そして、普通とは違うかもしれない女性がいました。
二人は、ごく普通の出会いをし
ごく普通の恋愛をし
ごく普通の結婚をしました
唯一、普通でなかったのは……
お子様が、傲慢・高飛車・我侭身勝手・傍若無人なオレ様野郎・貴弘君だったことです。
Solitary Island―杉村家の人々Ⅴ―
「天瀬」
日曜日の午後、買い物の帰りだった。後ろから声がしたのは。
「杉村くん」
同じクラスで隣の席にいる杉村貴弘だった。
「荷物重いだろ?持ってやるよ」
「そんな、悪いわ。このくらい大丈夫だから」
「いいから。オレがそうしたいんだ」
貴弘は半ば強引に美恵から荷物を受け取ってしまった。
「杉村くんって優しいのね」
「そうか?男が荷物持ってやるくらい当然だろ。オレは親父が母さんに重たいもの持たせるのを見たことがない」
「仲いいんだ、杉村くんのお父さんとお母さん。もしかして大恋愛の結婚だったの?」
「ああ、それはないな。オレも聞いたことないから詳しいことはしらないが、十中八九同情婚だ」
「え?」
「親父と母さんは幼馴染なんだよ。子供の頃から頼りない親父を見てたんだ、ほかっておけなかったんだろ。
『そばにいて見ててやらないと心配だから、しょうがないから結婚してあげるわよ』
……まあ、こんな感じだったんだろうな。オレはそう睨んでいる」
「そうなの?」
「ああ、あの二人の力関係見てれば大体想像はつく。間違いない」
「ねえ、さっきから気になってたんだけど、その箱……」
貴弘が抱えている綺麗にラッピングされた箱。
「ああ、今日は両親の結婚記念日なんだ」
「結婚してもう16年か……」
貴子は結婚写真を見詰めて溜息をついた。
「……ちゃんと夕食までに帰ってくるかしら?」
貴子の夫・杉村弘樹は日曜出勤だ。2人は共働きで、同じ会社に勤めている。
この大東亜共和国は軍が国を動かし、それに反発しているテロリスト(ゲリラ、レジスタンス……まあ呼び方はどうでもいい)が大勢いる。
お世辞にも治安がいいとは言い切れない。
もっともターゲットにされるのは政府や軍の要職にある人間や金持ちばかりなので一般市民の生活はそれほど悪くは無かった。
政府や軍の関係者なら国がつけた護衛官がいるが、民間人はそうはいかない。
かといって、まだ襲われてもいない人間を警察が24時間体制で守ってくれるはずも無い。
だからボディガード派遣企業などという犯罪大国アメリカ(この国では米帝と呼ばれている)ばりの企業がたくさんあるのだ。
2人は、その会社にいた。杉村と貴子は第一線で活躍していた優秀な民間SPだった。
しかし貴子が妊娠した時、貴子は生まれてくる子供の為に事務職に配属願いをだし、杉村も裏方に回ることにした。
2人とも子供。つまり貴弘を第一に考えることにしたのだ。
それから色々とあったが、家族三人平和に仲良く暮らしている。
ただ……そのことを電話や手紙でしか両親や妹たちに知らせてやれないことだけが辛かった。
国に逆らって、プログラムから逃げ出した以上、もうそれぞれの家族には会えない。
だから貴弘にも自分達は事故や病気で家族を亡くし天涯孤独になったと嘘をついていたのだ。
(もっとも、貴弘はとうに2人の嘘を見抜いていたが、2人は気付いていなかった)
「……本当に……あれから16年たったんだ……」
貴子はもう一度結婚写真を見詰めた。
まるでセメントで固まったようにカチンコチンになり、馴れないタキシード姿で直立している杉村。
それとは反対にシックなウエディングドレスを見事に着こなし、モデル顔負けの美しい姿で嬉しそうに微笑んでいる貴子。
本当に16年の月日が流れたのだ。……あの運命の日から。
――16年前――
「貴子、貴子!!」
「何よ。そんな大声出さなくても聞こえているわよ」
「実は今日珍しい奴に会ったんだ。ほら」
あの寡黙な杉村がこんなに感情を出すことも珍しい。
一体誰だろう?貴子は渋々と振り向いた。
「よぉ、久しぶりだな千草」
その顔を見た途端、貴子は懐かしいというよりは……あんた、まだ生きてたの?という表情を見せた。
貴子は、その男のことを嫌いではなかったが、かといって好ましい相手とも考えてなかったのだ。
悪い奴ではない。だからこそ杉村と親友関係を築いている。
が、異性から見たら、そいつは『女の敵』でしかなかったからだ。
「なんだ……あんただったの?」
「はは……相変わらずきついな」
「どうでもいいけど弘樹に変なこと吹き込んだらただじゃおかないわよ。
あんたみたいな女癖の悪い男と付き合うなんてあたしは反対だったんだから」
その相手とは共にプログラムを脱出したかつての仲間・三村信史だった。
あのプログラムの後、しばらくは七人で逃げた。
貴子と杉村、今しがた再会した三村。そして七原、光子、川田、幸枝の七人だ。
そして、ある程度落ち着いたとき別れた。光子と川田と三村。七原と幸枝。そして貴子と杉村に。
それから貴子と杉村はずっと一緒にいる。
2人で川田が紹介してくれたゲリラに身を寄せていたこともあった。
その時に銃火器の扱い方や戦い方を教わり、それを生かして今の仕事に就いたのだ。
杉村とはずっと一緒で、今も2人でアパートを借りて住んでいる。
ところが驚くなかれ、2人は今だにキスもしていない清らかな関係で、つまり同棲ではなく単なる同居をしていたのだ。
「なあ、今日は久しぶりだからさ。三村を泊めてやってもいいだろ?」
杉村が恐る恐る聞いてきた。
「……いいけど、あんたの部屋よ。それから、絶対にあたしの部屋には入れないで。
それが絶対条件よ。一歩でも踏み入れたら息の根止めてあげるから」
「……はは、冗談キツイなぁ貴子さん」
「本気よ」
「……相馬だったら、愛想よく部屋に入れてくれるぜ」
三村はちょっとうなだれて付け足すようにこう言った。
「……もっとも、金出せって言うけどな」
「……本当にあれから五年もたったんだなぁ杉村ぁ……」
「ああ……そうだなぁ三村……」
「あーあ、結局これ?だらしの無い男たちね」
貴子は毛布を持ってくると二人にかけてやった。
あの後2人は何時間も話し込み、おまけに酒まで酌み交わし(一応未成年でしょ。まったく)眠ってしまったのだ。
「……全く、やっぱりこんな奴とつき合わせたら弘樹の為にならないわ。
何よ、自分の荷物まで放り出して……あら、何よ、これ……」
貴子は三村の鞄から出掛かっている書類に目を留めた。
人のものを勝手に除くなんて最低の行為だ、そう思っている貴子だったが、この時は違った。
なぜなら、その書類に『プログラム……云々』という文字を発見してしまったからだ。
「……何よ、これ」
貴子は、その書類を引きずり出しめくりだした。
写真つきの書類……教育委員長……沖木島……プログラム……。
それは気の強い貴子が青ざめるような内容だった。
かつて城岩中学三年B組42人を地獄に突き落とした張本人。
そう……貴子たちをプログラム対象クラスに選んだ責任者の資料だったのだ。
――貴子は、この時修羅になった。
「……ん?貴子?」
杉村は夜中に目を覚ました。
「……貴子?」
貴子がいない……おかしい、何か胸騒ぎがした……。
その時だった、その胸騒ぎを裏付けるかのようにけたたましく電話のベルがなったのは。
「もしもし!!」
『杉村、千草はいるか?』
それは会社の部長だった。
「い、いえ……ちょっと出かけているらしくて……」
『どうなっているんだ?彼女会社に押しかけてきて自動小銃と拳銃を持ち出していったんだぞ』
「なんだって!!?」
その声に三村がやっと目を覚ました。
「どうした杉村?……あれ?……ない、あの資料がない!!」
「ないって……何がないんだ三村!?」
「オレたち42人の仇の顔写真入りの資料だよ!!」
杉村の顔が見る見る青ざめていった。
「……貴子だ。……あいつは、あいつは復讐しにいったんだ。奴を殺す気なんだ!!」
「……杉村、落ち着けよ」
車を飛ばしながら三村は助手席でジッと黙り込んでいる杉村に語りかけた。
「……急いでくれ」
「……オレも千草と気持ちは同じだ。復讐したいんならさせてや……」
「ふざけるなっ!そんなことさせられるかっ!!」
「……オレたちの敵だぞ。なぜ庇うんだ?」
「あんな奴どうでもいい!死のう生きようがどうでもな!
オレは貴子に人殺しなんてさせたくない!例え相手がどんな奴でも。それだけだ!!」
「…………」
貴子は自動小銃を構えジッと見詰めていた。……ターゲット。当時の教育委員長を。
そして慎重に……引き金を引いたがガラスに弾痕が残っただけ。
「……防弾ガラス!」
だったら、壊れるまで撃つだけよっ!
貴子は再度引き金を引いた。
けたたましい音を出して自動小銃がガラス目掛けて弾を発射していく。
ターゲットが悲鳴を上げている。
悲鳴……?冗談じゃないわ。
あの地獄の中で声すらあげずに死んでいった人間だっていたのよ!!
知らなかったとは言わせないわ!!
さしもの防弾ガラスも数十発の弾を受けてコナゴナになっていた。
貴子は弾が切れた自動小銃を捨てると拳銃を抜き、スッと立ち上がった。
ターゲットが柱の影からこちらを見ている。恐怖に引き攣った表情を見せながら。
そして……走った。逃がすものですが!!
「うわぁぁー!!」
銃弾が右肩にヒットした。標的は床に倒れのた打ち回っている。
安心しなさい。すぐに終わらせてあげるわ。
貴子は、その憎い男に近づくとスッと頭に向けて拳銃の照準を合わせた。
その時だった――。
「お父さんっ!!」
子供……まだ10歳くらいの子供が飛び出してきた。
そして、その男を庇うように抱きついた。
「やめて!!お父さんを殺さないで!!」
「……どきなさい」
貴子の声が震えていた。
「嫌だ嫌だぁぁ!!お願いだから、お父さんを殺さないでぇ!!」
子供……こんな奴に子供がいたなんて。
「……ひ、た、頼む……子供は……子供だけは殺さないでくれ……」
「……黙りなさいよ」
「……頼む。この子だけは」
「黙れ……黙れ……黙りないさいよ!あんたに子供を庇う権利なんてないわっ!!
何の罪の無い子供を42人も地獄に突き落とした、あんたなんかに!今度は……今度はあたしが殺してやる!!」
貴子はグッと引き金にかけた指に力をいれた。
いや入れようとしたが、銃声はならない。
後、一歩というところで貴子の指が硬直していた。
後ほんの少し力を入れるだけなのにっ!!
「やめるんだ貴子!!」
その時だった。声がしたのは。
その声はずっと待っていた声だったのだろうか?
「……弘……樹?」
「貴子……良かった無事だったんだなっ!」
駆け寄るなり杉村は貴子を抱きしめた。続いて三村が駆け寄ってきた。
そして「行くぞ、こんなところに長居は無用だ」と2人を促し、貴子を半ば無理やり車に乗せると逃げ出した。
高速道路を猛スピードで走り、二時間ほどたった頃だろうか?
人気の無い山奥の山荘に三村は2人を連れてきた。
貴子はまるで魂が抜けたように呆然としている。
人の命をとろうとしたのだ。無理もないが……。
「貴子……落ち着いたか?」
杉村は山荘の中にあるソファに貴子を座らせると、なるべく優しい声で話しかけた。
貴子は何も言わずにジッと杉村を見詰めていた。やがて俯くと搾り出すように言った。
「……どうして来たの?」
あと少し……あと少しだったのよ。
どうして邪魔したの?どうして止めたのが、あんただったの?
「おまえを止めるためだ」
「……あたしを止める為?」
「ああ……甘い考えかもしれない。でも、オレはおまえのこの手を汚したくないんだ」
杉村はそっと貴子の手を握った。
物心ついたときから何度も握っていた……その手を。
「あたしを止める為にきたの?」
「ああ、そうだ」
「……あたしの為に?」
「……ああ、そうだよ。おまえの為だ」
貴子の頬を涙が伝わっていた。
「……殺せなかった。……どうしてもダメ……。
あんなに憎んだ相手なのに……でも、でもダメだった……」
「ああ、それでいいんだ貴子」
貴子を抱きしめながらさらに言った。
「……どんなに憎んだ相手だろうと、おまえは子供の目の前で親を殺せる女じゃない。
それでいい……それでいいんだ貴子……。オレが知っているおまえは、そういう女だ。
だから、オレは誰よりもおまえを尊敬し信頼している。子供の頃からそう思っていた。
オレは一生、この女にだけは適わない。そう思っていた。……そう思った相手は貴子、おまえだけだ」
「……弘樹」
「愛してるわ弘樹」
「わかってる」
「あんたがいたから、五年間生きてこれた」
「ああ……わかってる」
「これからも、ずっと一緒にいたい……あたしは……」
「ストップ……そこまでだ貴子。こういうことは男の口からいうものだ」
杉村は貴子を制すると……静かに言った。
「結婚してくれ貴子。オレにはおまえしかいない。
子供の頃からずっと支えてきてくれたようにこれからもずっとそばにいて欲しい」
「…………弘樹」
「……オレはお人好しでうだつがあがらないつまらない男だ。
でも……でも貴子。おまえがそばにいて支えてくれたら俺は世界一強い男になれそうな気がするんだ」
「……何よ、なれそうな気がするって」
貴子がクスッと笑いながら言った。いつもの笑顔だった。
「わかるだろ?オレは完璧な人間じゃない。おまえがいてやっと半人前なんだ」
「わかったわよ。一生面倒みてあげるわよ」
「ありがとう貴子」
そして2人は何も何も言わずにお互いを抱きしめあった。
そんな2人の姿を少し離れたところで見ていた三村は何も言わずにクルッと向きを変えるとその場から立ち去った。
杉村……オレはおまえが羨ましい……。
オレにはいなかった。そんなふうに命懸けで愛せる相手も。
そして……愛してくれる女も……。
この後、すぐに杉村と貴子は結婚した。
そして、二年後には一人息子の貴弘が誕生した――。
「ご両親の結婚記念日?羨ましいな、家族でお祝いするなんて」
「そういうものなのか?オレはずっとそうしていたから当たり前って感覚なんだ」
それにしても……貴弘はジッと美恵を見詰め不思議に思った。
「どうしたの?」
「いや……オレと天瀬なら話はわかると思ったんだ」
「?」
「一体、親父のどこにそんなに惚れたんだろうな……。
母さんだったら、もっとハンサムで社会的地位も財産もある男を選べたのに」
「きっとお母さんにしかわからない魅力があったのよ」
「いや……絶対に同情婚だ。オレは時々不安なんだ。母さん後悔してないかって……」
「するわけないじゃない」
「……そうか?」
そう言えば以前食卓で聞いたことがあったな。
『母さん、女として上を目指すつもりはなかったのか?
本当に父さんで満足してるのか?』――と。
ちなみに言った瞬間、父はビッグバン並みの衝撃を受けしばらく部屋から出てこなかった。
その時、母はこう言ったのだ。
あいつしかいなかったのよ。自分の人生預けてもいいと思った相手は――。
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