ある所に、それはそれは美しい親子がいました。
長く艶のある黒髪に象牙のような肌。そして愛らしい微笑みを持つ母親。
そして、そんな母親に似てこれまた愛らしい息子。
彼は素晴らしくイイコでした。
とても正直で、素直で、愛想が良くて、誰に対しても分け隔てのない優しい少年だったのです。
ただ一つ残念なのは、この家庭には父親がいないことでした。
でも、そんな寂しさを微塵も感じさせないほど、いつも明るい笑い声が聞こえてきます。
こんな素敵な母と子はきっと世界中どこを探してもいないでしょう。




Solitary Island―相馬家の人々―




「見て見て、また当たったよ」
「すごいな洸。おまえ、才能あるぞ」
「さすがは、あいつの息子だな」

15メートル先にある的。使用するのは練習用の模擬弾。
撃っているのはほんの子供。少年の名は洸。相馬洸(そうま・たけし)という。
物心ついたときから、この薄暗い地下にいた。
粗暴な連中に囲まれながら、でもその頃の洸には自分は普通の子とは違うという感覚すらない。
なぜなら洸はその世界しかしらない。
スタンド・バイ・ミーを経験するには幼すぎる少年だったからだ。
普通の子はTVゲームだろう。しかし、洸はそんなものやったことすらない。
それでも、その地下の生活は悪くないと思っていた。
洸は周囲の人間にとても可愛がられ色々なことを教えてもらっていたからだ。
銃の扱いとか、爆弾の作り方とか。
洸は飲み込みが早く、上達するたびに皆口をそろえてこう言った。


「やっぱり血は争えないな」――と。


そんな洸にも転機が訪れた。ある日、母が自分を連れて『普通の世界』に戻るといったのだ。
普通の世界……洸には何のことかわからなかった。それまで、他の世界を知らなかったから。
洸の母はとても美しい女性だった。それに……随分としたたかな面もある。
幼い洸には事情はわからなかったが、何でも『店を出すのに必要な資金』というのが出来たので、ということらしい。
別れの日、いつも洸を可愛がってくれていたおじさん連中が寂しそうに「元気でな」と何度も頭をなでてくれた。
そして洸の母に「本当に行くのか?あっちの世界も楽じゃないぞ。おまえは追われている身だし」と言った。
もちろん幼い洸には何のことかわからないし、特にわかりたいとも思わなかった。


「どこにいたって一緒よ。この子の為にもいつまでも、ここに厄介になるわけにはいかないでしょ」
「オレたちは構わないんだぞ。おまえ達の面倒見ることは、あいつの供養だと思っているから」
「もう十分みてもらったわ。それに、あたしはもう二度とゲリラの男に恋をしたくはないのよ。
洸も絶対にゲリラにだけはしないわ。あたしには、この子しかいないから」
「そうだな。それが一番いい」















「……ん、夢か」

随分、久しぶりに昔の夢見たなぁ……ま、いっか。

洸は学生服に着替えると元気よく食堂に駆け込んできた。
「おはようママ」
「おはよう洸。今日から中学生ね」
「そうそう。お祝い金くれる?」
「何言ってるのよ。今日まで立派に育ててくれてありがとうって、あんたがあたしに金やる立場でしょう」
「相変わらずがめついなぁ、ママは」
「あんたほどじゃないわよ。全く、誰に似たのかしら」
洸はパンにバターを塗りながら「ワクワクするなぁ」と明るく声を弾ませていた。


「ねえ洸。あんたのいく中学校だけど、士官学校の進学校なんでしょ?
将来軍人目指すような連中が多いってきくけど、あんた大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫♪」
「どこにでも品のいいエリートと、ろくでもない乱暴な連中がいるのよ」
「大丈夫だよ。オレ、争いごと嫌いだから因縁つけられても相手にしないようにする」
「そう」
「だからオレの入院費の心配なんて無用だよ」
「あたしが心配してるのは、あんたが病院送りにする奴等が出たら、そいつらに慰謝料と治療費払わなきゃいけないことよ」
「酷いなぁママ。オレの心配してくれないの?」
「心配してほしかったら、それだけ価値のある男になりなさい」
「うん、わかった♪」
こうして洸の新しい人生が始まりました。














「……えー、であるからして諸君等はこの伝統ある春見中学校に」

(……眠い、やだなぁ話の長い校長って。しかも、この後来賓の祝辞もあるし……。
それに教室に行ったら行ったで絶対に担任の長い話だろ。ああ、もうゴメンだよ。どうしよう……うん、決めた♪)

洸はフラッと頭を下げると苦しそうな表情を見せた。
そばにいた教師が「どうした?」と声を掛けてきた。

「……すみません。さっきから気持ちが悪くて、もう倒れそうなんです」
「それはいけない。さあ、こっちに来なさい」
その教師は洸をそっと式場から連れ出すと保健室につれてきてくれた。
「担任の先生には事情を話しておくから君はそこで寝てなさい」
「はい、ありがとうございます」
上手くいった。あー、やっとゆっくり出来るよ。
洸は保健室のベッドの上で思いっきり背伸びをした。
と、そこにガヤガヤと数人の品のない声がしたかと思うと保健室のドアが開いた。


「まったく、入学式なんてうざいんだよ」
「そうだな。で、さっきの話だけど、続き聞かせろよ」
「そうせくなよ。実はな……」
どうやら入学式をサボって校内をうろついていた上級生のようだ。しかも見るからに不良。
ほかっておいても良かったのだが、とにかく声がうるさかった。これでは、ゆっくり寝てられない。


「すみません」
「ん?なんだ、おまえは?」
「新入生です。急病で倒れたからこちらで休ませて貰っていたんです。
先輩達、お願いですから出て行ってくれませんか?これじゃあ、ゆっくり休めません」
「なんだとぉ!!一年坊主のくせに上級生にたてつこうっていうのか!?」
「そんなつもりはありません。オレは静かにしてほしいと頼んだだけじゃないですか。
第一、先輩達入学式をさぼって、こんな所でタバコにいかがわしい会話だなんて恥ずかしくないですか?」
「なんだと、痛い目にあいたのか、こら!!」
「……」
洸はスッと窓を開けると大きく深呼吸した。
ちなみに保健室は職員室がある校舎と向かい合っており、距離的に近かった。


「助けて、殺されるっ!!」


教師のほとんどは入学式に出席していたとは言え職員室には数人教師が残っていた。
当然のことながら、駆けつけてきた。
「ど、どうしたんだ!!」
上級生達は慌てて「な、なんでもねえよ!」と叫んだ。が、同時に洸も叫んでいた。

「すみません先生!!全部僕が悪いんです!先輩達がタバコを吸ったからって生意気に注意をした僕が!!
だから先輩たちが僕を『校舎の裏に引きずり込んでリンチしてやる』といったのも売り言葉に買い言葉なんです。
先輩達は冗談のつもりで言ったんですよ。それを真に受けて大騒ぎした僕が全部悪いんです!!」














――数日後――

「今日も真面目にお勉強か……オレって自分でいうのもなんだけどイイコだよな」
幸いも洸は結構な中学生生活を送っていた。
「たまには掃除くらいしてやるか」
今日は偶々機嫌が良かったので、いつもはサボっていた掃除もやっていた。
ゴミを持って焼却炉に来たときだった。


「おい」
嫌な声……振り返ると三日前の上級生達がたっていた。
「誰?」
「おまえ、保健室のこともう忘れたのかよ」
「保健室?ああ、あの時の粗暴な先輩達ですね。お元気でしたか?」
「お元気でしたかじゃねえだろ、このクソガキっ!
おまえのせいでオレたちは職員室でみっちり説教された挙句三日間謹慎くらって学校にこれなかったんだ!!」
「いやだなぁ先輩たち。それじゃあ、まるでオレが原因みたいじゃないですか。
それに先輩達、どうせ学校に来ても授業さぼって遊んでいるんでしょ?
学校公認で三日も休めたんだから感謝して欲しいくらいですよ」
「ふざけるなっ!!」
その上級生達のリーダーと思われる男が洸の手(ゴミ箱を持っている手を)叩いた。
ゴミ箱が地面に落ち中身がぶち撒かれる。


「……先輩。片付けてくださいよ」
「いい加減にしろよ。おまえには上級生に対する礼儀ってものを教えてやるぜ」
「礼儀?オレ教えられる必要ないくらい礼儀正しいですよ」
「うるせえ!!いいか、よく聞け、オレたちはこの学校のボクシング部だ」
「ボクシング部?不良のたまり場って聞きましたけど」
「いちいち癇に障る奴だな!!そんな口利けないようにしてやる!!」
そういうとリーダー格の男に勝るとも劣らないくらい人相の悪い男が2人、洸の両腕をそれぞれ掴むと引きずるように歩き出した。


「そんな乱暴なことしなくてもついていきますよ。どこに行くんですか?」
「ボクシング部の部室だ。あそこには普通の生徒は近寄らない。
つまり……おまえが叫んだって誰も助けにこないってことだ」
「……もしかして無抵抗のオレを酷い目にあわせるつもりですか?」
「そういうことだ。今さら謝ったってゆるさねえからな、覚悟しろ」
こうして洸は入学四日目にして上級生に拉致されてしまったのだ。




「……ど、どうしよう……」
それを見ていた女生徒がいた。
「……び、美少年の相馬くんをどうするつもりなの?も、もしかして……集団で……ダメよ、そんなこと!!
美形に襲われるんならOKだけど、あんな綺麗なひとが、あんな不細工な連中に玩具にされるなんて絶対に許せない!!
助けてあげないと!!」
女生徒は助けを呼びに教室に走っていった。














「さあてと……どう、料理してやろうかな」
「先輩、お願いがあるんですけど」
「助けて欲しいなんてお願い今さら無駄だぜ」
「顔だけは傷つけないで下さい」
「…………なんだって?」
「オレ、将来逆玉に乗るんです。綺麗な顔傷つけられたら水の泡じゃないですか」
「てめえ!どれだけオレたちをバカにすれば気が済むんだっ!ふざけるのもいい加減にしろっ!!」
「……オレ本気ですよ。本気で逆玉狙ってるんです」
「まだ言うのかっ!!」
洸は突き飛ばされ床に尻もちをついていた。


「……おい謝れよ。許してやるつもりは更々ねえが、やっぱ一言謝ってもらわないとな」
「すみませんでした♪」
「それが謝ってる態度かぁぁ!土下座しろ、土下座っ!!」
「はいはい、わかりましたよ」
洸はその場に正座して両手を床につけた。




「本当に申し訳ございませんでした……なーんてね」




その場にいた連中の目が点になっていた。
一体何が起きたのか全く理解出来ない、そんな表情。
ただわかるのは、リーダーがなぜか吹っ飛んでいたことだけ。
リーダーが壁に激突し、白目をむきながらズズッと下に下がり、そのまま気を失ったのを見て、初めて彼等は我にかえった。


「なーんてね。そんな殊勝なこと、このオレが言うわけないだろう?」


「て、てめえ!!」
「よくもヘッドを!やっちまえっ!!」
全員がいっせいに飛び掛ってきた。洸ははぁ、と溜息をつくとこういった。

「あーあ、オレ金にならないことしたくないんだけどなぁ……。
まあ、しょうがないか人生いいことばかりでもないし。
たまには、こういう嫌なことがあっても逃げるわけにはいかないしね」














「た、大変よ大変!!」
教室に飛び込んできた瞳にクラスに残っていた生徒達は何事かと視線を集中させた。
「どうしたの望月さん」
千秋が心配そうに事情を聞いてきた。
「そ、相馬くんが……相馬くんが……」
「相馬くんがどうしたの?」

「お、大勢の男たちに連れて行かれたのよ!!
このままじゃ、相馬くんが集団暴行される、早く助けてあげて!!」

「な、何だって集団暴行!!?」
千秋の双子の弟の幸雄は正義感の強い少年だ。
もっとも瞳の言う集団暴行と、幸雄が想像する集団暴行とは大きな違いがあったが。
「そうなのよ。相手はどう見てもガラの悪い連中で……。
あんな連中に相手にされたら相馬くんメチャクチャにされちゃう!!」
「た、大変だ!!早く助けてあげないと下手したら病院送りに……。早く助けてやらないとっ!」
そう言うと幸雄はすぐに走り出していた(走るのは得意だった)














「ひぃぃー!!や、やめろぉー!!頼むから、もう止めてくれぇぇー!!」

ボクシング部の部室は地獄と化していた。
洸を連れ込んだ連中は全員白目をむいており、最後の一人が命乞いの状態である。
もう何が何だかわからずただ命乞いだ。
この部室で、この生意気な新入生を痛めつけるはずだったのに。
それなのになんで拷問ショーがワンマン暴行ショーに変更になったのか。
まあ、プログラムなんて人間の都合でいくらでも変わるものだ。それも仕方ないだろう。
とにかく男はひっしだった。鼻血を垂れ流し、涙目になって必死に叫んだ。


「頼むから助けてくれぇぇー!!」
「助けてくれ?それ、ちょっと違うんじゃないですか先輩」

洸の靴の裏が、その男の鳩尾に陥没するくらい押し付けられた。


「『助けて下さい、相馬さま』だろぉ!!」


続いて洸の壮絶な蹴りが連続で男の鳩尾に。

「ひぃぃー!た、助けて下さい、相馬様ぁぁー!!」
「なんだ、言えるじゃないか」

洸はようやく攻撃を止めた。そして、スッと屈むと右手を差し出した。


「ちょうだい」
「……な、何を」
「慰謝料」
「……え?」
「だってさぁ……先輩たち、オレを連れ込んで暴力ふるおうとしたんだろ?
それって、すごく悪いことだと思うんだ。オレはすごく傷ついたんだよ。
慰謝料って心の傷に対する損害賠償だからね♪と、いうわけでちょうだい♪」
「……い、慰謝料って!!そんなバカな……」
ガンっ!!今度は頭に洸の靴が踏み込まれていた。


「何だよオレますます傷ついたよ。いいよ、出るとこでても。でもいいの?
オレのママ、警察からヤバイ筋にいたるまでコネ持ってるんだよ。不利なのは先輩達だと思うけど」
「わ、わかった!!いや、わかりましたぁぁ!!」
男は慌てて財布を取り出し、その中からお札を出そうとした。が、いきなり洸に財布ごと取られてしまった。
「なんだしけてるなぁ……たった五千円?」
「ひ、す、すみません!!」
「いいよ、これで我慢してあげるよ。だって、これ以上やったらオレの方が悪くなっちゃうからね♪」
洸は五千円札を取り出すと財布は放り投げた。


「じゃあ、今回はこれでお互い納得の上で和解ってことにしよう。
でも先輩……今度こんなマネしたら。オレ本気で怒りますよ。だからくれぐれも荒っぽいことしないで下さいね♪」




「……あーあ、無駄な時間つかっちゃったなぁ。完全に赤字だよ……はぁ……」
洸は廊下を歩きながら溜息をついていた。
「相馬っ!!」
「あれ内海、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもあるか!!おまえ上級生に因縁つけられたんだろ?
望月が見てたんだ。で、今から助けに行くところだったんだよ!!」
「オレの為に?」
「ああ」
「そうか……でも、もう大丈夫だよ。見かけよりいい人たちだったから。話し合いでわかってくれたんだ」
「そうか良かった」
「……うん、でも少しだけ怖かった。それで緊張したから喉が渇いた。何か飲み物ほしいな」
「そうか、何がほしい?」
「ココアでいいよ」
「わかった。すぐに購買にいって買ってきてやるよ」
幸雄はまたしても走っていった(走るのは得意だった)














――1ヵ月後――

「ママと買い物なんて久しぶりだね」
「そうね。ところで、あんた学校で問題起こしてないでしょうね」
「勿論だよ♪」
「それならいいわ。面倒なことだけはしないでね。あたしが中学生のときは絵に描いたような優等生だったわよ。
あたしの息子なんだから、あんたもせいぜいイイコにしないさよ」
「うん」
その時だった。バッタリ出会ってしまった。あの時の上級生集団に……。


「あれ先輩達。お久しぶりですね」


「「「「「…………」」」」」
「お元気でしたか?」
「「「「「…………」」」」」
「良かったら食事でも一緒に。おごられてやってもいいですよ♪」


「「「「「ぎゃぁぁぁー!!」」」」」


……連中は風のように去って行った。

「……何なの、あいつら。あんたの顔みるなり悲鳴上げて逃げるなんて。
まさか、あんた……あいつらに何かしたんじゃないでしょうね?」
「なんで?」
「何もしてないのに、あんなに怖がるわけないじゃない」
「……そういわれても身に覚えがないよ」
「そう」

母は溜息をついた。息子は淡白な性格なので、本当に連中が怖がった理由がわからないのだろう。
実際に洸はあの事件のことはもうどうでもよく、連中に暴行されそうになったことも気にしてない。
自分が全然気にしてないので、相手もそうなのだろう、と思っているのだ。




「まあいいわ。ただし事を起こすときは証拠が残らないようにきっちりやりなさいよ」
「うん、わかってるよ」
「それならいいわ。さあ食事に行きましょう」
「うん」

こうして、洸は今日も健やかに成長していくのであった。
メデタシメデタシ




TOP