「キャァァー!佐伯くぅーんっ!!」
「佐伯くん、こっち向いてっ!!」
「徹さま、愛してるー!!」

いつもの光景。そしていつものように徹は女生徒たちにニコニコと手を振って笑顔でサービス。
たかが体育の授業でのテニスの練習試合でよくもまあこれほど熱狂できるものだ。
徹は愛想こそ振りまいていたが心の中では全く正反対のことを考えていた。


「ゲームセットウォンバイ佐伯6―0」
それを合図にますます女生徒はキャーキャーとボリュームを上げる。
「佐伯くん、お疲れさま。はいタオル」
「あー!!ずるい、あたしも!!」
そして、これまた毎度のタオル攻撃。
「ありがとう。気持ちだけで十分だよ」
ニコッと笑ってやると、またしてもキャーキャーうるさい。
徹は「応援ありがとう」と女生徒たちに手を振って更衣室に入りドアを閉めた。


「……ウザいの通り越してまるでハエだな」

その途端に徹は本性を現すのだ。

「これだからメスは大嫌いなんだ」

徹は女にはなやかにモテるくせに実は大の女嫌い。
母親が軍の将官専門の高級娼婦で幼い頃から女の嫌な面を見てきたせいだろうか。
それとも、その母の死後ですら女の醜い面ばかりを見てきたせいか。
とにかく女というものに不快感と嫌悪感しか抱かなかったのだ。
映画などでよくある『おまえはオレが必ず守ってやる』というお決まりのヒーロー。
徹にとっては愚かな見本として思えないくらいだった。
少なくても自分は一生そんなバカなことはしない。
女の為に体をはる。ましてや命を賭けるなんて。
そんなことは一生どころか永遠にないだろう。佐伯徹はずっとそう思っていた――。




Solitary Island―Fate(徹編)―




「おはよう徹。朝から君に会うなんて今日はついてないなぁ」

開口一番。そんな嫌味から始まった。
学生であるはずの徹の本業は軍人。それも海軍の士官さんなのだ。
その上、この年齢で士官学校通り越して中尉をやれるのは彼が第一等特別選別兵士だからに他ならない。
その称号を得るために血の滲むような努力をしてきた。
しかし、その甲斐は大いにあった。
この軍事国家において未来の幹部への最短出世コースのスタート地点に立てたのだから。
間違いさえ犯さなければ将官、いや元帥だって夢じゃない。
そして佐伯徹の一番の目標はトップである総統になることだった。


だから余計な面倒は起こしたくなかった。
起したくないのだが……計算外のことが起きた。
それが、この顔も見たくない最悪な人間・立花薫の存在である。
薫は国防省の幹部候補生だ。国防省は軍務省の各部署に監察官を配置するのも仕事の一つ。
海軍の少年部も例外じゃない。
徹が在籍している海軍少年部の監察官によりにもよって徹の天敵・薫が派遣されたことは本当に最悪としか言いようがない。

「本当に今日の運勢は最悪だよ。もっとも一番最悪なのは薫、君の脳みそかな?」

薫の嫌味に徹はさらっと倍返し。
周囲の少年兵士たちはその様子をビクビクしながら見ていた。




「お、おい……また始まったぜ」
「これで何度目だ?立花さんが派遣されてから佐伯さんとやりあうのは」
「まったく国防省も何を考えているんだ?
あの二人が犬猿の仲だってことは上だって知らないわけがないだろう」
「だよなぁ……オレたちにまでとばっちりくるんだから考えて欲しいぜ、全く」
「なんだよ。おまえ知らないのか?国防省はわざと立花さんをここに配置したって話だぜ」
「どういうことだよ、それ?」


「国防省にいる伯父さんに聞いたんだけど、立花さんって女癖悪いだろ?
それで、二ヶ月前にある女を口説こうとしたんだってさ」
「まさかお偉いさんの令嬢で、その逆鱗に触れたとか?」
「もっと最悪。水島さんの取り巻きだったんだよ、その女」
「げー、なんだよソレ。知らなかったとはいえ立花さんもとんでもないことしたよな」
「そう思うだろ?水島さんがソレしって国防省じゃあ立花さんは網走送りにされるんじゃないかってもっぱらの噂だったらしい。
それがだ。網走じゃなくて、ここだよここ」


「なんで、ここに?」
「知らないのか?ほら水島さんって佐伯さんのこと嫌っていただろ?
あの人、佐伯さんが正式な軍人になる前は軍の中で一番モテてたからな。
だから佐伯さんのこと嫌ってるって話だ」
「……だから立花さんを佐伯さんの部署に送り込んでお互い潰させようって腹かよ?」
「ああ、あの人らしいな。やり方が陰険過ぎて……」
「でも、誰もあの人に文句言うひとなんていやしないよ。
何しろ、あの人の機嫌損ねたら国防省の特務機関を全部敵にまわすことになるからなぁ」
そんな周囲のヒソヒソ話に耳も傾けず、二人の会話は続いていた。




「……相変わらず品のない言い方をするんだね徹。
育ちの悪さが随所に滲み出ているよ。やっぱり生まれや育ちって隠せないものだよねえ」
薫は随分と含みのある言い方をした。
「所詮、娼婦の息子は娼婦の息子だよ。下劣な臭いは絶対に消せない」
「成金がホステスに産ませた人間に言われたくないな」
薫の眉がピクッと動いた。
「……なんだって徹?」
「成金がホステスに産ませた人間に言われる筋合いはないと言ったんだ。
それとも二度も言わなければわからないくらいもうろくしたのかい薫?」
薫の眉がますますピクピクと動き出した。
それを離れた場所から見ていた少年兵士たちはビクビクしている。




「おい……また始まるぞ」
「まいったよなぁ……あの二人の機嫌が悪くなると、またピリピリした空気が全体に……」
「おい!それどころじゃないぞ!!」
「どうした?」
「……少年部第一部隊の早朝演習がそろそろ終わる時間だろう?」
少年兵士たちは一気に凍りついた。
「……って、ことは!?」
「ああ……もうすぐここを通るぞ」
「だったらすぐに逃げよう……佐伯さんや立花さんの巻き添えくうのはゴメンだ」

あれほど集まっていた少年たちだが、あることに気付いた一部の連中はそそくさとその場から逃げ出した。
そして数分後、演習を終えた一団がやって来た。
先頭を歩いている男に回りの少年兵士達がタオルやらドリンクやらを渡している。




「本日もお疲れさまでした」
「後のスケジュールは?」
「10時に会議室で戦闘シミュレーション。昼食は司令官閣下と料亭にて。午後からは上陸の演習を……」
その廊下の先に徹と薫がいた。
二人の姿を見た途端、男の顔が一気に不機嫌なものへと変化する。
「……あのクズが。またやりあっているのか」
その言葉は薫ではなく、あきらかに徹に向かってはなたれたものだった。


「だいたい君の人格は下劣すぎるんだよ。反省したらどうだい徹!?」
「反省?どこの誰とは言わないけど女の尻ばかり追いかけている奴に言うんだね」
「なんだとぉ!!?それは僕のことだっていうのか徹!?」
「なんだわかっているじゃないか。オレは君だなんて一言も言ってないのに」


「貴様ら何を騒いでいる!!」


その声に口げんかに夢中になっていた徹と薫はしまったと思ったことだろう。
いや、正確に言えばしまったと思ったのは徹だけだ。
大勢の部下を引き連れているその男を見て徹は「またか」と思った。
これで薫が来てから三度目だ。今日はどの程度で済む?
この前は蹴りが三度に腹を二発殴られた。それから床に倒れた後、頭を踏みつけにされてさらにツバを吐かれた。


「軍の中でくだらない口論か佐伯。貴様一人のせいで海軍の株は大暴落だ」
貴様一人。これではまるで自分だけに非があるような言い方ではないか。当然のように徹は反論した。
「待ってください。先に口を出してきたのは薫で……」
途端に、男が徹の顔面目掛けて殴りつけてきた。
「貴様、上官のオレに逆らうのかっ!!」
徹は背中から壁に激突し沈みかけた。しかし男の怒りは収まらない。
さらに腹に向かって蹴りが連続して二発入ってきた。胃液を吐きそうなくらいの衝撃だ。


「廊下の真ん中でみっともないマネしやがって!貴様らのせいで軍の面子は丸つぶれだ、ふざけるなっ!!
その上、オレに口答えだと?ふざけやがってっ!!ケンカ両成敗だ、言い訳は一切無用、二人とも同罪だっ!!」

ケンカ両成敗。実に美しい言葉だが、周囲の反応はまるで違う。
なぜなら、徹が薫との私的な争いを咎められるのは三度目。
しかし、このような鉄拳制裁をくらうのは必ず徹だけなのだ。
その様子を薫は前髪をかき上げながら必死に笑いたいのを堪えてみていた。

(あー楽しい。最高だね。本当に本当に最高の気分だよ)

徹が床に倒れると男は徹の背中を踏みにじった。


「二人とも平等に罰を与える。部屋に戻って今日一日謹慎しろ、食事も抜きだ。
わかったな立花薫。返事は?」
「はいわかりました。深く反省します」
薫は殊勝な表情で頭を下げた。
「佐伯徹、貴様はどうだ?」
「…………」
徹は悔しそうに男を見上げた。
「……なんだ、その目は?文句があるのか?」
「……ありません」
「最初からそういえばいいんだ。このクズが!」




男が去ると薫はククッと笑った。
「いやー、さすがに戸川先輩は人間がよく出来ていらっしゃる。
僕には非が無いことを見抜いて、いつも公明正大な態度をとってくれるんだから。
まあ、僕も君と同じように罰を受けることだし、これで怨みっこ無しだよ徹」
その様子を周囲の少年兵士たちは気の毒そうに見ていた。


「痛そうだなぁ……あー、それにしても何で佐伯さんだけが殴られるんだ?」
「さあなぁ。よっぽど戸川さんの腹立つことしたんじゃないのか?
でも、戸川さんに目をつけられてこの海軍では生きていけないぜ」
「だよなぁ。将来有望だった士官候補生が戸川さんのご機嫌損ねて何人ダメにされたか」
「つい、この前も士官学校を優秀な成績で卒業した少尉が戸川さんにケンカ売っただろ?
その後、散々いたぶられて一ヶ月ももたずに軍人やめちまったもんな」
「何があったか知らないけど気の毒だな。佐伯さんも半年持つかどうか……」
徹は立ち上がるとコソコソはなしている周囲の少年達をにらみつけた。
途端に全員ビクッとして口を閉ざした。




徹は少しふらつきながらも部屋に戻るとベッドに仰向けに倒れこんだ。

「……クソ、戸川の奴」

なぜ、いつもオレだけがこんな目に合うんだ?

オレは機嫌を損ねるようなマネをした覚えは一切ない。
この海軍において司令官閣下の隠し子たる徹はそれなりに自由な身分のはずだった。
逆セクハラしてきたウザイ女の上官を何人辺境に飛ばしてやったことか。
当然、戸川に理不尽な暴力を受けた際に徹は父に同じことを要求したのだ。














――二ヶ月前――

「お父さん」
「……そのお父さんというのはやめろと言っただろう」
徹の実父・九条は両手で頭を抱えながらそういった。
そして手を伸ばして机の隅にあったカップを取って溜息をつきながら言った。
「で?今度は誰を左遷させればいいんだ?また女か?」
「さすがは閣下。お話が早くて助かります。ですが、今回は女ではなく男なんですよ。
なに……ただの一士官。閣下を煩わすような相手ではありません」
「……そうか、で?誰なんだ?」
九条はカップを口に運びコーヒーを飲みだした。


「戸川小次郎を北方領土辺りに送って欲しいんです」


その瞬間、九条は口に含んだコーヒーを一気に噴出した。
「な、ななななな……なんだとぉ?」
「何を驚いているんですか?お父さんなら簡単なことでしょう。
明日にでも辞令を公布してください。お願いしますよ」
いつも二つ返事で引き受けてくれる父だ。今度もこれで全て解決だろうと徹は考えた。
ところが徹にとって予想外の事を父が言い出したのだ。


「……それは出来ない」
「出来ない?」
「何があったか知らないがおまえの私事でそんなくだらん人事が出来るか」
珍しく父が徹に反抗してきた。そばでは父の主席秘書がオロオロと二人を見ていた。
徹はジロッと父を睨んでツカツカと近づいてきた。
その途端、父は思わず立ち上がって一歩下がった。




「い、いいか徹、よく聞けっ!!」
いつもなら怖気づいて徹の言う事をきく父がいやに根性を出して逆らいだした。

「私は海軍で戦艦を率いる艦隊司令官だぞ!人の上に立つ人間にとってもっとも大切な資質はなんだ?!
それは忠義をつくしてくれる部下に対して最後まで義理を通すということだ!!
そういう人間でなければ、いざというとき部下達はついてこない!!
戸川の父親は二十年近く私に仕えていた人間だった。
たとえコレといった手柄こそ立てていなくても大切な部下だ。
怪我をして軍を退役したとはいえ、それは今も変わりはない。
その大切な部下の息子であれば、私にとっても息子同然だ!!
そういう人間をおまえの我がままで左遷など断じて拒否するっ!!」


なんだ?……この臆病な男がここまで粘るとは。

徹は正直言ってムカついたが、正論をたてにここまで言われたら引くしかなかった。
この男はこの先大いに利用価値があるし、あまり邪険には出来ない。
しかもだ震えながらもここまで言い切ったということはちょっとやそっと脅したくらいで拒否を撤回することはないだろう。
臆病者だが人一倍プライドも高い男だから。


「わかりました。お父さんがそこまでご立派な人間だったとは。残念ですが今回の要望は取り下げますよ」

徹は父を一睨みして部屋を後にした。
九条は気が抜けたように椅子にガクンと座り込んだ。


「……あ、あのバカが……。どうして、こう問題ばかり起すんだ?」
「……お痛わしや閣下」














(あの時、無理やりにでも左遷させておけばよかった……)

あの時だけじゃない。その後も何かにつけて因縁ふっかけてくるのだ。
徹としてはたまったものじゃない。

部屋の中で何もすることなくただいるというのも苦痛だな……。

徹はたまっていた書類に目を通しだした。


「来月には激戦地域に派兵……か」
本来なら特撰兵士の任務じゃないが、訓練の一環として送り込まれる。
戦うのは苦痛じゃないが、生活が不便になるのは厄介だった。

「科学省の……女?」


ああ、Ⅹシリーズのお身内か。その女がやっと外の世界にだしてもらえるってことか。
今まで無菌状態の区域に隔離されたような人生送ってきた女。
それがいきなり軍の中に放り出されるんだ。随分とお可哀相なことだ。
もっとも、あの晃司や秀明の身内なら面と向かって悪さをする人間もいないだろう。
結局は苦労知らずのお嬢さまも同然じゃないか。
そういえば、科学省は特撰兵士の中からこの女の夫を選ぶと言っていたな。
と、いうことはオレも候補か。全く、冗談じゃない。
どんな女かしらないが、女にはろくな奴はいない。
オレを生んだ女のように強欲でふしだらな女。
オレが地方に飛ばしてやった連中のようにさかりのついたバカな女。
騒ぐしか能がないウザイだけの学校の女達。
今までろくな女を見たことなかったし、これからもそうだ。この女もきっとそうに違いない。




(つまらない)
徹はテレビのチャンネルをつけた。徹の大嫌いな女が好きそうな占いの特集をやっている。
生年月日、姓名判断、血液型を総合して占うもののようだ。
「オレと同じだな」
たまたまサンプルとして取り上げられた人間の誕生日、姓名の画数、そして血液型が一緒だった。
テレビの中で占い師は言った。


『……あなたには今職場で困っていませんか?上司か同僚に馬が合わない人間がいるとか』

合っている。まんざら嘘でもないようだな。

『しかし、近い将来……そうですね半年以内にその相手とぶつかることになりますよ』

徹は体を起してベッドの脇に座りテレビを見続けた。

『勝負は五分五分。相手が去るか、あなたが去るか、二つに一つです。
しかもケンカの理由は……女性絡みですね』

途端に徹の眉が僅かにピクッと動いた。


『その女性とは近いうちに出会うことになります。その女性をめぐって、あなたはその相手と衝突することになるでしょう。
ちなみに、その女性とあなたが結ばれる確率は……』


徹はリモコンのスイッチを押し、テレビを切った。
「くだらない。やっぱり占いなんて単なるインチキだな」
オレは生涯女なんて必要としないし、もちろん愛する事もない。
そんな女がいたらこちらがお目にかかりたいくらいだ。
あまりにも馬鹿馬鹿しかったのか、徹は残った書類を放り出して眠りについた。


『半年以内にその相手とぶつかることになります』
『ケンカの理由は……女性絡みです』
『その女性とあなたが結ばれる可能性は……』


徹と美恵が出会う一ヶ月前の出来事だった――。




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