞれ配属先の上官に個室で挨拶することになっている」
「……まさか!」
「こんな屈辱初めてよ。大勢の人の前で恥かかせて!
見てらっしゃい、大尉に訴えて、あの生意気な男を地方に飛ばしてやるわ!!」
「そう怒るなよ理沙。それより初対面は第一印象が肝心だぞ。
大尉に気に入られるようにしないと。これからお世話になるんだからな」
4人は部屋の前で念入りに服装チェックしていた。
「入っていいぞ」
4人は緊張して部屋に入った。部屋の中央に大尉らしき人物が椅子に偉そうに座っている。
軍帽で顔は見えないが、おじさんを想像していた4人は「若そうだな」と思った。
「さあ、こちらにきて大尉にご挨拶を」
「は、はい!」
4人は前に進み出て「初めまして大尉。お会いできて光栄です」と敬礼した。
「そうか。おまえたちの口からオレに会えて光栄だなんてきけることは思わなかったな」
……?どこかで聞いたような声だな、と4人は思った。
「おまえたちは軍の階級についてどう考えている?」
「はい、軍はもっとも階級の序列を重んじる組織だと認識しております」
「そうか。例えば上官相手に下の者が無礼な態度をとることは許されるか?」
「とんでもありません!そのような無礼な輩は厳罰に処するべきです!」
「そうか。例えば、おまえだったらどうする?」
「はい。自分なら、そのような者は僻地に配属して一から鍛えなおします」
「自分はそれでも生ぬるいと思います。激戦地の最前線に送るべきかと」
「そうか、参考意見として受け取っておこう」
そう言って、大尉が軍帽をとった途端、4人はギクっとなった。
「な、なんでおまえがここにいるんだ!?」
自分達がつい数時間前まで歩兵呼ばわりしていた男がそこにいた。
「歩兵の分際で、どうしてこんなマネを!!」
すると、男の周囲にいた士官たちが慌てて怒鳴った。
「き、貴様ら周藤大尉に向かってなんて口をきくんだ!!」
「え?……た、大尉?この男が?」
「そうだ。いくら軍に入って間もないものでも知っているだろう。第一級特別選抜兵士の制度くらいは。
大尉は特撰兵士に選ばれた為に、この年齢としては破格の大尉の位を受けておられる。
おまえたちの上官になられるお方だぞ。無礼だろう!!」
4人は真っ青になった。そして思い出した。
先ほど自分達はなんて言った?
『僻地に配属』『激戦地の最前線』
そして周藤はこういったのだ。『参考意見』――と。
「そのくらいでいいだろう中尉」
「は、しかし大尉」
「任官したばかりとは士官ならば自分達の言動には責任もつ覚悟くらいあるだろう」
晶は口の端を少し持ち上げると、「おまえたちの配属先は希望にかなうようにしてやろう」と言った。
4人は奈落というものがどんなものか経験したかのように足元が崩れるような感覚を味わった。
「た、大尉!!」
このままでは将来真っ暗だ。すがりつくように叫んでいた。
「大尉、今までの非礼どうかお許しを!!」
「お願いです大尉!!お願いですから……!!」
晶は冷たい目でチラッと彼らを振り向いた。
「二度と相手を自分の常識で判断しないことだな」
「はい!二度と……二度とあんなマネは致しません!!」
「今回だけは見逃してやる。言っておくが二度目はないぞ。せいぜい、肝に命じておけ。わかったな」
「はい、心得ています……!」
4人はひたすら頭をさげ泣きそうな顔をしている。
晶はドア一枚を隔てた隣室に行ってしまった。4人はまだ泣きそうになっていた。
「……面白いことってこれなの?」
美恵が少し呆れたような顔でドアのそばに立っていた。
晶と4人のやりとりは筒抜けだったようだ。
「あなたらしくないわね。あなたからみたら士官養成コース出身の新人士官なんて青二才じゃない。
そんな相手に意地悪するなんて……あなたは、あの程度の人間には興味ないと思っていた」
「興味はないが腹がたった」
「だから、あなたがあんな連中の言ったことをまともに受け取るなんて」
「断っておくが腹が立ったのはオレに対する態度じゃない」
美恵は晶のことは時々理解できなかった。
晶に対してとった態度ではないのなら、一体何に腹を立てたのか?
晶は軍服を脱ぎソファにかけるとCDプレイヤーを再生した。
Would you know my name……
プレイヤーから静かなメロディが流れてくる。
「この曲……あの時の」
『Cause I know I just can’t stay here in heaven』
直訳すると――なぜなら、オレは天国にはふさわしくない人間だからだ――。
晶は窓際の壁に背を預け、この曲を聴いていた。
「本当に、この曲が好きなのね晶は」
「親父が好きだった曲だからな」
「お父さん……?だって、あの時、あなたは大佐が聞かせてくれた曲だって……」
「あの時は、おまえにそこまで言うつもりはなかっただけだ。
だが嘘をついたわけじゃない。オヤジに引き取られてこの曲を聴かされたのは事実だ。
初めて聞いた時すぐに『親父の好きな曲だ』とわかった。
親父は曲名は特に何も言わなかったから、だれの曲かもわからなかったんだ。
何年も聞くこともなかったから、そのうちメロディも忘れるだろうと思っていたとき聴いたんだ」
「晶はお父さんのことよく覚えているの?」
「ああ。月に数えるくらいしか帰ってこなかった親だったが、帰ってくると、よくオレや輪也にギターでこの曲を聞かせてくれた」
「……そう」
お父さん……か。羨ましいな……。
私のお父さんは私が生まれるずっと前に死んだ人間だもの。
「お父さんとはもう会ってないの?」
「とっくに死んだ。オレが殺したんだ」
「……え?」
「だから言っただろう。『I know I just can’t stay here in heaven』だと」
美恵はそれ以上は何も言わなかった。
ただ、今の晶なら何も隠さずに本心で言ってくれる気がしたから、ずっと聞きたかったことを質問した。
「晶、一つだけ聞いてもいい?」
「なんだ?」
「晶は、いつから私と晃司の関係知っていたの?」
「おまえが今の学校に転入する直前に晃司が帰ってきたときだ」
「嘘よ。あなた、言ったじゃない。『晃司はダメだ』って」
「ああ、そのことか……別に確信していたわけじゃない。隼人と秀明の様子からなんとなく……な」
「……そう」
「それともう一つ理由はある」
「何?」
「あいつは女を幸せに出来ない男だからだ。オレと同じように」
晶はプレイヤーを止めるとCDを取り出し美恵に渡した。
「おまえにやる。帰ってから、ゆっくり聞いてみろ。そうしたら、オレの言った意味がわかるはずだ」
エリック・クラプトンの名曲「ティアーズ・イン・ヘヴン」
静かなメロディとは裏腹に悲しい恋の歌。
『もしも出会ったのが天国だったなら、二人の関係は変わっていただろうか?』
そんな切ない歌詞だった。
つまり、この世では絶対に普通の恋人にはなれないという、そんな曲。
「兄貴、兄貴」
「…………ん、なんだ?」
「なんだ、聞いてなかったのかよ」
「ああ……そうだな」
「珍しいな。兄貴がぼーとするなんて。
なあ、なんであいつら網走に送ってやらなかったんだよ」
「輪也、おまえも将来上にたつ人間になりたかったら、あの程度のことで目くじらたてるな」
「だって!」
「わかったな?」
「……ああ、わかったよ。兄貴がそういうなら」
輪也はまだ納得できないようだった。
「兄貴、なにか音楽かけてもいいか?」
「好きにしろ」
輪也はCDを数枚とって「兄貴、兄貴のお気に入りのエリック・クラプトンがないぞ」と言った。
「ああ、ひとにくれてやった」
「兄貴が?珍しいな、兄貴が自分の気に入ったものをやるなんて。
よっぽど、兄貴に気に入られている人間なんだろうな。
でも兄貴、あのCD気に入っていたじゃないか、なんでやったんだよ?」
「……さあな、多分オレは」
Would you hold my hand
――オレの手を握ってくれただろうか?
If I saw you in heaven
――もし出会ったのが天国だったなら
Would you help me stand
――オレが立ち直るのを支えてくれただろうか?
If I saw you in heaven
――もし出会ったのが天国だったなら
I’ll find my way
――オレは自分の道を見つけなければいけない
Cause I know I just can’t stay
――なぜなら、ここにはいられないから
Here in heaven
――この天国には
「多分オレは、この世では絶対に本音を吐くことは許されない人間だからだろうな」
――たとえ相手が誰だろうと絶対に。
――プログラム開始一ヶ月前の出来事だった。
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