「海外任務ご苦労様です」
二ヶ月にわたって海外のテロリストを相手に戦っていた直人がやっと帰国を許された。
帰国したと同時に「国防省で告別式がある。おまえも出席しろ」と養父に告げられた。
「告別式、誰の?」
「水島克巳だ」
直人は少々驚いた。
「まだ死ぬような年齢じゃないだろう。事故死なのか?」
「殺害されたんだ。殺害犯は今だ不明だがな」
「殺害?」
「だが直人。これはおまえにとってはいい機会だ」
滅多に感情を表さない養父が口元を歪ませた。
「これでおまえの将来の邪魔者が1人消えたんだ。殺してくれた人間に感謝したいくらいだろう」
「……オレは実力主義だ。誰かに油揚げをただでもらうようなことはゴメンだ」
「可愛げの無い奴だな。まあいい、そういう男に私が育てたのだからな。
とにかく、おまえはこのチャンスを大いに生かせ。わかったな」
「了解」
Solitary Island―Fate(直人編)―
それは直人が特撰兵士に選ばれる一ヶ月ほど前のことだった。
『父』である菊地春臣の後について直人は久しぶりに国防省本部の廊下を歩いていた。
西日本諜報部に大きな力を持つ『父』に国防省の幹部達は皆道を譲り頭を下げる。
代々、国防省の要職を務めていた菊地家に養子に入った直人は常に羨望と妬みの的だった。
『上手い事やったよな』
『どうやって局長に取り入ったんだか』
『これで菊地の名と財産はあの孤児あがりのものになるのか。羨ましいこった』
そんな陰口は何度耳にしたことか。
『父』が歩みを止めた。なんだ?そう思って前を見た。そして理解した。
前方から『父』が嫌っている女が息子を連れて歩いてきたのだ。そして父の前で止まった。
「道をあけて下さるかしら?」
「……そっちがよければいいだろう。私は急いでいるんだ」
直人は溜息をつきたくなった。だから本部に来るのは嫌だったんだ。
「今日は息子がまた手柄を立てて長官直々にお褒めの言葉を頂いたのよ。
そんな特別な日につまらない争いごとはゴメンだわ。息子に敬意を示して、あなたがおれればそれで済む事」
「母様、いいんだよオレは。たまには道くらい譲ってやっても」
「まあ、あなたは何て優しいイイコなの。どこかの可愛げのない子に爪の垢でも飲ませてやりたいわ」
『父』の眉がピクッと動いた。
「相変わらずご自慢のご子息のようで。うちの直人はまだまだ及ばないらしい。
もっとも、いくら優秀でも女で揉め事ばかり起すような有害な人間など私は必要としない。
うちの直人はどこかのバカ息子と違って厳格に育てたからな」
「お、女で揉め事ばかり起すですって……!?」
途端に女の顔が一変した。
「まさか、うちの息子がそのバカ息子だというつもり!?」
「これはこれは。自覚があるとは知らなかったな。私は、そちらのご子息とは一言も言ってないというのに」
「息子に相手の女達が一方的に言い寄ってくるだけの話よ!
私の悪口は許せても息子に対する侮辱は絶対に許せないわ!!
今すぐ取り消しなさい、取り消さなかったらどうなるかっ!!」
「母様、そう怒らないで。局長はねたましいんですよ。所詮、局長のご子息は心底信用できない『養子』ですから」
直人は女も嫌いだったが、その息子はもっと嫌いだった。
「いつ自分を捨てて裏切るともわからない。血の繋がりがないということは孤独だからねえ。
人間孤独だと他人を貶めてでも優位に立とうとする。オレは憐れとこそ思え、局長を憎いとは思いませんよ」
男は直人を見て「くくっ」と笑っていた。いつも最後に一番嫌な思いをするのは直人なのだ。
女は「おまえは何て優しい子なの」とうっとりしていた。
「あのバカ親子めっ!!」
部屋に戻るや否や父はスーツをソファにたたきつけた。
「いいか直人!あのバカ息子にだけは負けるなっ!!
三十年後、長官の椅子をかけておまえと争うことになる最大のライバルはおそらくあのバカ息子だ」
「オレが……長官?」
「そうだ。菊地の名を背負う男なら必ず国防省長官になれ!
これは命令だ。拒否も逃げ出す事も断じて許さん、いいな!!」
「…………」
いつもこうだ。自分に拒否権は無い。
まるで、この父のロボットのように常に命令に従うだけ。
「残念だが、おまえが私の実の息子でないことは実際にマイナス点だ。
菊地の血を引いてないおまえが名門の跡継ぎになったことを快く思っていない連中も大勢いる。
だが直人。これは私の勘だが、あのバカ息子はいずれ自滅する」
「自滅?」
「おまえも知っているだろう。あのバカ息子が叩かなくてもホコリだらけなのは。
あの女がもみ消してはいるが何度も事件を犯している。
あの女は『息子は悪い仲間に無理やり巻き込まれた』とわめいているらしい。
私から見れば滑稽すぎて笑いもでない。巻き込まれているどころか主犯はあのバカ息子だ。
私はいずれあのバカ息子が女で自分の首を絞めることになると予想している。
いつか、とんでもない事件を起こす。そう睨んでいるんだ。
もしそうなったらそれは直人、おまえにとっては喜ばしい事だ」
「なぜだ?」
「なぜだと?そんなこともわからないのか?そうなればおまえは労せずライバルを失うことになる。
せいぜい、あのバカ息子が事件を起こして自滅する事をおまえも祈れ」
「……疲れたな」
直人は黒いネクタイを緩めた。
水島家と犬猿の仲である菊地家だが、同じ国防省に勤務している以上葬式に行かないわけにはいかない。
だが視線がキツイ。精神的にあんな嫌なものは無い。
「1年前親父がいっていた通りになったな……」
女が関係しているかどうかは別にしてあいつは死んだ。
これはオレにとっては喜ばしいということか?
(そういえば美恵は元気だろうか?)
俊彦や攻介よりも先に、出会ったばかりの女の事が気になるなんて。
直人は苦笑した。父が知ったら即平手が飛んでくるだろう。
(とにかく帰ってきたんだ。俊彦たちに電話くらいしておくか)
ところが連絡をとって驚いた。大怪我して入院しているというではないか。
そこで直人は何とか暇な時間を見つけて見舞いに行った。
「おまえたちが入院なんて一体何をしたんだ?」
「……事故」
二人はなんだか気まずそうにそう言った。
「事故?なんの事故だ?とても交通事故とは思えないな」
「悪い直人……詳しい事はいえないんだ」
「そうか」
こういう時、直人は追及したりしない。それが俊彦や攻介にはありがたかった。
「元気そうで安心した。オレはこれで失礼する」
「なんだよ。もっといろよ。向こうの話でも聞かせてくれ」
「もう一つよりたいところがあるんだ」
「どこだよ?」
『美恵のマンションだ』と言いかけて直人は口をつぐんだ。らしくないと思ったのだろう。
実は海外にいたときに、たった一度だけ休日があった。
ぶらりと街に出て歩いていたときにとある店の前に来た。
ウインドウにアクセサリーがいくつも飾られている。
直人くらいの年頃の少年にはとてもじゃないが手が出せない値段。
もっとも直人は特撰兵士として高給取りなので、そう高いとも思わなかったが。
ただ手軽に手に入るが、興味がなかっただけだ。
でも、その時は違った。美恵に似合うな……と、自分らしくないことを考えてしまったのだ。
そして衝動的に買ってしまった。
『あいつには借りがある。だからお土産くらいはいいだろう』と思ったのだ。
父に見つかれば没収の上に平手うちだが、幸いにも見つからなかった。
ピンポーン……出ない。出掛けているのか?
時計を見た、午後七時。外は暗い。まさか1人で出歩いているのか?
「……!」
その時、とんでもないものを見つけた。
美恵の隣の部屋の表札……『佐伯徹』と掲げられている。
(……まさか)
その部屋の前に来て呼び出しベルを押した。
「はい」
ドアが開いた。ビンゴ。
「直人、久しぶりね」
「……久しぶりだな」
すると奥から徹が出てきた。
「なんだ直人珍しいね君がオレを訪ねてくるなんて。何の用だい?」
本当はおまえを訪ねてきたんじゃないんだがな……。
「どうして美恵がここにいるんだ?」
「オレが事故で大怪我したんだ。今は自宅療養だけどね。
それで彼女はオレの看護。納得したかい?」
一応つじつまは合っているが、そもそも美恵のマンションの隣に徹が住んでいるのも何かひっかかる。
ひっかかったが考えても仕方ないし、考えるまでもなく何があったのかわかってしまったので考えるのをやめた。
「でも嬉しいわ直人に会えて。海外で危険な任務にあたっていると聞いたから心配してたのよ」
「いつものことだ。特に危険とは思わない」
直人は美恵のマンションで他愛のない雑談をしていた。
もっとも徹も一緒で、なぜか『さっさと帰れ』と目で要求しているが。
「俊彦たちにはもう会ったの?」
「ああ、あいつら一体何があったんだ?
何かあったといえば最近は物騒だな。今日もある人間の告別式に行って来たんだ」
「告別式?」
「ああ、まだ16歳の若さで死亡だ。殺されたらしいテロリストに。
美恵は知らないだろうが徹は顔見知りだろう。水島克巳だ」
その瞬間、紅茶をカップに注いでいた美恵の表情が凍りついた。
「……水島?」
カタカタと震えている。
「美恵?」
紅茶がカップからあふれ出している。美恵はガクガクとただ震え、そして青ざめていた。
「どうした美恵?」
その時、1年前父が言った言葉が頭に浮んだ。
『私はいずれあのバカ息子が女で自分の首を絞めることになると予想している。
いつか、とんでもない事件を起こす。そう睨んでいるんだ』
女で……とんでもない事件?
「美恵……おまえ、もしかして、あいつを知っていたのか?」
美恵が震えながら顔を上げた。
「……何があった?」
直人が美恵の肩に手をおいた。
「……直人」
「あいつがおまえに何かしたのか?一体何があった?」
「いい加減にしろ直人!!」
途端に徹が直人の胸倉を掴み、さらに突き飛ばした。
「美恵……っ」
そして美恵を抱きしめた。直人を憎憎しげに睨む。
「……出て行け。二度と美恵の前であいつの名前を口にするな」
「……どういうことだ。理由を言え、わけも言わずに承諾できない」
「うるさい、殺されたいのか!?でないとオレは本気で貴様を殺すぞっ!!」
いつもは貴公子然としている徹が本気で殺意むき出しにして怒っている。
こんな徹を直人は初めて見た。
「出て行けっ!!でないと……」
「やめて徹……っ!!」
美恵が必死になって小さな声で叫んでいた。
「……直人に当たらないで……お願い、お願だから……」
「……美恵」
徹は美恵を強く抱きしめて今度は口調を抑えて言った。
「直人……頼むから帰ってくれ」
搾り出すように言ったその言葉に直人は従うしかなかった。
何があったんだ?
帰り道、直人はずっと考えていた。
(美恵は科学省の人間、水島は国防省の人間だ。直接かかわりがあるわけがない。あるとすれば……)
直人は立ち止まって考えた。嫌な結論が頭を過ぎる。
あの男の噂は色々と聞いている。
徹や薫のように華やかにもてる男で、つまり異性関係においてろくな噂がない。
しかし美恵がああいう男と何かあったとは考えにくい。
一緒にいた時間こそ短かったが、あんな男になびく女じゃない事は直人にはわかっていた。
だが……向こうが一方的に何か仕掛けてきたら……。
(美恵の怯え方は普通じゃなかった……)
『いつか、とんでもない事件を起こす』
確信のように言い放った父の言葉をこれほど恨めしく思ったことは無い。
あんな風に怯える女を見たことがない。
あんな風に激怒する徹を見たことが無い。
それほどの何かがあった。そして間違いなく、あの男はそれに関係している。
その上、あの男は死んだ。殺されたのだ。
殺した人間は今だ不明――。
『もしそうなったらそれは直人、おまえにとっては喜ばしい事だ』
これがチャンスなのか?オレにとって……。
親父、オレにとっては事件は起きてくれたほうがいい、あんたはそう常々言っていた。
美恵があんな風になってもか?
それでもオレにとっては喜ばしい事だといえるのか?
親父……あんたの期待には添えないがオレは素直に喜べない。
むしろ吐き気がするくらいだ――。
――あれからいくつも季節が過ぎ、そして現在。
校庭では生徒達がわいわいと賑わいを見せている。
どうも学校というやつはあまり好きになれないな。
直人は裏庭の芝生の上に寝転がっていた。滅多にひとのこない特等席だ。
ふと見ると、女生徒がこちらにやってくる。
普通なら別段気にしなかった。その女生徒が美恵ではなかったら。
「こんなところでお昼寝?」
「ああ、オレは静かなほうが性にあう」
「そうね」
学校では赤の他人を装っている二人。
挨拶以外の会話を交わすのは直人が転校してきて以来だった。
「おまえが元気そうで俊彦や攻介は安心していたぞ」
「ありがとう」
本当は俊彦や攻介は関係なく、『おまえが元気そうで安心した』と言いたかった。
「美恵」
直人は上半身を起した。
「まだ、あの時のことを引きずっているのか?」
美恵は言葉を失った。ギュッと口を噛み締めている。それでも、あの時のように異常なほど怯えてはいない。
時間というものはありがたいな。直人はそう思った。
「美恵、前を向け」
「!」
「事情は知らないが、おまえは強いはずだ。こんなところでダメになる女じゃない」
「…………」
「今、前を向かないと、これからもずっと過去に囚われたままだ」
「……直人」
「以前、オレに似たようなことを言った奴がいた。
オレはその時そいつに『もしも、おまえが女なら惚れていたかもしれない』と言った」
「…………」
「覚えているか美恵?オレは一度も忘れた事はない」
「覚えているわ」
「そうか。ならいい」
直人は立ち上がると背を向けたまま言った。
「おまえはオレの性格を知っているだろう?」
「あなたはけじめをつけなければ気がすまない人間だったわね」
「ああ、そうだ。オレはおまえには大きな借りがある。
その借りはいつか返すつもりだ。それがオレにとってのけじめだからな。
だから、いつかおまえにオレが必要になったときは必ず借りを返す。
それだけは覚えておいて欲しい」
たとえ、それが親父の意思に逆らう事でも
それがオレのけじめだからな――。
菊地直人が三年に進級して間もない頃の出来事だった――。
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